2013年09月24日

最後の晩餐に食べたいもの

きょうのごはんきょうのごはん
加藤 休ミ

偕成社 2012-09-13

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誰でも一度は考えたことがあるのではないだろうか。
もし明日、自分が死んでしまうとして、最後の夕食に好きなものを食べられるとしたら、
自分は一体何を食べるのだろうか。

もちろん、最後の願いだから、どんなものでも制限無く美味しく食べられると仮定して。
それでもこういう時、世界の三大珍味なんて選ぶ人はあまりいないだろう。
よほど好物ならともかく、わざわざ最後のチャンスに食べつけないものを食べて、
期待外れだったりしたら、こんな悲惨なことはない。
第一、長旅には履きなれた靴を履いていくのが鉄則と言うではないか。
これから長い長い異境への旅に出るというのに、途中でお腹の具合が悪くなっては困る。
ついこれが最後と舞い上がって食べ過ぎそうなゴージャスなご馳走など以ての外だ。

そこで私も改めて、自分が「最後の晩餐に食べたいもの」を考えてみた。
うん、やはりここは、せめて心の空腹を満たして安心して逝けるよう、
最後の晩餐には100%不安のない、食べ慣れたいつもの味を口にしたい。
従って第一条件は、和食。
それも、寿司や天ぷらやすき焼きといった「ハレ」メニューでなくていい。
何でもない普通の日に当たり前に我が家の夕餉の食卓にのぼる、「ケ」の料理がいい。
つまり、焼き魚だとかひじきの煮物だとか金平牛蒡だとか胡瓜の糠漬けだとか、
炊きたての白いご飯とみそ汁に合う、いつもの我が家のごはんが一番安心だ。

えーっ!最後なのに、そんなんでいいの?
と思ったそこのアナタに、是非読んでいただきたい絵本がある。
加藤休ミさんのきょうのごはんである。
見よ、この表紙の秋刀魚の塩焼きの圧倒的な存在感を!
それだけじゃない、この絵本にはまだまだ凄まじく美味しそうな料理が待ち構えている。
日本人なら誰もが、ページをめくった瞬間に思わずよだれを飲み込む見開きがあるはずだ。

私も最初は、ただただそのシズル感溢れる食べ物の絵の画力に圧倒されるばかりで、
果たしてこの表紙だけでご飯三杯いけるかどうか実験してみたいとさえ思ったものだ。
今でも、空腹時にこの絵本を手に取るのは非常に危険というか、理性が本能に負けて
とにかく目が絵の一点に釘付けになってしまうのでまともに鑑賞ができないのである。

でも、できれば、お腹が空いていない時にでも改めてこの絵本を読んでみてほしい。
誰もが目が吸い寄せられる食べ物の絵からほんの少し視点を広げてみれば、
そこに料理以上においしい空気が描かれているのが分かるだろう。
オシャレでもゴージャスでもなく、いつものように生活感あふれる我が家。
そこで供される、なんでもない日の、なんでもない食事。
でもその食卓には、なんでもない日ならではの、寛いだ家族の笑顔が並んでいる。
唯一、おじいちゃんの長寿祝いだろうか、非日常の「ハレ」の日の食卓も描かれてはいるが、
後で思い返せば、一番失いがたい時間はやはり、なんでもない日常の風景ではないだろうか。

そう思って、この絵本を改めて最初から見返してみる。
こんなふうに家族が揃って食事をともに出来る時間なんて、案外短いのかもしれない。
そんな時間をいつの間にか失って、何年も経ったある日、私は思い出すのだろうか?
最後にもう一度、あの日の空気を味わいたいと・・。

もし、人生最後に好きなものを食べる自由があるならば、
やはり私は、自分が毎日作って家族と共に食べて来たいつもの食卓を再現したい。
それも特別高級食材なんか使わず、いつも通りのそこそこの食材を使って、
いつものように家族それぞれの好物を一品ずつ取り入れて、
「やったー!いただきまーす!!」の声が聞こえる、あの食卓を。

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posted by えほんうるふ at 09:04 | Comment(2) | TrackBack(0) | よだれが出る絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月26日

自分だけの音色

ルラルさんのバイオリン (いとうひろしの本)ルラルさんのバイオリン (いとうひろしの本)
いとう ひろし

ポプラ社 2001-09

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世の中には人それぞれの趣味趣向に応じて様々なお稽古ごとが存在する。
幼児から老人まで、対象も幅広く豊富にある習い事の中から一つを選ぶ理由も様々だろう。
純粋にそれを学んでみたいから、という向学心と知的好奇心に溢れた人もいるだろうが、
限られた金と時間とを費やすことを思えば、普通はもっと下世話な理由が先にくるはずだ。
曰く、何が何でも我が子の才能をもれなく見いだし最大限引き延ばしたいとか。
何が何でも金儲けに繋げて爪に火を灯すような困窮生活から逃れたいとか。
何が何でも一芸を身につけて孤独な将来に備えたいとか。
そういった切羽詰まった事情で必死な皆さんを除けば、
全ての人が目の色変えて習い事に走るその理由はただ一つ、モテたい!!

もとい、愛されたい。と言っておこう。
これに集約されると私は断言できる。→続きを読む
posted by えほんうるふ at 23:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 嬉しくなる絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月25日

お盆の気配

かえるのうらめしやさん (カラフルえほん)かえるのうらめしやさん (カラフルえほん)
戸田 和代 よしおか ひろこ

岩崎書店 2005-05
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正直なところ、私は宗教について義務教育以降にまともに勉強したことがない。
そして多くの日本人と同様に、私は幼い頃から何の疑問も感じずに、
お盆になれば家族と墓参りをし、
クリスマスにはプレゼントを交換し、
新年には初詣に出向いて初日の出に手を合わせるという節操のない信仰生活を送ってきた。
揺るぎない宗教観をもって敬虔なる日々を生きている人から見れば、
今日私がここで書くことはふざけた文章に見えるかも知れないが、
学も信仰もない人間の戯れ言として流してもらえたらと思う。

今日の絵本、「かえるのうらめしやさん」は、私が大人になってから出会った絵本である。
初めて読んだ時、私の脳裏に真っ先に思い浮かんだのは、
「これって、例えばキリスト教徒の人が読むとどういう絵本に読めるのだろう?」
という疑問だった。
神の元へ召されたはずの人が年に一度ひょっこり帰ってくるなんてあっていいのだろうか。
彼らにとって、お迎えするご先祖様とは墓場から蘇ったゾンビに等しいのだろうか。
こんなにもユルい心和むタッチの絵本を眺めながら、そんなことを考えてしまう私の心は
信じるものを持たないが故にとんでもなく荒んでいるのだろうか。
→続きを読む
posted by えほんうるふ at 21:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | 宿題を思い出す絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月18日

父の記憶

うさこちゃんとうみ (1才からのうさこちゃんの絵本セット1) (子どもがはじめてであう絵本)うさこちゃんとうみ (1才からのうさこちゃんの絵本セット1) (子どもがはじめてであう絵本)
ディック ブルーナ

福音館書店 2000-12-01

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誠に残念なことに、私は父親に娘として可愛がられた記憶が無い。
いや、父親がいなかったわけではない。ちなみに今でも健在である。
自宅で商売をしていたので、仕事で不在がちだったというわけでもない。
ただ、たまたまその人に、血を分けた我が子を特別に愛でるという発想がなかっただけだ。

なにしろ、父との思い出で一番古い記憶と言えば、こんなものだ。→続きを読む
posted by えほんうるふ at 19:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | 嬉しくなる絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月19日

ギャップ萌えの衝撃

パイルドライバー (fukkan.com)パイルドライバー (fukkan.com)
長谷川 集平

復刊ドットコム 2004-03-01

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少し前、大人絵本会の仲良しさんが企画してくれたカラオケオフに参加した。
もともとツイッターだけで繋がったバーチャルな御縁だったはずなのに、
やたらと活発にオフ会が企画されるのが我が大人絵本会の意外な特徴なのだが、
カラオケオフという形でお互いに歌を披露したのは、意外にもこれが初めてだった。

いやー、楽しかったっす!!
同年代が多いので、似たような選曲で固まるかと思いきや、異様に広いレパートリー。
それでいて、「この曲いいよね〜」と思わず聞き惚れてしまう懐かしの名曲への思いは
シミジミと心通じ合えるところがまた、なんとも心地よいメンバー構成なのだった。

そして何より私が、これは非常に面白いな〜と密かに感心していたことは、
歌う姿を初めて見ることで、それぞれの仲間の印象が改まり新鮮に思えたことなのだ。
→続きを読む
posted by えほんうるふ at 18:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 目からウロコが落ちる絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月21日

きっと、いつかまた蘇る

なおみ (日本傑作絵本シリーズ)なおみ (日本傑作絵本シリーズ)
谷川 俊太郎 作  沢渡 朔 写真

福音館書店 2007-10-10

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幼い頃、時々泊まりがけで遊びに行った母方の伯父の家には、市松人形がいた。
寝室の婚礼ダンスの上で、ガラスケースの中から静かに私を見下ろしていたその人は、
幼い私を怯えさせるに十分な貫禄があり、私は一人でその部屋に入ることができなかった。
でも、夜はその部屋に親や兄弟と一緒に寝ることになっていたので、
一生懸命、そっち方向を見ないように布団をかぶって寝たのを覚えている。

後に、この「なおみ」という絵本に出逢ったとき、私は真っ先にあの人形を思い出した。
不思議と「怖い」というより「懐かしさ」に近い感情が心に浮かび、
そのことに自分で驚いた。
私はあの人形にいくらかでも親近感を持っていたのだろうか?→続きを読む
posted by えほんうるふ at 21:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | 怖い絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月04日

おおかみが泣いた日

やっぱりおおかみ (こどものとも傑作集)やっぱりおおかみ (こどものとも傑作集)
佐々木 マキ

福音館書店 1977-04-01

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私は泣いたことがない。
いや、私も人並みに映画や本に涙を流したことはいくらでもあるのだが、
卒業式だとかお葬式だとか、周りの人がガンガン嗚咽しまくっているような場に限って
何故か妙に落ち着いてしまい、涙が出てこなくなるのである。
泣くに泣けないクールな自分を持てあましては、しおらしく嘘泣きを目論見、
目頭をハンカチで押さえてごまかしたことは数知れず・・。

そんな私が昨日、その場の誰もが泣くどころかむしろニコニコと笑っている状況で、
ただ一人、号泣しながら積年の想いを語るということを経験してしまった。
自分でも想定外の事態で正直焦ったが、流れ落ちる涙はどうにも止まらなかった。


いったい何があったのかというと、
私が3年前に始めたtwitterの大人絵本会つながりのご縁で、
元福音館書店の編集者である関口展さんにお会いできたのである。
正確には、関口さんの講演会を企画された茅野市の今井書店の高村店長が、
「関口さんに、是非えほんうるふを紹介したい」と直々にお声掛け下さったのである。

なんということだろうか。
関口展さんは、「えほんうるふ」と「オトナノトモ」が生まれるきっかけとなった
私にとって人生で一番大切な絵本、「やっぱりおおかみ」を担当した名編集者さんなのだ。
しかも、講演のタイトルが「僕が好きな評判の悪かった絵本」とは心憎い。
もうそれだけでドキドキワクワクで、すっかり舞いあがり指折り数えて楽しみにしてきた。


そして待ちに待った当日。
関口展さんは、軽快な語り口で、かつて福音館書店において「母の友」「おおきなポケット」
「こどものとも」等、数々の月刊誌の編集長としてご自身が携わった作品をご紹介くださり、
その楽しくもシビアなプロの世界のエピソードにぐいぐい引き込まれた。
「わにわに」シリーズや、「ごろごろにゃーん」「あな」など、関口さん仰るところの
「大好きなのに何故か評判の悪かった絵本」は、やはり私も大好きな名作ばかり。
これをみんな関口さんが手がけていらしたとは、何かのご縁を感じずにはいられない。

そしていよいよ、「やっぱり おおかみ」である。
それまで穏やかな笑顔を浮かべ、いたって冷静に関口さんの話を聞いていた私は、
やおら姿勢を正し、不用意に取り乱さないようにと警戒態勢に入った。
それなのに、ああそれなのに。
関口さんが絵本を手に取り、ほんの数頁読み聞かせてくれただけでもう涙が溢れてきた。


「け」

「おれに にたこは いないかな」

「おれに にたこは いないんだ」



「おれににたこ」を探し続けた日々。
部屋の片隅で絵本を抱きしめて、何度も何度も「け」と声に出して自分に言い聞かせた日々。
自意識過剰で孤独でワガママでいきがっていた私を、ずっとずっと支えてくれた本だった。

今現在の、マイペースで厚かましくて物事に動じない顔をした私しか知らない人には
想像つかない姿かもしれないが、私にも確かにそんな頃があったのだ。
そしてあの頃があったから、今の私がある。

この絵本があったからこそ、絵本について語りたい思いがあふれ、このブログが出来た。
この絵本への想いも、ブログで改めて文章にしてみたら、何だかすごく勇気がわいてきた。
そして心に溜まった気持ちを吐き出すように、どんどん記事を書いていたら、
あんなに必死に探しても見つからなかった「おれににたこ」たちが、
ひとりふたりと現れ、びっくりしながらも、とてもとても嬉しくなった。

その後も細々とブログを更新し続けたことが、ツイッターを始めることにもつながった。
そしてツイッターで呟いてみたら・・・

そこには広い空があった。
ちょうど、あのおおかみのこが気球を放ったあの空のように、広い広い空が。


だからもう私には、おれににたこ探しは必要なくなった。
私は私のままでいいし、こんな私もこんな世界も、けっこう好きだと気がついたから。



・・・そんな想いがぐるぐるといっぺんに溢れてきて、瞳の端からぽたりぽたりと膝に落ちた。
慌ててタオルを取り出して、客席でそっと涙をぬぐっていたら、
いつの間にか質疑応答の時間になってしまった。
ふと視線を感じて顔を上げると、司会の高村店長が真っ直ぐに私に見て
ニコニコと笑いつつ意味深な視線を送ってくるではないか!
ヤバイ、これはヤバイ、ダメ、ゼッタイ!!と焦る私の必死の視線を笑顔でスルーして、
ここぞとばかりに私を指名する店長・・
グチャグチャの顔と気持ちのまま、立ち上がって皆さんに挨拶をすることになってしまった。

・・・正直、もう胸がいっぱいいっぱいで、何を話したのか良く覚えていない。
ただただ、この絵本を、恐らく万人ウケしないことを重々承知の上でこの世に送り出し、
私に出逢わせて下さったことに、とにかくお礼を言いたかった。
絶対に私だけでは無い、この絵本に支えられてどうにか大人になれた子ども達を代表して、
この想いを伝えたかった。

佐々木マキさん。関口展さん。

今井書店の高村志保さん。

この絵本に関わった全ての方々。

本当に、本当に感謝しています。愛してます。

ありがとうございます!!




こんなふうに、自分が号泣した話をことさら感傷的にブログに書き残すなんて、
タダでさえ思いこみの激しい人間が、思い切り自分に酔ってる残念な様を晒しているようで
よく考えれば人前で泣くことよりもっと赤っ恥もいいところだ。
でも、おばさんになって良かったことの一つは、恥をかくのが怖くなくなるのだ。
誰に笑われてもいい。私は私のためにこの話をここに残したい。

ちなみに、この文章を書く間も、やっぱり涙が止まらなくて、
もう私の顔は涙と鼻水ですごいことになっている。
かくして私は、涙は飾りじゃないということを改めて思い知るのであった・・。


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posted by えほんうるふ at 11:48 | Comment(6) | TrackBack(0) | 日々のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月21日

石の上にも百年

百年の家 (講談社の翻訳絵本)百年の家 (講談社の翻訳絵本)
J.パトリック・ルイス 作
ロベルト・インノチェンティ 絵
長田 弘 訳
講談社 2010-03-11

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100年住める家。
確か、どこかのハウスメーカーがそんなキャッチコピーを使っていたと思い、
検索してみたらコピーどころか社名にしている会社まであった。
それほど、長く住み続けられる家というのは魅力的なコンセプトなのだろうか。

古来、地域の気候や風土から木造住宅の文化が発展してきた日本では、
建物は須く戦火や災害により容易に焼失してしまうものとされてきた。
だからこそ、一部の神社仏閣のように、奇跡的に長期間原型が維持された建築物は
それ自体が富と権力の象徴として、無意識に私たちの心を惹きつけるのかもしれない。
まして、「一国一城の主」という言葉に象徴されるように、
戸建ての持ち家にこだわる人々にとっては、代々継がれる立派な家を建てることが
○○家の歴史に名を残す一大事業として捉えられてもおかしくない。

一方、この「百年の家」の舞台はどうやら、ヨーロッパである。
建築資材として昔から石が多用されてきた彼の地では、たとえ庶民の住宅であっても、
その家(の土台)はそう簡単には消失しない。
ならば永代に渡って一族が住み続けたかというと、そうもいかなかった。
絶え間ない宗教闘争や侵略戦争によって、住人は頻繁に移住を余儀なくされ、
人より堅牢な建物だけが変わらぬ場所で歴史を刻み続けることになったのだ。

この作品の主人公である「家」も、100年どころか、350年近い歴史をもつ建物らしい。
それほどの長い年月ともなれば、その定点観測に登場する人間の数も膨大になる。
何世代にも渡り現れては去る人間達の営みを、「家」はひたすら静かに見守っている。
淡々とした語りながら、その多事多難ぶりはまるで大河ドラマを観ているようで圧巻だ。


地震大国の日本にあっては、どのみち長らく保持できるものでもないのに、
個人資産として基本的に一家族が住むとされる分譲住宅と比べ、
期限毎に不特定多数の人間が住む家、つまり賃貸住宅は
あくまでも「仮の宿」として軽んじられる風潮がある。
住む側も、持ち家となればインテリアに凝ったり設備のメンテナンスも怠らないのに、
賃貸では安普請やリフォームの制限に甘んじるのが当たり前のように思っていたり…。

ところが、日本ならビンテージ扱いの古い住宅がごろごろしているヨーロッパでは、
家は天下の回り者という感じで、箱だけでなく家具までそっくりそのまま、
いわゆる居抜き状態で提供されることも多いと聞く。
だからこそ、縁あって新たにその家に住むことになった人間は、必要に応じて
遠慮無く気が済むまで手を入れるのが当たり前とか。

この両者の文化の違いを、
「人の一生とモノ(家)の一生のどちらを大切にしているか」
「過去・現在・未来のどの時点を軸に生きているか」
といった観点で考えると非常に興味深い。

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2012年12月19日

サンタに学ぶ「叱らない育児」

子うさぎましろのお話 (おはなし名作絵本 3)子うさぎましろのお話 (おはなし名作絵本 3)
文・佐々木 たづ 絵・三好 碩也

ポプラ社 1970-02

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私にとって絵本はあくまでも娯楽であり、
たとえ子供にそれを読み聞かせているときでさえ
育児という目的ではなくそのの合間の息抜きだと思っている。
だから絵本をしつけや教育の目的で読んだり読み聞かせたりしたことはないのだが、
何気なく読んだ絵本から親として何かを学ぶことは多々ある。

今日の絵本、「子うさぎましろのお話」の主人公ましろは、
幼く無邪気でちょっとやんちゃなうさぎの男の子だ。

ましろは、サンタさんから真っ先にプレゼントをもらったにも関わらず、
何とかもう一度プレゼントをもらおうと、別のうさぎの子になりすますことを思いつく。
そして、白い自分のからだに囲炉裏の炭をこすりつけて黒くすると、
大仕事を終えた帰り道のサンタのおじさんに声をかける。

「おじいさん、ぼくにも クリスマスのおくりもの ちょうだい。」

果たして、サンタクロースはすぐにそれがましろだと見破って、

「おまえは、白ウサギの子の”ましろ”だね。」

とあっさり断言する。
が、ここでめげずにしらばっくれるましろが可愛い。

「ううん、ちがう。べつの うさぎの子。ほうら、こんなに くろいところが あるよ。」

と言って、炭で黒くした自分の体を指さすのである。

さて、ここで私なら間違いなく「アホか!騙されるわけねーだろ!!」
・・とは言わないまでも、
あーはいはい、黒くしてみたのねー、でもバレバレですから。はい残念ねー。
てな感じでちゃんちゃん、と終わらせてしまうのだが、
そこはさすがサンタクロースのおやじさん、器が違う。
全く動じることなく、そうか、そうかと騙されてやるのだ。

もしかするとサンタの職業柄、こんなことは日常茶飯事でもう慣れっこなのかも知れない。
同じようなことを考える悪ガキは世界中にゴマンといるだろうし・・・。
それにしてもこの余裕っぷりは素晴らしい。

そうやって大人が騙されてやると、子どもは図に乗って本当に悪い子になるかというと、
そうではないらしい。
むしろ、嘘を信じてもらえたことで、幼いながらに良心の呵責に悩むのだ。
そうして、自分がしてしまったことへの恐れや後悔でその小さな心を痛めながら、
少しずつ少しずつ、失敗から学んで大人になっていく。
それは、大人に疑われ、叱りつけられてムリヤリ反省させられるより、
なんと自然で、確かな学びだろうか。

クリスマスの日に、無邪気な思いつきから怖い思いをしたましろは、
ささやかな購いを経て、少しだけ大人になった。
そして、どこまでも優しいサンタさんと神様から、素敵なプレゼントを受け取るのだ。

読んでいる方もホッとして、さらにワクワクと嬉しくなる、映画のような展開が見事だ。
木立の中で光り輝くもみの木や、清らかな鐘の音が今にも聞こえてきそうな豊かな文章表現が、
盲目の作者によるものと知ったときには、静かな感動を覚えたものだ。
聖なる夜に、全ての子どもとその親たちに、プレゼントしたい絵本だと思う。

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posted by えほんうるふ at 21:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | 大事なことを教わる絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月20日

ダークサイドの誘惑

キツネキツネ
マーガレット・ワイルド文
ロン・ブルックス絵

BL出版 2001-10

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久々に、重い本。
いや、久々どころか、今までこのブログで採り上げた作品の中でダントツのヘヴィーさ。
読む者の心の闇をのぞき見されるような、美しくも恐ろしい絵本でもある。

最初に読んだ時の衝撃を今でも忘れられない。
まずは絵に一目惚れ。
一頁毎にうっとりして、どきどきワクワクしながら読み進み、
まさかというかやはりというか、衝撃的ではあるがヒタヒタと予感があった展開に
心を鷲掴みされる感覚を味わった。
滅多に味わうことのない感覚だけに、怒濤のように溢れる言葉に出来ない想いに戸惑った。

それ以来、大好きで大好きで宝物のように思っていた絵本だけれど、
なかなか人に勧めることはできなかった。
まして子どもに読み聞かせるなんてことは思いも付かなかった。
人知れず傷ついた心を抱えている人や、柔らかく無防備な心を持つ小さな人たちが読むには、
なんだか要注意な絵本のような気がして、安易に紹介できなかった。

それでもいつかこの絵本をオトナノトモで採り上げる時には、
私にとって何よりも印象的だった、カササギの心の動きに焦点を当てるつもりでいた。

それぞれに傷を持つ弱い者同士・・イヌとカササギが平和に依存し合っていたところへ、
突如現れた闖入者、キツネ。
凄まじい画力でビシビシと伝わってくるキツネの奥底に秘めた憎しみや嫉妬は恐ろしかったが、
同時にその吸い込まれるような瞳の美しさに心惹かれずにはいられなかった。

カササギは、一目見たときからキツネを恐れていた。
怖い。近づいてはならない危険な存在だと、本能が告げている。
何より、警鐘を鳴らす本能に逆らうように、どこかでキツネに惹かれている自分が怖い。
そんなカササギの動揺を見透かしたように、キツネは容赦なく獲物を追い詰めていく。
そしてとうとう、カササギはキツネの誘惑に抗しきれず、大切なイヌを裏切ってしまうのだ。

だがそんなカササギを、果たして私は責められるだろうか。
なんてバカな奴だ、裏切り者め!とつぶやいたその気持ちの裏に、
どこか一抹の後ろめたさを感じはしまいか。
悲劇の予感に怯えつつも、見果てぬ夢にその身を賭けてしまったカササギの愚かさに、
共感してしまう気持ちがひとしずくもないと、私は言いきれるのだろうか。

ダークサイドの甘美な囁きに、ついに堕ちてしまったカササギ。
刹那の快感に酔いしれた後に待っていたのは、勝ち誇った悪魔の非情な仕打ち。
一瞬前の夢のような高揚感を一気に地へと叩き落とす、見事な暗転である。
自業自得と言い切るにはあまりに残酷なその展開に、
まるで自分が冷や水を浴びせられたように呆然としてしまったのは、私だけだろうか。

さて、いつもならここからさらに思いこみ激しくあーだこーだと書き連ねるのだが、
この絵本に関し、今の私に語れるのはこれが精一杯だ。
何故なら、今の私はまさに、かつて自分でうすうす危惧した通りに、
あまりこの絵本をじっくり堪能するに相応しくない精神状態なのである。
例えばそれは、容赦なく押し寄せる日々の現実に少々疲れてしまった平凡な主婦が、
それをつかの間忘れさせてくれる何か、いや誰かの出現を、
半ば恐れつつ、半ば期待しているような心持ち・・・
と言ったら、その危うさをお察しいただけるだろうか。


この先、今よりもっと心穏やかに過ごせる時がきたら、
私はこのエントリーを丸々書き直して、全く違うことを書くかもしれない。
でもそれまでは、
この絵本のエンディングに描かれた一縷の希望に号泣する日が来ないことを祈りつつ、
危うい平和を保った貴重な日々をよろめきながら歩き続けることだろう。

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posted by えほんうるふ at 20:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | 怖い絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする