2016年04月25日

憧れの樹上生活

おおきなきがほしい (創作えほん 4)おおきなきがほしい
佐藤 さとる/村上 勉

偕成社 1971-01

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小学校低学年の頃、私は妖精だった。
正しく言えば、妖精になった気でいた。
小学校の入学式で出会って以来ずっと仲良しだった友達と二人で、
学校から帰ると毎日のように「妖精ごっこ」に興じていたのだ。

都内とはいえ私が生まれ育った町は比較的緑や田畑の多い土地柄で
当時、家の近所にはまだ子どもが隠れやすい小さな茂みやら
狭い雑木林なども点在していた。
その中の一つに、私達が「ようせいのもり」と呼んでいた
小さな築山があった。
それは住宅街の外れ、せせこましく区切られた田んぼの脇にあり、
灌木と雑草がこんもりと生い茂った丘のようなものだった。

からまった蔦や灌木の陰にケモノ道のような小道があり、
くぐり抜けて中に入り、一番高いところに登って行くと
ぽっかりと空が開け、ちょうど小部屋のように
少しだけ広いゴキゲンな空間になっていた。
外周には外部からの侵入者を見張るのにちょうどいいような
イイ感じに枝の張り出した低い木も生えていた。
まさに天然の秘密基地のようなその場所に私たちは入り浸り、
そこに住む妖精としてせっせと巣作りに励むという、
ファンタジーのようで妙に生活感溢れるごっこ遊びに興じていた。

思えば当時から私は間取りフェチだったのかもしれない。
ごちゃごちゃと植物が生えた狭苦しい小山の踊り場スペース中で
こっちはお風呂、こっちは台所、こっちは寝室・・
などと、壁もないのに無理矢理に間取りを想定して、
小石や枝をそれらしく配置するのが楽しかった。

今日の絵本「おおきなきがほしい」に最初に出会ったのも
まさにその頃だったと思う。
木の上に自分で自分の居場所を作るというその発想に
ドキドキするほどの共感を覚え、
何度も何度も繰り返し読んだ覚えがある。

大好きな絵本だったけれど、当時から何となく反感を感じてもいた。
なにしろ、作中、主人公かおる少年が木の上に作った自分の部屋は、
ガラスサッシの窓やら、天井から下がる蛍光灯の照明器具やら、
本棚に机に椅子にベッド、おまけにガスも水道も完備で、
あまりにも全てが整い過ぎていたのだ。
これではほとんど地上の快適な自分の家を一人暮らし用に縮小して
そのまま木の上に移設しただけではないか。
キャンプのように不便だが野趣あふれるアウトドア活動の醍醐味や
森の妖精ならではの生活の知恵、みたいなものが入る隙がない!

そりゃ、木の上で自分で作って食べるホットケーキは格別だろうけど、
かおるったらちゃっかりエプロンとスリッパなんて身につけて
タワマンのカウンターキッチンよろしく窓の外の眺望を眺めつつ、
プロパンガス使用の昭和感漂う簡易コンロで
何の苦労もなくホットケーキを焼いている・・・ように見える。

違う違う、ちがーう!!
そこはやはり、樹上の小屋の竈で魔法のように火をおこして
黒光りするスキレットでたっぷりバターで焼いてこそ、でしょーが!

・・・なんてことまで幼心に思ったかどうか定かではないが、
私は未だにこの絵本を読む度に、そのクライマックスとも言える、
樹上の部屋で快適な四季を過ごす素晴らしい情景描写のところで
究極のアウトドア物件に対する個人的な思い入れが邪魔をして、
名状しがたい「コレジャナイ感」に地団駄を踏むのである(笑)


さて、私が例の「ようせいのもり」に入り浸り、
夢中になって遊んでいたのはせいぜい1〜2年ぐらいだったろうか。
だんだんとその場所は通り過ぎるだけの風景となり、
足を踏み入れることはなくなった。
やがて灌木が伐採され、気が付くと更地になっていた。
月日が流れ、私も友達もそれぞれ結婚して地元を離れた。
帰省の折り、ふと思い出して車窓から目を走らせたが、
最寄り駅に続く私鉄線路から見えたはずの例の小山は、
住宅地がさらに造成されて、跡形もなく消えてしまっていた。

可愛かった(はずの)妖精たちも、すっかりおばさんになった。
それでもあの日々の思い出は、半分湿った枝の匂いや
夢中で集めて指先を染めたヤマゴボウの実の色やらと共に
鮮やかなまま、私の記憶の中できらきらと輝いている。

posted by えほんうるふ at 23:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | うっとりする絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月23日

やっぱりロバが好き

わたしのろば ベンジャミンわたしのろば ベンジャミン
ハンス・リマー 文
レナート・オスベック 写真
松岡享子 訳
こぐま社 1994-07

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使っているアイコンとニックネームのせいか、
私の好きな動物と言えば、もちろん狼だろうと想定されることが多い。
それは確かに間違いではないのだが、
実は私には狼と並んで偏愛する動物がいくつかいて、
そのひとつが、ロバなのである。

彼らは馬ほど美しくはない。
むしろ不格好で不器用で、古今東西の童話や物語においても
残念なルックスや愚鈍なキャラの代名詞のような扱われ方。
けれどその瞳はどこまでも澄んでいて美しく、
気はやさしくて力持ち、そして焦れったいほどのお人好し。
さらに彼らを人に例えるなら、
普段は無口で目立たず裏方に徹しているようで、
表立った自己主張やスタンドプレイはせずとも、
ただその存在感だけで周囲を安心させてくれるような人。
雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク 決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
・・と、まさに、
かの有名な宮沢賢治の詩に表された人物像そのものである。
とにかく、たとえ周囲からバカにされようと
いつも変わらず振り向けばそこにいてくれる、
実は誰よりも信頼できる人物、のように思える。

もちろん絵本の中にも、そんなイメージのままに描かれた
愛おしく頼もしいロバたちがたくさんいる。
今日はその中で、私の一番お気に入りのロバの話をしよう。

「わたしのろば ベンジャミン」
そのタイトル通り、この絵本の主人公の幼いスージーには
いつもやさしく彼女に寄り添うロバ、ベンジャミンがいる。

ベンジャミンは何をするわけでもない。
ものも言わず、家畜としての使役もせず、
ただただいつも、スージーのそばにいるだけだ。
ベンがスージーに寄り添うその姿は常に奥ゆかしく、
潤んだ大きな瞳はいつも伏し目がちで、
それでもいつもやさしい光をたたえている。
そしていつもさりげなく、スージーに寄り添っている。

小さなスージーはそんなベンが大好きで、
全幅の信頼と共に無邪気に甘え、好き放題をする毎日。
その様子はまさに(ちょっとあざといほどの)
天真爛漫さに満ちていて、たいへんに微笑ましい。
一方、物言わぬベンジャミンは、無邪気なスージーが
あれやこれやと構ってきても為すがままになっている。
そして、大人の目には見るからにロバにとっては
ありがた迷惑だろうと思えるような所業でも、
不思議とベンジャミンは迷惑がっているようでも、
耐え忍んでいる様子でもなく、
むしろそれこそが彼の喜びであるかのように、
120%の慈愛でもって受け入れているように見える。

こうしてスージーとベンジャミンは、表現は真逆でも
お互いを思う気持ちをまっすぐに相手に捧げているのだ。
要するにこの二人はラブラブなんである。

それでも、どんなに心広いベンジャミンでも、
時には一人になりたい時がある。
そして、唐突にその日は訪れる。
「まったくもう、やってらんねーぜ!」とばかり、
ふらっとスージーの元を離れるベンジャミン。
もちろんスージーは大パニックだ。
必死で愛するベンジャミンを追いかけ追いつき、
しおらしく彼に一緒にいたいと懇願してみせる。
快諾しつつも、ちょっと強気に自分の我を通すベン。
立場が逆転したように、黙って彼についていくスージー。
こうなるともう、この作品ならではの
地中海に浮かぶロードス島の美しい背景もあいまって、
まるで古いイタリアの恋愛映画を見せられているようで、
私の枯れかけた乙女心がキュンキュンしちゃうのである。
とはいえこれはやはり絵本なので、映画のように
主人公がひと夏の恋でちょっと大人になる・・・
なーんてわけもなく、甘えん坊のスージーは
そのまま甘えん坊のまま、微笑ましくハッピーエンドを迎える。

まーそれでも、よいではないかよいではないか。
だってロバだもの!とにかく可愛いんだもの!!
カワイイは正義だ!とここで思わず私のロバ偏愛の血が騒ぐ。

だがしかし、ご想像の通り私のロバ愛にはそれなりに拘りがあり、
ロバが出ていりゃーなんでもいい、というわけではない。
私が思うロバの愛らしさがしっかり表現されていなければ、
たとえロバが主人公であろうと私の食指は動かない。

ちなみにベンジャミンは、人間の幼児のスージーに比べたら
ずいぶんと大きな身体だけれども、まだ子どものロバだ。
モノクロームの写真から見えるベンジャミンの佇まいは
やはり幼くて、なんとも愛くるしい。
私は年老いたロバの哀愁漂う姿にも目がないのだが、
子どものロバの可愛さときたら異常である。
しかもベンジャミンは写真で出てくる。反則である。

さて、そんな偏屈ロバ愛の持ち主である私がオススメする
世界の三大ロバ絵本といえば、今日ご紹介したこの「わたしのろば ベンジャミン」の他に、
・フランソワーズの「ロバの子シュシュ」
・バーバラ・クーニーの「ロバのおうじ」
の二冊を挙げておこう。とにかくロバ好きにはたまらない作品である。

というわけでもしこれを読んだ同好の士で
私に薦めたいロバ絵本をご存じの方がいらしたら
是非とも教えていただきたく、よろしくお願い致します。
posted by えほんうるふ at 18:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | うっとりする絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月18日

美しき伝説のバカップル

キューピッドとプシケーキューピッドとプシケー
ウォルター ペーター作 エロール ル・カイン絵

ほるぷ出版 1990-08-20

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私の若い友人に、とてもキュートな女性がいる。
容姿端麗、人当たりも抜群で話題も豊富の彼女を、
周りの男性陣が放っておくわけもなく、
まあ常に恋バナには事欠かない様子である。

そんな彼女は私と顔を合わせる度に、
その整った額を歪め、はぁぁと大きなため息をついて語り始める。

「もおー、聞いてくださいよ!彼ったらぁ・・・」

という調子で始まるその話の8割以上は、
いかに彼が困ったちゃん野郎か、
そんな彼に何故か尽くしてしまう自分がいかにアホか、
さらにはそんなアホ男子の彼が
どれほど自分にぞっこんでいるか、
という話に終始する。
要するにほとんどが愚痴を装ったノロケである。
なによりご苦労なことに、
彼女はこういった日々を過ごしつつ
時に第三の男の出現と消失を交えつつ、
結局は同じ相手と別れたりくっついたりを繰り返すのである。

彼女が別れの危機を口にする度に、
私はそれなりに真剣に話を聞き、
時にはごく常識的かつ率直なアドバイスを伝えたりもする。
すると、
やっぱりそうですよね、人生の先輩さすがですぅー!と、
その時はさも有り難くそれを拝聴する素振りを見せつつ、
結局は彼女は全てを聞いていなかったかのごとく
あっけなく、悪びれずに
「アンタそれやっちゃ意味ないでしょ」という行動に出る。

嗚呼、なんというおばかさん。

さて、意外に思われるかも知れないが、
こういう分かりやすいおバカさん女子が、私は嫌いではない。
恋する人間は概ねバカである、ということを
こんなにも無防備に体現してしまっている人は
今や私の身近には珍しく、
むしろ清々しいというか、羨ましいような気すらする。

それほどまでに、恋は人を愚かにするのであろう。
だからこそ、その成就は得難く、
全ての人間にとって普遍的な憧れの対象であり続けたのだろう。

ちょっと話を美化しすぎだろうか?
いいのだ、今日はそういう方向で行くと決めたのだ(笑)


恐らく人間がもっと素直ないきものだった頃の
ずっとずっと昔の先人たちは、
人が根源的な欲求に基づいて至上の愛を求める気持ちや、
その抗し難い魅力を神聖なるものとして最大限に評価し、
その愚かしさをも美しく語り継いできた。
その大いなる遺産を今でも感じ取れる素敵な絵本がある。

今日ご紹介する絵本「キューピッドとプシケー」は、
今から100年ほど前にイギリスの作家ウォルター・ペーターが
ギリシャ、ローマ時代の神話を元に書いた物語に、
「イメージの魔術師」との異名を持つ稀代の挿絵画家、
エロール・ル・カインが美しく幻想的な挿絵をつけた作品である。

正直なところ、挿絵の美しさに心惹かれて手にとったこの作品を
読み終えた私が最初に感じたことはまさに、
うっとり〜、どころか、
嗚呼、 なんというおバカさん!
という、呆れに似た気持ちだった。

その半ば呆然とした気持ちのまま後書きを読んでみたら、
そこにもやっぱり主人公たちがいかにアホかということが
述べられていて笑ってしまった。
でもそれを超えて受け入れたくなる美がそこにはあると。

いずれにしろ、外野がどれほどバカなふたりと嘲ろうと
周りが見えぬほど幸せな二人にとってはどうでもいいことなのだ。
馬鹿になれるほどの恋をしている彼らは
誰が何と言おうと美しく、最強なのである。


ところが今や人々はあまりにも忙しくなり、
あまりにも多くの暇つぶしを手に入れてしまった。
おかげで、恋の歓喜と官能とを手に入れるために
ややこしく面倒なあれやこれやを受け入れたり、
愚かで不条理な自分に成り下がるぐらいなら、
最初から手を出さずにお利口さんでいようという
賢い小心者ばかりが増えてしまったのだろうか。

それでも、この絵本のヒロインのように、
運命の恋の前では、
「 経験から何も学ばず、いつまで経っても賢くならない。」
どんな人間もそうなってしまうのかもしれない。
いや、私はそうであって欲しいと思う。
その方が、この世界が美しく見えるような気がするから。

posted by えほんうるふ at 22:44 | Comment(0) | TrackBack(0) | うっとりする絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月21日

憧れの秘湯

旅館すずめや旅館すずめや
雨宮 尚子 作

白泉社 2009-01

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私の自宅には和室がない。
家族4人で都心のマンションに引っ越した際、
諸条件をクリアした物件はただでさえ収納も部屋数もギリギリで、
物を置かない事が前提の畳敷きの部屋を有する余裕などとても無かった。
あれからもうすぐ10年になる。
フローリングばかりの今の我が家の生活に不満はないものの、
気が付くと、実家に帰省した際や、友人宅や旅先で、
何気なく和室に通された時に感じる安堵感が半端ないのだった。
い草の触感の心地よさに思わず嘆息し、
ああ、ありがたい。
なんて呟いてしまったり。歳だろうか。

自分が生まれ育った家も、畳敷きの部屋こそあったが、
和の歳時記を一つ一つ丁寧に執り行うような余裕や洗練とは無縁だった。
母は和服が好きでそれなりに数も持っていたようだが、
父と共に自宅兼店舗の商売を切り盛りし4人の子を育てるのに精一杯で、
年に1度も袖を通した姿を見たことがなかった。
そんな家に育った私は今でも、
持っている和服は嫁ぐ際に母が誂えてくれた喪服一式のみで、
それすら実家に置きっぱなしの体たらく。

そんな、いい年して次世代に美しい和の世界を継承できる見込みが
まるでない残念な日本人の自分なのだが、
何故だか不惑を過ぎるあたりから妙に和物に心惹かれるようになった。

自分が実際に幼少時に使っていたわけでもないのに、
火鉢やら囲炉裏やら小引き出し等の和家具はもちろんのこと、
陶の器や和服地の小物、千代紙にお手玉、干菓子に練り切り・・・
まるでアンテナでも立っているかのように、
どこへ行ってもいち早く目に止まり、
しばしうっとり見つめてしまうのだ。
これまでの実生活でそう馴染みがあるはずでもない雑貨たちに
これほど心奪われるのは、
やはり、この国に生まれ半生を過ごした者なりに、
心のどこかに刻まれた和物魂が疼くのだろうか。

さて、今日の絵本、「旅館すずめや」は、
そんな私の遅咲きの和物愛を激しく刺激する絵本である。
すずめのおかみが切り盛りする旅館「すずめや」の冬の一日を、
細々とした雑貨と共に紹介するという他愛もないストーリーなのだが、
とにかく、切り絵で表現された和物の絵柄の愛らしさに悶絶する。
また、読み進むほどに、秘湯の宿「すずめや」の
ありそうで絶対にない超絶のおもてなしっぷりに
大人の乙女心がツンツンされること請け合いである。
おまけに、巻末に「和の小物型録」と題した見開きがあり、
各ページに描かれた小物をピックアップして紹介しているという
まさに和物好き雑貨好きの痒いところに手が届く親切仕様。

寒い季節に可愛い和物を眺めて心を暖めるなんて、
若い頃には思いもつかなかった発想だが、
「おこたでみかん」すら縁遠い生活をしている今の自分には
熱い日本茶を啜りつつこの絵本をにこにこと眺める時間が
ささやかな贅沢に思えたりもするのである。
そして最後にはきっとまた呟くのだ。
ああ、温泉行きたい。

posted by えほんうるふ at 11:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | うっとりする絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月24日

いつか木になれるその日まで

きはなんにもいわないのきはなんにもいわないの
片山 健

復刊ドットコム 2014-09-19

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我が息子はいわゆる脳内ダダ漏れタイプの人間である。
彼は、目に入るものやその場の思いつきの全てを即、
言葉にせずにはいられないらしく、
朝から晩まで、こっちが聴いているかどうかはお構いなしに
一人で延々とマイペースにしゃべり続ける。
あまりにも煩いので、今までに何度も
「あのさー、ちょっと集中したいから黙っててくれない?
じゃあ、君がどれぐらい黙っていられるか、計ってみようか?
と言って目の前でタイマーをオンにしてみたことがあるのだが、
なんと2分と黙っていられないのであった(笑)

どちらかというと静寂を愛する私や娘にとって、そんな息子の存在は、
消したくても消せないつけっぱなしのラジオみたいなもので、
彼が合宿等で長期不在ともなると、
家の中の静けさに思わず顔を見合わせて
「ああ、静かでいいねぇ・・・」とうっとりしてしまうほどだ。

そんな息子が中学生になって半年が過ぎた。
先輩ママさんたちの話では、
男の子は中学生にもなればだんだん家では無口になり、
親ともロクに口をきかなくなるとのことだった。
私はそれを聞いた時から息子の激シブ進化を心待ちにしていたのだが、
なぜか一向に、奴が無口になる気配がない。
相変わらず、食ってるときと寝てる時以外、ラジオは常時つけっぱなしだ。
どういうことだ!?

とは言え。
息子に言わせれば、私の方こそうるさい母親に違いない。
それこそ、もう中学生になったと言うのに。

あああ。だって、どうして黙っていられようか?!

宿題、終わったの?
弁当箱、出した?
汗だくのユニフォーム、またどこかに入れっぱなしじゃないの?
脱いだ服は置き場はそこじゃないよ!
ゴミはゴミ箱あたりに捨てるんじゃ無くて、中に捨ててくれない?
歯、磨いた?え?じゃあなんで口の周りに色々ついてんの?
学校から○○が配布されてるはずなんだけど・・?
定期テストまであと○日なんだけど、知ってた?
・・・

ええ、ええ、そりゃあ煩いでしょうよ。
でもでも、これでも、極力何も言わないよう、
あるいは要らぬ非難を言葉に含めないようにと、
母は日々努力をしているのだ。
君にはそうは見えないだろうが。

そんなわけで、今日の絵本は
私にとっては、永遠に叶わない憧れであり、
羨ましくももどかしい、
絵本だからこそありえるような、
理想の親子関係が描かれている作品だ。

主人公のすーくんは、父親と遊びにきた公園で、無邪気に乞う。

「ねえ おとうさん きに なって。」

そして言われた通り、父親はその場で息子のために「木になる」のだった。
木になったおとうさんは、すーくんがなかなか木に登れなくても、
何を見ても何を問いかけても何に驚いても何を懇願しても、
決してなにもしない、なにもいわない。
だって、

(きは なんにも いわないの)

だから。

木になったおとうさんは、
手も出さない、口も出さない。ただそこにいるだけ。
それでもすーくんは、そんなもの言わぬ父親の、
渾身のサポートを全身で受け止めている。
そのままの自分を受け止め、信頼して黙って見守ってくれること。
それは、幼い少年をどんなに勇気づけることだろう。
だからすーくんは、のびのびと五感を解放し、
試行錯誤を繰り返しながら一人で目的を達成してみせる。

かぜが ふいて います。
そよそよ そよそよ。


ああなんて、夢のように美しい親子像だろう。

嗚呼、できることなら私も、木になりたかった。
いや、今からだって、なれるものならなりたい。
この父親のように、
何も言わずに、母なる大地のように、
あるいは泰然とたたずむ巨木のように、
ただただ慈愛と寛容の権化となり我が子を見守っていられたら・・・

無理。

残念ながら、子どもを育てる、あるいは共に暮らすことの現実は、
この絵本のように長閑で優雅なものではない。
少なくとも、私の場合はそうだった。
それこそ、毎日が待った無しのエキサイティングな攻防戦であり、
だからこそ、やりがいもあり面白くもあり、時に投げ出したくもなった。

でも、もしかしたら、こんなやり方も出来たのかもしれない。
或いは、いつか親も子も成長すれば、
こんな風に穏やかな日常が、我が家にも訪れるのかもしれない。

シビアな現実の子育てにお疲れのお父さんお母さんが、
この絵本に描かれた夢の世界を想像して、
遠い目になって、ちょっと一息つけたらいいと思う。
子どもが生きるのにファンタジーが必要なように、
大人にだって、いや大人にこそ、
時にはこんな極上のファンタジーに浸って
心を遊ばせる時間が必要に違いないのだから。

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2014年08月27日

天性のジゴロ

How Tom Beat Captain Najork and His Hired Sportsmen (Captain Najork 1)How Tom Beat Captain Najork and His Hired Sportsmen
Russell Hoban Quentin Blake

Walker Books Ltd 2014-04-03

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残念ながらこの絵本の日本語版は現在のところ絶版のようです。
「さすがのナジョーク船長もトムには手も足もでなかったこと」
(ラッセル・ホーバン文 クェンティン・ブレイク絵)
よろしければこちらから是非、復刊リクエストにご投票を!




「ただしイケメンに限る」というフレーズが如実に表すように、
外見さえ良ければあらゆるハンデは免除されると思われ勝ちな昨今だが、
実際には、判定者がよほどのお馬鹿さんでない限り、
ルックスだけで中身がまるでイケていない人間を「イケメン」と称するほど、
女性の目は甘くないのが普通である。

その一方で、女性は惚れた男に甘い。アホみたいに甘い。
ダメンズに尽くして身を持ち崩す女はもとより、そこまでいかずとも、
男の身勝手さに振り回されつつ、惚れた弱みでそれを許し
母親のように世話を焼いて甘やかす女は多い。
そしてその愛情度合いに於いて、いわゆる世間一般の相対評価における
ルックスはまるで関係ない。

それどころか、取り立てて外見的にアドバンテージも無い上に、
ひたすら好き勝手に生きているフリーダム野郎にしか見えないのに、
どういうわけか女が寄って来て切れない、という男がいる。
いわゆるジゴロタイプのその男はなぜ愛されるのか?
それはひとえにその男のルックスも生き様もひっくるめた存在そのものが
その女の心を溶かす「愛しのイケメン」だからに他ならない。

では、そんな女を惑わすフリーダムなイケメンとはいったいどのような男なのか?
なんと、その一例を分かり易く図解してくれている絵本があるのだ。

今回とりあげる、このやたらとタイトルの長い絵本、
「さすがのナジョーク船長もトムには手も足もでなかったこと」
の主人公トムは、清々しいほど好き勝手に生きている少年である。
彼の面倒を見ているトンカチーン・トテモジャナイおばさんは
その名の通り草木も枯れるほどの超堅物人間。にも関わらず、
トムは平然とおばさんの大嫌いな「ばかばかしいこと」に精を出し、
自由気ままに毎日を過ごしている。
そんな彼を見かねたトンカチーンおばさんは、トムの性根を叩き直すべく、
ナジョーク船長とその部下のナンデモ水夫の一行を呼び寄せる。
ところが、話はトンカチーンおばさんの思惑を大きく外れ、
思いがけない展開に・・・・

という楽しいお話である。
そしてこのトムこそがまさに、私の思うところの
女性の心を鷲掴みにするフリーダム・イケメン野郎なのだ。
ちなみに私独自の分析による、トムのイケメンっぷりはこんなところだ。

1. 好き勝手やってるだけなのに、何故か大人に負けない超人ぶり。  
  
  これはもう、この絵本の一番の見所である、トムとナジョーク船長との
  謎競技での攻防戦を見てもらえば一目瞭然である。
  なんだかんだ言って女子の多くは恐らく本能的に身体能力の高い男子、
  なおかつ権威に屈しない自由人に惹かれるものだ。

2.好き勝手やってるようで、決して無駄に女に逆らわないスマートさ。

  こう見えてトムは、トンカチーンおばさんに決して逆らわないのである。
  身の毛のよだつような食事を食べるように言われても、
  退屈な勉強を言いつけられても、
  しまいには恐ろしげな外部講師による調教を宣告されても、
  決まってあっさりと「いいよ。」と答えるのだ。
  食事や勉強については、トムが実はそれらを心底嫌っていたことが
  後に判明するが、その場ではそんな感情をおくびにもださず、
  諍いによる無駄なストレスを避けるかのようにスマートに処理してみせる。
  つまりトムは、そこらの成長しきれていない「少年のような」成人男性より
  実はずっと女の扱いに長けた「大人顔負けの」賢い少年なのである。

3.何も考えてなさそうで、実は女心の機微に敏い繊細さ&狡猾さ

  最後の勝負に先立ち、形勢不利なナジョーク船長にさりげなく合図して、
  トンカチーンおばさんに聞こえないように、とある取引を持ちかけるトム。
  もうね、すごいですトム。ある意味怖いです(笑)
  このシーンの面白さは是非、絵も見て味わって頂きたい!

4.サラリと自分の我を通す、スマートすぎる開き直り。

  めでたくトンカチーンおばさんをお払い箱にしたトムは、なんと自分で
  新聞広告を出し新パトロン、もとい、新おばさんを募るのだ。
  しかも、今まで黙って我慢していた案件は最初からしっかり条件提示し、
  さらりとクリアしてみせる。それでも、
  「てごろなおばさんが、すぐ、みつかった。」そうだ。どういうこと・・?


・・・と、ここまで書いて来て、
推定年齢10才と思しきトムのヤバいほどのジゴロっぷりに震撼する私である。
ちなみにここで、「ジゴロ」の意味を改めてwikiで見てみると・・・

「年上の女性(と付き合い、その女性)から援助を受けている、
あるいはどのように生活を成り立たせているのかはっきりしない、若い男」

とある。
ひょえー。これはまさにトムの生き様そのものではないか。
実はこの絵本、まだ毛も生えぬ(かどうか実は確認していないが)
アホ男子(現在12才)の息子のお気に入りの一冊であるのだが、
もしかしてこれを幼少時から男子に愛読させてしまうのは、
教育的にアレだっただろうか?!

・・・ま、いっか。
折角男に生まれたなら、モテないよりはモテる方が人生面白かろう。
そのヒントをまさか絵本から学べるとは素晴らしいじゃないか。
息子よ、大志を抱け!目指すは自由なイケメンだ!!
ただし女を泣かすなよ!

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2014年06月27日

異文化に心躍らせるとき

ワニのお嫁さんとハチドリのお嫁さん (日本傑作絵本シリーズ)ワニのお嫁さんとハチドリのお嫁さん (日本傑作絵本シリーズ)
清水 たま子・文  竹田 鎭三郎・絵

福音館書店 2013-11-13
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我が家のすぐ近くに、有名な結婚式場がある。
大安吉日ともなれば、そこの売りでもある美しい日本庭園は
写真撮影の為に大移動する新郎新婦と招待客の集団でごった返す。
まして、「6月の花嫁は幸せになれる」なんていう、
バレンタインデーと同じく日本の商業主義に乗っかって広まった
およそ根拠の怪しいキャッチフレーズは今も素晴らしい効力を持つらしく、
この天候不安定な時節に、結婚式場は今日も大盛況なのである。

週末など、定点観測を決め込んでベンチに陣取り眺めていると、
着飾った老若男女の一団が分単位で入れ替わり立ち代わりやってきて、
なかなか楽しい時間を過ごすことができる。
最近のウェディングドレスの流行だけでなく
お呼ばれされた側のフォーマルウェアのあれこれを眺めたり
新郎新婦の年代や年齢差や招待客の顔ぶれなどから
勝手にあれこれ想像してみたり。
いわば野次馬根性丸出しなわけであまり趣味がいいとは言えないが
あちらもわざわざ衆目を集める出入り自由のガーデンウェディングを
選択しているので、これぐらいは許されるだろう。

ちなみに、ここの式場はそこそこ格式が高い場所とされていて、
言われてみればそれなりの階層の人々が集まっているようにも見える。
ということは、今どき政略結婚とまでは言わずとも、
もしやお家同士の訳有り結婚なんかもあったりして?
などと思うと、ますます妄想の翼は広がるのであった・・。

今日の絵本は、そんな季節にたまたま出逢った、
村と村とを仲直りさせた、まさにワケ有り結婚のお話。

およそ神話や伝説や伝承民話というものは、
前時代的な価値観だとか根拠の怪しい慣習だとかに基づいた話故に
ストーリー展開が荒唐無稽で辻褄が合わないことが多いのに、
どうしてこんなに人の心を惹き付けるのだろう。
今回とりあげるこの「ワニのお嫁さんとハチドリのお嫁さん」は
現地の言い伝えなどから着想を得てはいるものの、
日本人の作家さんが創作された物語とのこと。
でもその内容は、ハッピーエンドにも関わらず、
そこに至るまでの展開に微妙に古い価値観が見え隠れしていたりして、
突っ込みどころ満載、という意味でも伝承民話的な面白みがあり、
物語絵本としての強い魅力に溢れている。
何より、メキシコの明るい陽光や美しい自然を彷彿とさせる
生命力溢れる鮮やかな色彩に彩られた挿絵が素晴らしく、
隅々まで眺めていたくなる素敵な絵本なのだ。

作者のあとがきによると、毎年6月最後の三日間、現地の村では
この物語のベースとなったウワベ族とチョンタル族の停戦協定にちなんで、
実際に生きたワニと人間の男性が村の教会で結婚式を挙げるという
お祭り?というか伝統行事が行われているという。
村人が代わる代わる、口をしっかりリボンで縛られたワニの花嫁を
抱いて踊るというその光景は、想像するだけで何ともスリリングで、
ドキドキするような不思議な異国情緒を沸き立たせる。

何とかその画像が見当たらないかと、舞台として名前の挙がっている
Oaxaca市やHuamelula村などのキーワードで画像検索してみたが、
残念ながら私にはそれと思しき画像を見つけることが出来なかった。
が、代わりに色彩の洪水のように目に飛び込んで来た
メキシコの華やかなお祭り画像の数々に圧倒され、
彼の地の熱気と花々の強い芳香を感じたように思った。
そして今夜私は再び、この絵本を開き、
遠い異国の風土を感じさせる魅力的な挿絵を眺めつつ、
今年も間もなく行われるであろう、
その不思議なお祭りに思いを馳せてみるのだった。

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posted by えほんうるふ at 17:20 | Comment(2) | TrackBack(0) | うっとりする絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月29日

図書ガール入門

お友だちのほしかったルピナスさん (大型絵本)お友だちのほしかったルピナスさん (大型絵本)
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2011年も早1ヶ月が経とうとしている。
昨年の目標「月1回以上のブログ更新」は、土壇場になって「月【平均】1回以上の更新」に下方修正してギリギリ達成した。これに気をよくして、今年は年始早々「月2回以上のブログ更新」を今年の目標の一つに立てた。
ああそれなのに、2月が押し迫った今、ようやく今年最初の記事を書いている自分。
早くも風前の灯火となった「今年の抱負」が、私のこの先一年の成長の無さを予言しているようで、なんとも情けない。残り3日の猶予を有効に使わねば・・。

さて、私が幼い頃は、絵本と言えば子供とその養育者が読むものであったが、近頃は子持ちどころか結婚すらしていないうら若き女子の皆さんにも絵本は大人気だ。
多少の偏見を承知で言わせて頂ければ、そんな絵本好き女子の中には、絵本そのものが好きというより、「カワイイ絵本が大好きなカワイイ私♡」を演出するための小道具として絵本を重用しているヒトが少なからずいるような気がする。
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posted by えほんうるふ at 01:30 | Comment(6) | TrackBack(0) | うっとりする絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月30日

祝!カミサマの仲間入り

大好きな絵本作家さんがまた一人、お亡くなりになった。
長新太さん、享年77歳。
悲しみと喪失感でパニックになるかと思いきや、意外と冷静な自分がいる。
もしかしたら、後からガツーンとくるタイプの出来事なのかも知れない。
ここぞと言うときに泣かない自分を意外な気持ちで傍観していたら、ココロの友(と勝手に私が思っている)の絵本おじさんから追悼企画(?)への参加を依頼された。
これは感情や感性にやたらに包帯を巻くなよ、という天啓のような気がして、想いが膿んでしまわぬうちに、ちゃんと長新太さんとその作品への自分の気持ちを見つめ直してみることにした。
 
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posted by えほんうるふ at 00:36 | Comment(9) | TrackBack(2) | うっとりする絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月27日

船上のカリスマ主婦

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カリスマ主婦が政治家になるご時世だが、行き着くところまで行ってしまった彼女たちはもう「主婦にとってのカリスマ」とは言えない存在になっている。なぜなら、専業・兼業に関わらずおおかたの主婦の同性の憧れの存在=なりたい自分とはもっとドメスティックで生活感のある夢に基づいたものであるはずで、決して国を動かす政治家ではないだろうからだ。
では、地に足のついた現実主義の主婦たちが憧れる夢とはどんなものか?
「これは おねがいが かなったおはなしです」という夢のような書き出しで始まるこの絵本に、その一例を見ることができる。
 
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posted by えほんうるふ at 20:20 | Comment(4) | TrackBack(1) | うっとりする絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする