2014年03月20日

好きを持続する力

あたまにつまった石ころがあたまにつまった石ころが
キャロル・オーティス ハースト ジェイムズ スティーブンソン

光村教育図書 2002-08

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この春、息子が小学校を卒業する。
卒業関連の学校行事の出し物の一環で、将来の夢を紙に書いて提出する機会があった。
珍しく真剣な顔をして机に向かっていたが、腕で手元の用紙を隠し、
なんと書いたのかは最後まで教えてくれなかった。
でも、きっと間違いない。
彼の夢は釣りか魚に関する仕事につくことだろう。

小学2年生の時に行った北海道旅行で渓流釣りを初めて体験して以来、
息子は釣りにはまってしまった。
都心在住故、小学生の子どもが一人で気軽に釣りを楽しめるような場所はなく、
近所の釣り堀や父親にせがんで数ヶ月に一度親子向け船釣り体験に行くのがせいぜい。
やがて、釣行への有り余る熱意と好奇心を持て余した彼は
とにかく釣りに関することなら何でもいいから学びたいと、
繰り返し繰り返し、自転車で行ける範囲の図書館をぐるぐると回り、
「釣り」関連書籍の棚が空になるほど、ごっそりと制限冊数いっぱい借りて来ては
朝晩貪るように読みふけるようになった。

正直、この情熱の何割かでも勉強に向けてくれたらと思ったことは一度や二度ではない。
しかし、一見ただの遊びで将来何かに役立つとはとても思えないその釣りへの情熱が、
彼に人生に必要なあれこれを学ばせ、成長を促してきてくれたようにも思う。

地図を見ながら、遠くまで一人で自転車で行けるようになった。

一人で電車とバスを乗り継ぎ、片道1時間の目的地へ辿り着くことができるようになった。

片付けや整理整頓が死ぬほど苦手なのに、釣り具だけは自分で収納方法を工夫し、
時にはラベルまでつけて大事に大事に管理するようになった。

何でも使いっ放しやりっ放しなのに、釣り具だけは帰宅直後に黙々と手入れをする。

釣った魚を自分一人で捌けるようになり、ついでに一人で一汁二菜ぐらい作れるようになった。

釣りという趣味を共有出来ないがため、学校で親しい友達が中々出来ずに孤立しがちだったが、
魚と釣りに関する知識では学校で一番であるという自信をつけ、こだわらなくなった。

釣り場で知り合った初対面の大人と臆せず世間話や情報交換ができるようになった。

外来種や環境汚染や自然破壊の話題になると、いつの間にかいっぱしの意見を言うようになった。


どれもこれも、ただただ釣り好きが昂じてそうなっただけだ。
だが、文科省が声高に唱えるほど教育現場が混乱するばかりの「生きる力」の教育が、
そこでは確かに、豊かな実体験と共に実践されて来たのだと思う。

そんな息子とその同級生の子ども達の為に、先日一冊の絵本を小学校で読み聞かせて来た。
それが今回のお題絵本、「あたまにつまった石ころが」である。

物語は、主人公の男性の娘の視点で語られる。


切手にコイン、人形やジュースのびんのふた。
みなさんも集めたこと、ありませんか?
わたしの父は子どものころ、石を集めていました。


そしてその「父」は、子どもの頃どころか、生涯を通じ石を集め続けたのだった。
彼は、ただただ「好きだから」というそれだけの純粋さで、
何の役にも立たない石ころをせっせと集め、それを学び研究してきた。
周囲にも身内にさえも「あたまに石ころがつまっている人」と言われながら。
戦争も、苦しい生活も、彼の石への情熱をそぐことはなかった。
そして、長年の一途な思いが晩年に実って、ついにはそれを生業とする幸運に恵まれたのだった。

これが実話がもとになった話だというのは、少々出来過ぎな気がするが
全ての子ども達に、やがて直面する現実と闘うためにファンタジーが必要なように、
世知辛い現実を日々生きる大人にもファンタジーが必要だとすれば、
これこそ良質な、心温まるお伽噺ではないだろうか。

どうか全ての子ども達が、いつか、自分だけの大好きな何かを見つけられますように。
そしてその「好き」の気持ちをずっと持ち続けていられますように。
そんな気持ちを込めて、この絵本を卒業を控えた六年生に読んで来た。
何を感じ取ってくれたか分からないが、少なくとも、いつもにもまして
子ども達が話に引き込まれ、集中して聴いている気配が伝わってきた。
そして帰宅した息子が一言、
「母さん、あの本すごく良かったよ。」
と言ってくれた。とても嬉しかった。


どれほど釣りが好きでも、「釣り人」では食べて行けないだろう。
さすがにもうすぐ中学生ともなれば、アホな我が息子でもそれは分かっているようだ。
でも、これほどの「好き」をこの先も持続できるなら、きっと心配はいらない。
その情熱や尽きない好奇心が、きっと自ずから彼の進む道を照らしてくれるだろう。
そしてどんな進路に進もうときっと待ち構えている、厳しい現実を生き抜く支えとなるだろう。

門出を迎えた子ども達よ、卒業おめでとう!



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2014年02月17日

美しきマイノリティ

おにたのぼうし (おはなし名作絵本 2)おにたのぼうし (おはなし名作絵本 2)
あまん きみこ作/岩崎 ちひろ絵

ポプラ社 1969-08

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今年もまんまとバレンタインの狂騒に踊らされた週末であった。
もちろんそれは私のように、お菓子を作ることも食べることも嫌いでなく、
あからさまに人に好意を示すことに特段の抵抗も無い女にとっては、
それなりに楽しいイベントであることは確かだ。
しかし、実際のところそれが単なるコマーシャリズムから発案された「似非年中行事」で、
その経済効果に利に敏い皆さんが寄ってたかって便乗しているに過ぎないという
恋も夢もへったくれも無いオトナの事情を重々承知のおばちゃんとしては、
知らぬ間に全国的に統一された「女性から男性へ」「スイーツ(+α)を贈る」という
何の根拠も無いルールに大人しく従って踊る阿呆に甘んじることに、
毎年一抹のいら立ちを覚えるのである。

そこへいくと、同じ二月の年中行事でも、由緒正しき日本古来の伝統行事である
「節分」のなんと清々しく自由なことか。
何しろ発祥は平安時代の宮中行事である。1000年の時を経て全国に広まるうちに
その土地ならではの発展を遂げ、そのしきたりも様式も地方により千差万別となった。
だからこそ、それは他の多くの日本の伝統行事と同じく豊かな多様性を持ち、
社会の最小単位とされる家庭や個人でのアレンジも寛容に受け入れられるのだろう。

ちなみに私は特定の宗教を持たない人間だが(強いて言えば自然崇拝だろうか)
個人的に、この「みんなちがってみんないい」感覚とでもいうか、
各々の信じるところの多様性を認め、その価値観の相違を尊重し合える、
八百万の神の国ならではの懐の深さこそが、我が祖国、あるいは我が日本国民が
本来持っている美徳の一つではないかと思っている。

また、「多様性」という言葉で私がいつも思い出すのは、
私がかつて数年間アルバイトとして在籍した某シアトル系コーヒーショップの
社是の一つであった、「多様性を認めよ」という言葉である。
それは恐らく、顧客一人一人の希望するカスタマイズを笑顔で受け入れよ、
或いはシーズン毎にめまぐるしく変わるメニューとそのレシピを受け入れよ、
という意味が第一義だったのかも知れないが、
共に働く仲間の多様性を受け入れよという意味でもあったように思う。
実際、ある意味その企業マインドに染まれる人しか居残れない風土であったせいか、
私の数多有るバイト経験の中でも、人間関係ではダントツに恵まれた職場であった。


というわけで今日も恐ろしく長い枕になってしまったが、絵本の話に入ろう。
今日の絵本「おにたのぼうし」は、まさにその節分という季節行事をテーマに
マイノリティの存在の美しさと脆さに光を当てた、非常に日本的な童話である。

主人公の小さな鬼の子おにたは、いわゆる鬼の所業などとは無縁の、
いたって気立ての良い鬼だった。
実際、おにたの生活は住み着いた家の住人の手助けこそすれ
災いをもたらすようなことはなく、鬼というより
むしろ守り神とか座敷童のような存在に描かれている。
その心優しいおにたが、偶然にも節分の日にある女の子と出会い、
その子の不遇ぶりを知って、いても立ってもいられずある行動を起こす。
拙いその好意が、予期せぬ展開へとつながることも知らずに・・・。

最後におにたがつぶやく、一言が痛い。

「おにだって、いろいろあるのに。
 おにだって・・・・・・」


そしておにたは、少女の心の中でかみさまになった。


あまりに美しいストーリーに、これまた美しすぎるいわさきちひろの
挿絵が添えられ、反則か!と身悶えするぐらい美しい絵本なのだが、
それが未だ陳腐に感じられず何度読んでも色褪せないのは、
希代のストーリーテラーあまんきみこによる、
散々ものがたりに引き込んだ読者を最後にふっと一人にするような、
絶妙に後を引くエンディングのせいだろうか。
読む度に、「お母さん、また泣いてんの?」と
子どもに呆れ笑われながらも、私は結局瞼が潤んでしまうのである。


実在するか否か、また一般にどう認識されているかはともかく
人智の及ばない存在があったとして、
それを善とするか悪とするかを決定するのは、
現実に即してそれを受け入れる側の心根次第なのだろうと思う。
ならば鬼が棲むのは家ではなく
人の心の中なのではないだろうか。

と、ここで我が家の節分の豆まき風景を思い出す。
実際にそのセレモニーを各家庭でどう行っているのか私は知らないが
我が家の場合は、家族が交代で平等に鬼役を引き受ける。
鬼ターンになったら一旦部屋から出て、お面をつけて改めて入場する。
残りの人間は手に炒り豆を握りしめて待ち構え、
入って来た鬼に向かって「鬼は外!福は内!」と叫びながら
力の限りに豆を投げつける。(そしてこれが結構痛い!)
そして全員が鬼ターンを終了したら、仲良く這いつくばって
数なんか無関係に散らばった豆をひたすら拾い食いしまくるという、
ちょっと他人には見せられない野蛮な儀式になっている。

しかし、だ。
鬼が人の心の中に棲む者なのだとしたら、
この一見ど田舎のエクソシスト祭りのごとく怪しすぎる
我が家の豆まきこそ、正しい鬼退治の手順に思えなくもない。
きっと、ぶつけられた豆が痛ければ痛いほどご利益があるのだろう。


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posted by えほんうるふ at 22:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | 泣ける絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月21日

思いつくだけなら猿でも出来る

おもいついたらそのときに!おもいついたら そのときに!
西内 ミナミ作  にしまき かやこ 画

こぐま社 1983-11

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私は何事も長続きしない性格で、幼い頃から続けて来た習い事なんてものが何一つない。
それなのに、ほんの思いつきで始めたこのブログが今年の3月に開設から9年目を迎えることに気がついて、我ながら驚愕している。
あえて自分にノルマを課さず「書くことを探さず、書きたくなったら書く」をモットーに、
ダラダラ月1回ペースでやってきたのが良かったのだろうか。
気がつけばなんと来年は十周年である。まさかの事態だ。
一年前倒しして盛大に祝いたいぐらいだが、そこはやはりここまで来たらあと一年、
こんな私でも何かを十年継続できた証とすべく地道にダラダラと行こうではないか。

開設時から今まで読み続けてくれている読者なんて、いるのかしら。
もしいらっしゃいましたら、どうぞあと一年耐えてみて下さい。
来年の3月、ご愛読十周年記念に私のサイン入り生写真でも差し上げましょう。

さて、思えば私にはもう一つ、このブログ以上に長く続けていることがあった。
それが、日記である。
ネット上のものではなく、いわゆる昔ながらの、ノートに手書きの日記。
それを私は、子どもの頃から現在に至るまで書き続けているのである。
一番古いのは小学校高学年時代のもので、近所のファンシーショップ
(という営業形態は、絶滅したのだろうか)で買ったファンシーなノートに、
マセガキのファンシーな戯れ言がファンシーな字体で書き連ねてあるという、
存在を思い出す度に身の毛がよだつ代物である。
が、折角思い出したので敢えてここでその冒頭を公開するという
羞恥プレイに挑んでみよう。

「昭和57年12月2日
やっと今日から日記が書ける。
たった一人で、嫌なこともよかったことも、この中におしこむんだ。
そうだ、このノート大大親友にしか見せないことにしよっと。
エヘ、おなか、ぐぅ〜なんていってる。」


ぐぬぬ・・・我ながら想像以上のポエマーぶりに、公開はこれが限界である(汗)。
自分がいつか不慮の事故で死んだりして、まかり間違ってこの続きが
ネットで公開なんぞされようものなら、私はとてもじゃないが成仏出来ないであろう。
さて、いつどうやって安全に処分したものか・・。

話が逸れた。
そもそも日記の話を持ち出したのは、今日のお題絵本に関係があるからである。
今日の絵本「おもいついたら そのときに!」は、ぶっ飛んだ内容に元気が出る
新年にぴったりの絵本で、過去にも拙ブログで取り上げているので、
内容に即したレビューはこちらをご参照いただけたらと思う。
今回は、その過去ログを自分で読み返していて、感じたことを書いておこう。

ぶっちゃけ、それはまるで昨日書いた文章のようだった。つまり、
当時から全く進歩していない自分の成長の無さを思い知らされたのだった。
というのもこの正月、愛用の石原出版社謹製10年日記(通算3冊目)の年頭頁に
今年の抱負を記そうとした私は、ふと前頁を読み返し、そこに箇条書きにされた
去年の抱負がほとんど全滅に近い達成率であることに気づいて愕然とした。
そしてあれこれ考えあぐねた末に、結局2年連続で同じ抱負を書いたのである。

そして目標とは別にこれまた毎年この頁に記すことにしている「今年の心がけ」
もまた、ほぼ内容を更新すること無くそのまま今年も引き継がれることになった。
そのうちの一つが、ここ数年毎年書いている、
「雑用はその場ですぐ処理して、後回しにしない」なのだ。
まさに思いついたらその時に!どころか、まず思い立て!というレベルの低さである。

果たして私は来年の年頭頁に、恒例のなし崩しの継続案件ではなく、
新たな目標を打ち立てることができるのだろうか。
そうだ、それこそ来年の目標とすべく、今年の頁に一筆書き加えておくことにしよう。
「せっかく思いついたことを、一つでもやり遂げること」と。


ちなみに去年私が日記に記した新年の抱負の中で、
唯一達成出来た目標とは、「月1回の大人絵本会継続開催」であった。
これは本人の努力の結果というより、ひとえに参加者の皆さんの支えの賜物である。
今年も感謝の気持ちと共に、この希有な大人の時間を重ねて行きたいと思っている。
大人絵本会ご愛顧の皆様、今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

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2013年12月17日

気になる箱の中身

クリスマスの ふしぎな はこ (幼児絵本)クリスマスの ふしぎな はこ (幼児絵本)
長谷川 摂子 斉藤 俊行

福音館書店 2008-10-10

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毎年11月最後の日、子ども達が寝静まるのを待って私はゴソゴソとクローゼットから
あるものを引っ張りだしてくる。
それは、アドベントカレンダーである。

アドベントカレンダーとは、クリスマスまでの24日間を数える為に作られた、様々な工夫
を凝らしたカレンダーのことで、古くは19世紀初頭のドイツで始められた習慣という。
例えばポスタータイプのものだと、紙面に24個の小さな窓や扉が付いていて、
アドベント(イエス・キリストの降誕を待つ期間)の期間中、毎日ひとつずつその窓を
開けていき、すべての窓を開け終わるとめでたくクリスマスを迎えたことになる。

ちなみに我が家のアドベントカレンダーは、
十年ほど前にスターバックスで買ったもので、
小さな引き出しをツリーの形に積み上げた形をしていて、
一つ一つの引き出しに1から24までの日付が付いている。
日付の反対側の側面にはそれぞれ絵が描かれていて、
日付順に開けてひっくり返していくと、最後にはツリー型の
一枚の絵柄が完成するというなかなか楽しい仕掛けである。
(ちなみに無印良品でも同じデザインで無地のものが売られている)

そして私が毎年11月30日の夜に準備するのは、この小さな24個の引き出しそれぞれに、
子ども二人分の小さなお菓子をあれこれ詰めるという作業なのである。
何しろ一辺3.5cmの小さな立方体なので、詰められるお菓子(それもふたり分!)は
かなり限定される。
それでも、チロルチョコやらハイチュウやらキャラメルやフーセンガムなど、
普段あまり買わない細かいお菓子をあれこれ買って来ては、毎日違う物が出るように
工夫しつつ、ちまちまとその小さな箱に詰めて行くのは、面倒ながらも楽しい作業だ。
我が家の子ども達は、毎年12月のこの時期だけは、朝起きるなり毎日違ったささやかな
「おめざ」にありつけるというわけで、毎朝二人とも競うように起きてきては、
その日の引き出しを開けて嬉しそうに分け合っているのが微笑ましい。


さて、毎年12月にはクリスマス絵本をとりあげてきたが、
今日の絵本「クリスマスのふしぎなはこ」は、クリスマスイブに
刻一刻と中の様子が変化するふしぎな箱を手に入れた男の子のお話だ。
待ちに待ったお楽しみの瞬間までの時の経過を楽しむという趣向が、
ちょうど少しずつ開いていくアドベントカレンダーのように楽しくて、
印象に残った一冊である。

男の子が縁の下で見つけた小さな木彫りの箱には、なんとサンタさんが入っていた。
それはまるで遠い彼の地のサンタクロースの仕事ぶりをモニターするかのように、
男の子が覗き込む度にその進捗具合を見せてくれるふしぎな箱だったのだ。
箱庭やドールハウスを覗き込むような愉しみと、目的地に向かって、
着実にサンタが働いている様子を確認しては、否が応でも高まる期待。
男の子が箱を覗き込む度に、読んでいるこちらも思わず
サンタの仕事の進展具合が気になって、どきどきワクワクしてしまうのだ。

おそらく今の技術をもってすれば、このような箱を
実際におもちゃとして作ることは可能なのではないかと思う。
箱の中でホログラムを映写するような装置を作り、実際の日付をカウントして
箱が開けられる度にそれぞれの日用にプログラムされた映像が再生される、
ちょうどハリー・ポッターに出てくる日刊予言者新聞のようなイメージだ。
一年に一時期、たった24日間しか動かないからこそ、
それはとても贅沢で素敵なおもちゃに思えるのではないだろうか。

そういえば、私がこの絵本を読んでもう一つ思い出したのが、
たむらしげるさんの往年の名作CD-ROM作品「ファンタスマゴリア」である。
それは、美しく不思議な惑星ファンタスマゴリアの中を、あちらこちらへと旅して
行く先々で繰り広げられるささやかなイベントをアニメーションで楽しむという
とても楽しい作品であった。
95年に発売されたそのCD-ROMを私はこよなく愛し、毎日毎晩眺めていたのだが、
場所によっては、何度訪れてもほとんど同じ光景しか見られない場所があった。
その一つが「サンタクロース村」で、いつ行っても誰もいなくて、ひっそり
静まり返ったサンタ型の家々が物悲しく見えるほどなのだが、その村が年に一度、
12月になったとたん活気を取り戻し、わらわらとサンタ達が画面に現れて
忙しそうにプレゼントの準備をする様子が眺められるのである。
最初に見たときはその鮮やかな季節感の演出にいたく感動し、
大声で家族を呼んでしまった。そしてこれまた飽きずに毎日眺めたものだ。

残念ながら今の私のMacでは最早このCD-ROMは上手く作動しないのだが、
たむらさんの絵本「サンタのおもちゃ工場」に、その年に一度の活気溢れる
サンタ村の様子が描かれている。
残念ながら上記のCD-ROMも絵本も現在は入手困難になっているが、
たむらしげるさんのオフィシャルサイトで画像が紹介されているので、
是非ご参照いただきたい。
Tamura Shigeru Studio

それでは今年も、皆様に素敵なクリスマスが訪れますように。
メリー・クリスマス!!

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2013年11月25日

あなたのしろねこになりたい

しろねこくろねこ (絵本単品)しろねこ くろねこ
きくち ちき

学研教育出版 2012-01-31
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絵本としてこの世に出る出版物の多くは、子どもを読者として想定されているはずだが、
時にそこに描かれている人間関係はどきりとするほど大人びていて、
実際にそれに近い関係や状況を経験したことのある、元・子どもがうっかり読んでしまうと、
心に思いがけず大きな波紋を残すことがある。
例えば、世に無数にある、仲良しの「ともだち」としてつがいの動物が登場する絵本。
幼い子ども達がこれらの物語に触れた場合、家族以外の親密な関係として大好きな友達を
思い浮かべるのが普通なのだろうが、それこそ散々酸いも甘いも噛み分けた大人が読めば、
そのまま生々しい恋愛ものに読めてしまうような、濃密な関係が描かれている場合も、ある。
私はそういった、同じ絵本でも年を追って読み返すごとに違う味わいを醸し出す、
或いはどんどん味わい深くなっていくような作品が大好物なのだが、最近また一つ、
そんな経年熟成を長く愉しめそうな逸品に出逢うことが出来た。
それが今日の絵本、きくちちきさんの「しろねこ くろねこ」である。


白い毛のしろねこ、黒い毛のくろねこ。
対照的な二匹のねこは仲良しで、いつも一緒。
でも、その毛の色が象徴するように、
どこへ行っても当たり前に賞賛され可愛がられるしろねこは日向の存在で、
どこへ行っても平然と侮辱され時に見過ごされてしまうくろねこは日陰の存在。
それでも二匹はそれぞれ自分に無いものをもつ相手に惹かれ、常に寄り添っていた。
共に敵と戦って血塗れになってもなお幸せそうな二匹の姿に思い知らされる、
二匹の絆の深さ、その愛の強さ。
それでも、その宿命的な陰陽の違いを思い知らせるように世間の目は残酷で、
傷ついたくろねこは、いつしか走り出す。

はしっていました
そして しらないみちを あるきつづけました


当て所なく、ただただ自分の背負っているものから逃げ出すように、
ひとりで疾走していくくろねこの姿は、私の心にグサグサと突き刺さった。
そして、そんなくろねこのあとを、ただゆっくりと静かについていくしろねこの姿も。

このわずか4頁の見開きをめくる度に、私はどれほど涙を流したことだろう。

やがて二人が辿り着くのは、静かで、どこまでも広がる色彩の海。
そのどこまでもやさしく、美しい済いの海に抱かれ、ようやくくろねこは気づく。
しろねこが、自分にしかないものにこそ、価値を見いだしていることを。
そして自分も、しろねこにないものを持っている自分に胸を張ればいいことを。

どんなに幸せでも、その幸せに本人が気づかないほど不幸なことはない。けれど、

ぼくは くろねこ


改めてそう呟いたくろねこのことばには、それまでとは違う誇らしさがこもっている。
ここで私は再び、泣きたいほど嬉しく、くろねこを抱きしめたい気持ちになる。
よかったね、くろねこ。本当によかったよかった。


しろねこと くろねこが いました
しろねこは くろねこが すきでした
くろねこは しろねこが すきでした
2ひきは いつも いっしょに いました


再び、登場シーンと全く同じように描かれる、寄り添って過ごす二人の姿。
無造作と言っていいほどラフなタッチで、それぞれの表情さえ分からないのに、
そこにはもはや、不安な光はない。
小さな気づきと共に大きな幸せを得た二人の、迷いなく堂々とした後ろ姿は、
それを見つめる読者までを包み込むあたたかさに満ちているのだった。


というわけで、
せっかくこんなにも素晴らしい経年熟成を愉しめそうな作品に出逢えたのに、
昨年度発行されたばかりで私の子ども時代にはまだ無かった作品故に、
このドラマの幼い自分の無垢な心ならではの純粋な(であろう)感想を
知り得ないのが非常に残念である。
そして、既に人生の裏も表もうんざりするほど経験値を重ねてしまった今の私には
このしろねことくろねこの関係が、どうしても単なる親友ではなく
赤い糸で結ばれた男女(いや別に男男でも女女でもアリだとは思うが)、
というか、とにかく運命的な恋愛を描いたものに見えてしまうのである。
そのせいか、この文章を書いていても、いつの間にやら二匹が二人と言い換わり、
完全に人のそれとしてこの関係を捉えては遠い目になりがちな自分がいて、
我ながら思い込みの強さに笑ってしまう。

そもそも私は「友達」には、自分の内面について、ここまでの深い理解を
期待してはいけないと思ってきた節がある。
確かに、お互いの痛みやコンプレックスを分かち合うことが絆を深めるのは確かだが、
重すぎる荷を負わせたが為に、相手を遠ざけたり逆に過剰に干渉されて辟易したり、
とにかく後味の悪い結果になってしまうことは、往々にしてある。
もともと友達の少ない私には、そんなリスクは冒せなかったのである(涙)。

ならばさらに貴重な存在である恋人なら、なおさらリスク回避すべきとも言えるが、
私の場合は逆に、恋人だからこそ、そこは避けてはならぬと思って来たのである。
荷が重いと逃げ出すようならその程度と逆に潔く諦めがつくというか、
むしろそこで相手の真価を質すべし、と私の本能が囁いてきたからだ。
まさに当たって砕けろ型恋愛。ええ、たくさん粉々にして来ましたとも。
ちなみに今のところ、最長耐久記録は20年で現在もレコード更新中である。
とは言え、さすがにだいぶヒビがはいっているらしく、どこまで持つことやら・・・。


ところで先日、茅野で書店を営む友人の高村志保さんのお店で、素敵なイベントが催された。
それは、この「しろねこくろねこ」の作者であるきくちちきさんのライブペインティングを、
シタール奏者井上憲司さんの生演奏を聴きながら楽しめる!
という、何とも贅沢な企画だった。
全く畑違いの世界でそれぞれ活躍中のアーティストのお二人が、この希有な縁で出会い、
そこで生み出された一期一会のハーモニーは、まさに視覚と聴覚に鮮やかに響くものだった。
私自身、何ヶ月も前から楽しみにしていたイベントで、東京からも多くの仲間が集い、
素晴らしく濃密であたたかい時間を過ごす事が出来た。
当日の詳細は、仲良しのツイッター仲間の皆さんがそれぞれに
素晴らしいレポートを既に公表してくれているので、どうぞご覧いただきたい。

@shiromachiさんのワタシノスキナコドモノ本より
 【イベント】きくちちきさんライブペインティング in 茅野 に行ってきました(その1)

@greenkakoさんのみどりの緑陰日記より
 「きくちちきさんライブペインティング@茅野」

*私も書いたよ!という方、是非ご一報ください。追記させて頂きます。

まさに芸術作品が生まれる作品に立ち会うという、非常に貴重で刺激的な体験が
できるイベントだったのだが、そこで私が感じたのは興奮や熱狂的な感動というより
しみじみとこの場にいられる幸せ、のようなものだった。
その理由の一つは、この日私たちに惜しげも無くその貴重な時間を提供して下さった
お二人の芸術家が、もしそのお仕事を知らなかったとしても友達になりたいような、
人としての魅力にあふれる素敵なキャラクターの持ち主であったからかもしれない。
そして、そんな面までも感じられるようなアットホームなイベントを企画してくださった、
今井書店の高村店長には、ただただ感謝である。
素晴らしい作品と素晴らしい人々とに出逢う、素晴らしい時間。
人生、たまにはこういうご褒美がなくっちゃね、としみじみうれしく思った日であった。


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2013年11月04日

なんだかうれしいを重ねて

なんだかうれしいなんだかうれしい
谷川 俊太郎

福音館書店 2002-11-30

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私がこの大人絵本会をスタートしたのは、3年半以上も前になる。
2010年3月25日に開催された、第1回目のお題絵本は「100万回生きたねこ」だった。
あれから月一回ずつ、細々と回を重ね、先日ついに50回目を迎えた。
50回。何をやっても長続きしなかった私にとって、この数字は驚異である。
ましてこの三年半は、日本社会にとっても大きな波にもまれた激動の時代といっていい筈で、
何の制約も囲いもないこの小さな集まりが、その全てを乗り越えて
ここまで続いてきたことに改めて感慨を覚える。

あまり形式ばった事を考えるのは苦手な私でも、
この記念すべき節目の回のお題を考えるにあたってはやはり、
ただ回数を重ねて来られた達成感以上の思い入れがあった。

この活動を今まで支えてくれた参加者の皆様へ感謝の気持ちを伝えたい。
せっかくだから、何か新しいこと、今までやったことがないこともやってみたい。
できれば、大人絵本会はもとより、絵本を全く知らない人でも楽しめる会にしたい。
つまり、お題作品を読んでも読まなくても参加出来ちゃう回にしたい。


そんなことを考えていたら、自然と一冊の絵本が思い浮かんだ。
ずっと前に読んだ事のある、ちょっと変わった絵本。
谷川俊太郎さんの、「なんだかうれしい」だった。
もしや・・と嫌な予感がして調べてみたら、やはり絶版らしい。
でも、もう私の心は決まっていた。

そもそも、ここまで一つのことを続けて来られたのは、私の根性でも意地でもなく、
ただただ、それが楽しかったから、手軽だったから、
なにより、何の技術も専門知識もお金も人脈もない自分が、
誰でもアクセスできるネット上に、ほんの一時、ささやかながら、
誰かと一緒に好きなものについて思う存分語りあい、笑ったり泣いたりできる居場所を
作り出せるということ、そしてそれを楽しみにしてくれる人がいるということ
が、
とにかく、なんだかうれしかったからだ。
なんだかうれしいを続けていたら、気がついたらそれが私の大切な生活の一部となり、
もしやこれが私のライフワーク?とまで思えるようになっていた。
ただそれだけなのだ。

やはり、今回のお題は、これしかない!

そして、いつもこのブログで発表する大人絵本会の告知文は、
この回に限っては、いつもより少し長くなった。
せっかくなので、ほぼ原文のままここに、再掲しておこう。


第50回大人絵本会


日時:10月22日(火)午後10時より約2時間

お題:「なんだかうれしい」

谷川俊太郎+だれかとだれか 作



<注意!第50回大人絵本会は、なんと宿題があります!>

今回のお題「なんだかうれしい」は、残念ながら絶版だそうですが、
幸い多くの図書館で所蔵されているようです。
http://calil.jp/book/4834018814
でも、もし当日までに見られなくても、大丈夫です。
なぜなら、この「なんだかうれしい」という絵本は、
誰もが自分の心の中に作れる作品だからです。

絵本の内容は、見開きごとに写真や絵で表現された「なんだかうれしい」瞬間
そのそれぞれに、谷川俊太郎さんがことばつけているという、
写真集のような画集のような詩集のような楽しいものです。

そして私は思ったのです。

作中に出てくる、子どもならでは(?)の無邪気な「なんだかうれしい」はもちろん素敵だけど、
経験豊かなオトナならではの、バラエティに富んだ「なんだかうれしい」が集まったら、
それはそれで、なんだかすごくたのしいかも!?

そこで、今回の宿題です。

あなただけのとっておきの「なんだかうれしい」瞬間を、どうぞ思い出してみてください。
これは絶対みんなにも共感してもらえるはず!という自信作でも、
これは私にしか分かるまい!というこだわりの視点でも、大歓迎です。
言葉でも、絵でも写真でも、ツイッターで呟ける内容なら表現方法は問いません。
そして上記の開催時間中に、 #なんだかうれしい タグをつけて、じゃんじゃん発表しましょう!

例:ホットケーキがまんまるに焼けた。 #なんだかうれしい

今回に限り、いつもの#ehonbc タグは一緒に付けても付けなくてもいいです。
#ehonbc または #なんだかうれしい 
どちらかのタグが付いていれば、まとめ編集の対象とみなします。
大人絵本会を全く知らない人でも、たまたま誰かの #なんだかうれしい を見かけたら、
なんだか面白そう!って飛び入り参加してくれるかもしれません♪


たくさんのいろんな「なんだかうれしい」を集めて、
「なんだかたのしい」&「みんなでうれしい」夜にしましょう!





さすが、大人絵本会の常連の皆さんは、私が太鼓判を押す上質な変な大人だけあって、
この突然の宿題宣言を面白がって歓迎してくれた。
そして、開催日までの普段の毎日を、いつもよりちょっと視点を変えて
「なんだかうれしいことさがし」を楽しんで過ごしてもらえたらいいな、という
私の思惑通りに捉えてくださった方も少なからずいて、やはりとても嬉しかった。

そして迎えた10月22日の夜。
第50回大人絵本会は、いつもにも増して、素敵な夜になった。
その記録は、ここにある。
http://togetter.com/li/573486
本当にたくさんの人の嬉しい気持ちが詰まった、一生の宝物にしたい記録だ。

どうか、一人でも多くの人に、私のこの思いを共有してもらえますように。
そしてこの回に限らず、今まで開催して来た大人絵本会に一度でも参加してくださった
全ての人に、心からの感謝を伝えたい。
いつも大人絵本会を支持してくださって、本当にありがとうございます!!
なお、当会は今後もこの調子でひたすらマイペースに続けて行く所存です。
主宰の都合と嗜好に思い切り偏った、ゆるゆるな運営もきっと変わらぬことでしょう。
こんな私でよかったら、どうぞこれからも末永く、おつきあいくださいませ。

posted by えほんうるふ at 13:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | 嬉しくなる絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月24日

最後の晩餐に食べたいもの

きょうのごはんきょうのごはん
加藤 休ミ

偕成社 2012-09-13

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誰でも一度は考えたことがあるのではないだろうか。
もし明日、自分が死んでしまうとして、最後の夕食に好きなものを食べられるとしたら、
自分は一体何を食べるのだろうか。

もちろん、最後の願いだから、どんなものでも制限無く美味しく食べられると仮定して。
それでもこういう時、世界の三大珍味なんて選ぶ人はあまりいないだろう。
よほど好物ならともかく、わざわざ最後のチャンスに食べつけないものを食べて、
期待外れだったりしたら、こんな悲惨なことはない。
第一、長旅には履きなれた靴を履いていくのが鉄則と言うではないか。
これから長い長い異境への旅に出るというのに、途中でお腹の具合が悪くなっては困る。
ついこれが最後と舞い上がって食べ過ぎそうなゴージャスなご馳走など以ての外だ。

そこで私も改めて、自分が「最後の晩餐に食べたいもの」を考えてみた。
うん、やはりここは、せめて心の空腹を満たして安心して逝けるよう、
最後の晩餐には100%不安のない、食べ慣れたいつもの味を口にしたい。
従って第一条件は、和食。
それも、寿司や天ぷらやすき焼きといった「ハレ」メニューでなくていい。
何でもない普通の日に当たり前に我が家の夕餉の食卓にのぼる、「ケ」の料理がいい。
つまり、焼き魚だとかひじきの煮物だとか金平牛蒡だとか胡瓜の糠漬けだとか、
炊きたての白いご飯とみそ汁に合う、いつもの我が家のごはんが一番安心だ。

えーっ!最後なのに、そんなんでいいの?
と思ったそこのアナタに、是非読んでいただきたい絵本がある。
加藤休ミさんのきょうのごはんである。
見よ、この表紙の秋刀魚の塩焼きの圧倒的な存在感を!
それだけじゃない、この絵本にはまだまだ凄まじく美味しそうな料理が待ち構えている。
日本人なら誰もが、ページをめくった瞬間に思わずよだれを飲み込む見開きがあるはずだ。

私も最初は、ただただそのシズル感溢れる食べ物の絵の画力に圧倒されるばかりで、
果たしてこの表紙だけでご飯三杯いけるかどうか実験してみたいとさえ思ったものだ。
今でも、空腹時にこの絵本を手に取るのは非常に危険というか、理性が本能に負けて
とにかく目が絵の一点に釘付けになってしまうのでまともに鑑賞ができないのである。

でも、できれば、お腹が空いていない時にでも改めてこの絵本を読んでみてほしい。
誰もが目が吸い寄せられる食べ物の絵からほんの少し視点を広げてみれば、
そこに料理以上においしい空気が描かれているのが分かるだろう。
オシャレでもゴージャスでもなく、いつものように生活感あふれる我が家。
そこで供される、なんでもない日の、なんでもない食事。
でもその食卓には、なんでもない日ならではの、寛いだ家族の笑顔が並んでいる。
唯一、おじいちゃんの長寿祝いだろうか、非日常の「ハレ」の日の食卓も描かれてはいるが、
後で思い返せば、一番失いがたい時間はやはり、なんでもない日常の風景ではないだろうか。

そう思って、この絵本を改めて最初から見返してみる。
こんなふうに家族が揃って食事をともに出来る時間なんて、案外短いのかもしれない。
そんな時間をいつの間にか失って、何年も経ったある日、私は思い出すのだろうか?
最後にもう一度、あの日の空気を味わいたいと・・。

もし、人生最後に好きなものを食べる自由があるならば、
やはり私は、自分が毎日作って家族と共に食べて来たいつもの食卓を再現したい。
それも特別高級食材なんか使わず、いつも通りのそこそこの食材を使って、
いつものように家族それぞれの好物を一品ずつ取り入れて、
「やったー!いただきまーす!!」の声が聞こえる、あの食卓を。

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posted by えほんうるふ at 09:04 | Comment(2) | TrackBack(0) | よだれが出る絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月26日

自分だけの音色

ルラルさんのバイオリン (いとうひろしの本)ルラルさんのバイオリン (いとうひろしの本)
いとう ひろし

ポプラ社 2001-09

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世の中には人それぞれの趣味趣向に応じて様々なお稽古ごとが存在する。
幼児から老人まで、対象も幅広く豊富にある習い事の中から一つを選ぶ理由も様々だろう。
純粋にそれを学んでみたいから、という向学心と知的好奇心に溢れた人もいるだろうが、
限られた金と時間とを費やすことを思えば、普通はもっと下世話な理由が先にくるはずだ。
曰く、何が何でも我が子の才能をもれなく見いだし最大限引き延ばしたいとか。
何が何でも金儲けに繋げて爪に火を灯すような困窮生活から逃れたいとか。
何が何でも一芸を身につけて孤独な将来に備えたいとか。
そういった切羽詰まった事情で必死な皆さんを除けば、
全ての人が目の色変えて習い事に走るその理由はただ一つ、モテたい!!

もとい、愛されたい。と言っておこう。
これに集約されると私は断言できる。→続きを読む
posted by えほんうるふ at 23:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 嬉しくなる絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月25日

お盆の気配

かえるのうらめしやさん (カラフルえほん)かえるのうらめしやさん (カラフルえほん)
戸田 和代 よしおか ひろこ

岩崎書店 2005-05
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正直なところ、私は宗教について義務教育以降にまともに勉強したことがない。
そして多くの日本人と同様に、私は幼い頃から何の疑問も感じずに、
お盆になれば家族と墓参りをし、
クリスマスにはプレゼントを交換し、
新年には初詣に出向いて初日の出に手を合わせるという節操のない信仰生活を送ってきた。
揺るぎない宗教観をもって敬虔なる日々を生きている人から見れば、
今日私がここで書くことはふざけた文章に見えるかも知れないが、
学も信仰もない人間の戯れ言として流してもらえたらと思う。

今日の絵本、「かえるのうらめしやさん」は、私が大人になってから出会った絵本である。
初めて読んだ時、私の脳裏に真っ先に思い浮かんだのは、
「これって、例えばキリスト教徒の人が読むとどういう絵本に読めるのだろう?」
という疑問だった。
神の元へ召されたはずの人が年に一度ひょっこり帰ってくるなんてあっていいのだろうか。
彼らにとって、お迎えするご先祖様とは墓場から蘇ったゾンビに等しいのだろうか。
こんなにもユルい心和むタッチの絵本を眺めながら、そんなことを考えてしまう私の心は
信じるものを持たないが故にとんでもなく荒んでいるのだろうか。
→続きを読む
posted by えほんうるふ at 21:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | 宿題を思い出す絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月18日

父の記憶

うさこちゃんとうみ (1才からのうさこちゃんの絵本セット1) (子どもがはじめてであう絵本)うさこちゃんとうみ (1才からのうさこちゃんの絵本セット1) (子どもがはじめてであう絵本)
ディック ブルーナ

福音館書店 2000-12-01

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誠に残念なことに、私は父親に娘として可愛がられた記憶が無い。
いや、父親がいなかったわけではない。ちなみに今でも健在である。
自宅で商売をしていたので、仕事で不在がちだったというわけでもない。
ただ、たまたまその人に、血を分けた我が子を特別に愛でるという発想がなかっただけだ。

なにしろ、父との思い出で一番古い記憶と言えば、こんなものだ。→続きを読む
posted by えほんうるふ at 19:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | 嬉しくなる絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする