2016年05月24日

このさきにどとあえなくても

ねずみとくじら (評論社の児童図書館・絵本の部屋)ねずみとくじら (評論社の児童図書館・絵本の部屋)
ウィリアム・スタイグ作  せた ていじ訳

評論社 1976-12

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先日、友人が主催した絵本好きが集う会に参加するにあたり、
「出会いを描いた絵本」を紹介して欲しいという話があり、
とっさに思い浮かべたのがこの絵本だった。

海が好きなねずみは、自作の船の処女航海中、
アクシデントで海に落ちてしまう。
そこへたまたま通りかかったくじらに助けてもらったのが
ふたりの出会いだった。

ねずみの命を救ったくじらは、旅の道すがら、
ねずみを故郷の象牙海岸へ送り届けてやることにした。
大海原の上で共に過ごすうちにふたりは親友となるが、
やがて別れの時がきて、ねずみはくじらに感謝を述べ、
いつかその恩返しをすることをくじらに誓うのだ。


「いつも、いのちのおんじんとおもっているからね。

ぼくのたすけがいるときがあったら、よろこんで

やくにたつつもりだから、わすれないでくれたまえ。」



溢れる気持ちに嘘はなくとも、小さなねずみがいったいどうやって
くじらに恩返しができようか。
それでもくじらは笑ってねずみの思いを受け止める。


「あのちいさいねずみくんが ぼくのやくにたちたいとさ。

なりはちいさいが、しんせつのかたまりだな。

ぼくはかれがすきだ。わかれるなんて、つらいなあ。」



こうしてふたりは別れ、またそれぞれの暮らしを始める。
月日は流れ、それぞれがもう若くなくなったころ、
今度はくじらが嵐でアクシデントに見舞われる。
浜に打ち上げられ、どうにもならないくじらのもとへ
現れたのは、なんとあの日別れたきりの友達だった。
さて、ねずみはあの日の約束を果たせるのだろうか・・?

その姿形大きさは似ても似つかないけれど、
実は同じ哺乳類という大きな共通点のあるふたり。
でも、作中ではそれはサラリと触れられているだけだ。
むしろ、それぞれがどんなに異なっていたか、
どんなふうに、その違いゆえの失敗を許し合い、
かけがえのない友情を育んでいったかが、
淡々と語られている。

そう、物語は、最後までひたすら淡々と進んでいくのだ。
それなのに、いや、だからこそだろうか、
何度読んでも私は最後のページで目が霞んでしまう。

初めてこの絵本を手にとったのは近所の図書館だったと思う。
もともとスタイグは大好きな作家で、
なかでも代表作とされる「ロバのシルベスターと魔法の小石」や、
「ゆうかんなアイリーン」などは我が家の子ども達もお気に入りで、
かなり頻繁に繰り返し読み聞かせをねだられたものだった。

そんなお馴染みのちょっと野暮ったいスタイグ作品に並んで
ひときわシックでお洒落な装丁の一冊がこの絵本だった。
おお?っとソソられて何気なく読んでみての感想は、
深夜にテレビをつけたら古い洋画をやっていて、
何気なく見てみたら思いがけず大当たりの良作でホクホク、
ぐらいのものだった。
でも、その後何度も読み返す度に、じわじわ沁みるようになった。
とにかく、この絵本の何が好きって、
甘さを抑えたスタイグの絶妙な色使いの絵ももちろんだが、
なにより、瀬田貞二さんの訳による、
上品で端正な日本語文がたまらないのである。
読み返す度に、うっとりしてしまう。

最終頁の完璧な文章は別格として、
作中で私が一番好きなのは、この一節。


ボーリスは、ねずみの ちいさい かわいさややさしさ、

かるいふるまいやこわね、ほうせきのようなめの

かがやきに ひきつけられましたし、エーモスは、

くじらの おおきなからだやどうどうとしたようす、

ちからやうごき、ひびくこわねやあふれるしんせつに

うたれました。



自分にないものを持つ相手を好ましく思い、
慕い敬い惹かれ合うふたりの気持ちが、
無駄のない美しい日本語で贅沢に表されている。

最初にこの文章に出会った時は、なぜだか妙に嬉しくなって
何度も小さな声で音読してみては、
はあぁ・・日本人でよかったぁ・・・・
とため息と共に遠くを眺めてしみじみしてしまうほど、
ことばフェチの私の心は、
うたれました。とさ。

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2015年09月24日

背中で伝える慈しみ

いしゃがよい (幼児絵本シリーズ)いしゃがよい (幼児絵本シリーズ)
さくら せかい さくら せかい

福音館書店 2015-05-13

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年一度、毎年この時期に健康診断を受けている。
幸いにも今まで特にシビアな結果が宣告されたことは無い。
そもそも出産以外で病院に入院したこともなく
骨を折ったことも倒れて救急車に乗せられたこともなく
風邪すら年に一度ひくかひかないか。
丈夫だけが取り柄とは思いたくないが
とりあえず健康に恵まれていることは確かだろう。

唯一私が過去に医者通いをしたのは、
もう10年以上前になるが、
初めてギックリ腰をやってしまった時のことだ。
子どもを保育園に送っていこうと、いつものように
子どもを抱え上げて自転車の前座席に乗せようとしたら、
子どもの足が自転車のハンドルに当たり、
バランスを崩して倒れそうになった。
とっさに子どもを落とさぬよう妙な姿勢で踏ん張った、
その瞬間、まさに腰から脳天に痛みが突き抜けた。
あまりの痛みに一瞬息ができないほどだった。
だがしかし母は強し。
いったいどうやって行ったのか覚えていないが
どうにかこうにか私は子どもを保育園に送り届け
職場と夫に連絡を入れ、その後は夫が帰ってくるまで
家で一人で倒れていた。

とにかくまずは安静が一番と言われたものの、
母業主婦業に休みはないのである。
最初の全く動けない時期から脱すると
ヒーヒー言いつつも腰をかばいながら
仕事も家事も周囲に助けてもらいつつなんとかこなした。

だがとにかく何をするにも痛みが付きまとう。
朝目が覚めて起き上がるのも、顔を洗うのも一苦労。
救いを求めて整形外科・整骨院・マッサージ・カイロ・鍼灸・・
藁をもつかむ思いであちこちに行きまくった。

その後、何が効いたのやら腰の痛みそのものは収まったが
坐骨神経痛が長く残ってしまい、これを解消するために
さらにあれやこれや、良いと言われるものを試しまくり、
最終的にはブックオフで偶然見つけた自力整体の本に救われた。
というのが私のギックリ腰克服の顛末。
その後何回か再発の憂き目に遭ったが、
自分で対処できるようになったので医者通いもそれっきりだ。

どうやら私は痛みに強い方らしく、
一人目の時に早期破水した時と同様に
まっすぐ歩けないほどの腰痛を抱えての医者通いも
常に一人で行っていた。
でも、行った先で施術を受けて、なんかちょっと良くなったかも?
と少し上向きな気持ちになるものの、
家に帰り着けばもとの木阿弥、ということもよくあった。
痛みがなかなか引かなかった頃、何をしても効かなくて
気持ちが鬱屈してしまいがちな日々が続いた。
結局そういう時に一番効いた痛み止めは、
家族や経験者の友人たちの優しい声がけや励ましだった。

どんなに孤独や痛みに強いつもりでいても、
一人では生きていけないのだなぁ、有り難いなぁと
素直に思ったものだった。

今日の絵本はその名も「いしゃがよい」である。
小さくて身体の弱いパンダの子を、献身的に育てるエンさん。
身寄りの無いパンダの子が、こんなにしょっちゅう
あちこち痛がってはエンさんに医者通いをさせたのは、
その背中に思い切り抱きついて、
我が身を想って自転車を漕ぐエンさんのやさしさを
体いっぱい感じたかったからではないだろうか。
そうしてエンさんの愛情をたっぷり受けて
大きく丈夫に育ったパンダの子だからこそ、
年老いて身体が弱り、きっと心細くもなっただろう
エンさんに、自分の背中で感謝を伝えたかったのだろう。
なんてことのないシンプルなお話だけれど、
私はなんだか読む度に目頭が熱くなってしまうのだ。


先日受けた今年の健康診断の結果は、まだ来ない。
今年もまた「異常なし」が並ぶ紙を無事受け取れるだろうか。
もし無事にそうなったとしても、やはり自分の歳を考えればきっと
なにかしらどこかしら数字に現れない僅かな変化で
身体に少しずつガタが来ていることは間違いないだろう。
それでなくても毎日不規則な生活かつ万年寝不足の私は
たとえ自分が元気なつもりでもある日突然倒れないとも限らない。
だからこそ、いつか自分の番が来るまでは、
与えられる側、ケアできる側の幸せを感じていたいものだ。

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2014年02月17日

美しきマイノリティ

おにたのぼうし (おはなし名作絵本 2)おにたのぼうし (おはなし名作絵本 2)
あまん きみこ作/岩崎 ちひろ絵

ポプラ社 1969-08

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今年もまんまとバレンタインの狂騒に踊らされた週末であった。
もちろんそれは私のように、お菓子を作ることも食べることも嫌いでなく、
あからさまに人に好意を示すことに特段の抵抗も無い女にとっては、
それなりに楽しいイベントであることは確かだ。
しかし、実際のところそれが単なるコマーシャリズムから発案された「似非年中行事」で、
その経済効果に利に敏い皆さんが寄ってたかって便乗しているに過ぎないという
恋も夢もへったくれも無いオトナの事情を重々承知のおばちゃんとしては、
知らぬ間に全国的に統一された「女性から男性へ」「スイーツ(+α)を贈る」という
何の根拠も無いルールに大人しく従って踊る阿呆に甘んじることに、
毎年一抹のいら立ちを覚えるのである。

そこへいくと、同じ二月の年中行事でも、由緒正しき日本古来の伝統行事である
「節分」のなんと清々しく自由なことか。
何しろ発祥は平安時代の宮中行事である。1000年の時を経て全国に広まるうちに
その土地ならではの発展を遂げ、そのしきたりも様式も地方により千差万別となった。
だからこそ、それは他の多くの日本の伝統行事と同じく豊かな多様性を持ち、
社会の最小単位とされる家庭や個人でのアレンジも寛容に受け入れられるのだろう。

ちなみに私は特定の宗教を持たない人間だが(強いて言えば自然崇拝だろうか)
個人的に、この「みんなちがってみんないい」感覚とでもいうか、
各々の信じるところの多様性を認め、その価値観の相違を尊重し合える、
八百万の神の国ならではの懐の深さこそが、我が祖国、あるいは我が日本国民が
本来持っている美徳の一つではないかと思っている。

また、「多様性」という言葉で私がいつも思い出すのは、
私がかつて数年間アルバイトとして在籍した某シアトル系コーヒーショップの
社是の一つであった、「多様性を認めよ」という言葉である。
それは恐らく、顧客一人一人の希望するカスタマイズを笑顔で受け入れよ、
或いはシーズン毎にめまぐるしく変わるメニューとそのレシピを受け入れよ、
という意味が第一義だったのかも知れないが、
共に働く仲間の多様性を受け入れよという意味でもあったように思う。
実際、ある意味その企業マインドに染まれる人しか居残れない風土であったせいか、
私の数多有るバイト経験の中でも、人間関係ではダントツに恵まれた職場であった。


というわけで今日も恐ろしく長い枕になってしまったが、絵本の話に入ろう。
今日の絵本「おにたのぼうし」は、まさにその節分という季節行事をテーマに
マイノリティの存在の美しさと脆さに光を当てた、非常に日本的な童話である。

主人公の小さな鬼の子おにたは、いわゆる鬼の所業などとは無縁の、
いたって気立ての良い鬼だった。
実際、おにたの生活は住み着いた家の住人の手助けこそすれ
災いをもたらすようなことはなく、鬼というより
むしろ守り神とか座敷童のような存在に描かれている。
その心優しいおにたが、偶然にも節分の日にある女の子と出会い、
その子の不遇ぶりを知って、いても立ってもいられずある行動を起こす。
拙いその好意が、予期せぬ展開へとつながることも知らずに・・・。

最後におにたがつぶやく、一言が痛い。

「おにだって、いろいろあるのに。
 おにだって・・・・・・」


そしておにたは、少女の心の中でかみさまになった。


あまりに美しいストーリーに、これまた美しすぎるいわさきちひろの
挿絵が添えられ、反則か!と身悶えするぐらい美しい絵本なのだが、
それが未だ陳腐に感じられず何度読んでも色褪せないのは、
希代のストーリーテラーあまんきみこによる、
散々ものがたりに引き込んだ読者を最後にふっと一人にするような、
絶妙に後を引くエンディングのせいだろうか。
読む度に、「お母さん、また泣いてんの?」と
子どもに呆れ笑われながらも、私は結局瞼が潤んでしまうのである。


実在するか否か、また一般にどう認識されているかはともかく
人智の及ばない存在があったとして、
それを善とするか悪とするかを決定するのは、
現実に即してそれを受け入れる側の心根次第なのだろうと思う。
ならば鬼が棲むのは家ではなく
人の心の中なのではないだろうか。

と、ここで我が家の節分の豆まき風景を思い出す。
実際にそのセレモニーを各家庭でどう行っているのか私は知らないが
我が家の場合は、家族が交代で平等に鬼役を引き受ける。
鬼ターンになったら一旦部屋から出て、お面をつけて改めて入場する。
残りの人間は手に炒り豆を握りしめて待ち構え、
入って来た鬼に向かって「鬼は外!福は内!」と叫びながら
力の限りに豆を投げつける。(そしてこれが結構痛い!)
そして全員が鬼ターンを終了したら、仲良く這いつくばって
数なんか無関係に散らばった豆をひたすら拾い食いしまくるという、
ちょっと他人には見せられない野蛮な儀式になっている。

しかし、だ。
鬼が人の心の中に棲む者なのだとしたら、
この一見ど田舎のエクソシスト祭りのごとく怪しすぎる
我が家の豆まきこそ、正しい鬼退治の手順に思えなくもない。
きっと、ぶつけられた豆が痛ければ痛いほどご利益があるのだろう。


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posted by えほんうるふ at 22:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | 泣ける絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月25日

あなたのしろねこになりたい

しろねこくろねこ (絵本単品)しろねこ くろねこ
きくち ちき

学研教育出版 2012-01-31
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絵本としてこの世に出る出版物の多くは、子どもを読者として想定されているはずだが、
時にそこに描かれている人間関係はどきりとするほど大人びていて、
実際にそれに近い関係や状況を経験したことのある、元・子どもがうっかり読んでしまうと、
心に思いがけず大きな波紋を残すことがある。
例えば、世に無数にある、仲良しの「ともだち」としてつがいの動物が登場する絵本。
幼い子ども達がこれらの物語に触れた場合、家族以外の親密な関係として大好きな友達を
思い浮かべるのが普通なのだろうが、それこそ散々酸いも甘いも噛み分けた大人が読めば、
そのまま生々しい恋愛ものに読めてしまうような、濃密な関係が描かれている場合も、ある。
私はそういった、同じ絵本でも年を追って読み返すごとに違う味わいを醸し出す、
或いはどんどん味わい深くなっていくような作品が大好物なのだが、最近また一つ、
そんな経年熟成を長く愉しめそうな逸品に出逢うことが出来た。
それが今日の絵本、きくちちきさんの「しろねこ くろねこ」である。


白い毛のしろねこ、黒い毛のくろねこ。
対照的な二匹のねこは仲良しで、いつも一緒。
でも、その毛の色が象徴するように、
どこへ行っても当たり前に賞賛され可愛がられるしろねこは日向の存在で、
どこへ行っても平然と侮辱され時に見過ごされてしまうくろねこは日陰の存在。
それでも二匹はそれぞれ自分に無いものをもつ相手に惹かれ、常に寄り添っていた。
共に敵と戦って血塗れになってもなお幸せそうな二匹の姿に思い知らされる、
二匹の絆の深さ、その愛の強さ。
それでも、その宿命的な陰陽の違いを思い知らせるように世間の目は残酷で、
傷ついたくろねこは、いつしか走り出す。

はしっていました
そして しらないみちを あるきつづけました


当て所なく、ただただ自分の背負っているものから逃げ出すように、
ひとりで疾走していくくろねこの姿は、私の心にグサグサと突き刺さった。
そして、そんなくろねこのあとを、ただゆっくりと静かについていくしろねこの姿も。

このわずか4頁の見開きをめくる度に、私はどれほど涙を流したことだろう。

やがて二人が辿り着くのは、静かで、どこまでも広がる色彩の海。
そのどこまでもやさしく、美しい済いの海に抱かれ、ようやくくろねこは気づく。
しろねこが、自分にしかないものにこそ、価値を見いだしていることを。
そして自分も、しろねこにないものを持っている自分に胸を張ればいいことを。

どんなに幸せでも、その幸せに本人が気づかないほど不幸なことはない。けれど、

ぼくは くろねこ


改めてそう呟いたくろねこのことばには、それまでとは違う誇らしさがこもっている。
ここで私は再び、泣きたいほど嬉しく、くろねこを抱きしめたい気持ちになる。
よかったね、くろねこ。本当によかったよかった。


しろねこと くろねこが いました
しろねこは くろねこが すきでした
くろねこは しろねこが すきでした
2ひきは いつも いっしょに いました


再び、登場シーンと全く同じように描かれる、寄り添って過ごす二人の姿。
無造作と言っていいほどラフなタッチで、それぞれの表情さえ分からないのに、
そこにはもはや、不安な光はない。
小さな気づきと共に大きな幸せを得た二人の、迷いなく堂々とした後ろ姿は、
それを見つめる読者までを包み込むあたたかさに満ちているのだった。


というわけで、
せっかくこんなにも素晴らしい経年熟成を愉しめそうな作品に出逢えたのに、
昨年度発行されたばかりで私の子ども時代にはまだ無かった作品故に、
このドラマの幼い自分の無垢な心ならではの純粋な(であろう)感想を
知り得ないのが非常に残念である。
そして、既に人生の裏も表もうんざりするほど経験値を重ねてしまった今の私には
このしろねことくろねこの関係が、どうしても単なる親友ではなく
赤い糸で結ばれた男女(いや別に男男でも女女でもアリだとは思うが)、
というか、とにかく運命的な恋愛を描いたものに見えてしまうのである。
そのせいか、この文章を書いていても、いつの間にやら二匹が二人と言い換わり、
完全に人のそれとしてこの関係を捉えては遠い目になりがちな自分がいて、
我ながら思い込みの強さに笑ってしまう。

そもそも私は「友達」には、自分の内面について、ここまでの深い理解を
期待してはいけないと思ってきた節がある。
確かに、お互いの痛みやコンプレックスを分かち合うことが絆を深めるのは確かだが、
重すぎる荷を負わせたが為に、相手を遠ざけたり逆に過剰に干渉されて辟易したり、
とにかく後味の悪い結果になってしまうことは、往々にしてある。
もともと友達の少ない私には、そんなリスクは冒せなかったのである(涙)。

ならばさらに貴重な存在である恋人なら、なおさらリスク回避すべきとも言えるが、
私の場合は逆に、恋人だからこそ、そこは避けてはならぬと思って来たのである。
荷が重いと逃げ出すようならその程度と逆に潔く諦めがつくというか、
むしろそこで相手の真価を質すべし、と私の本能が囁いてきたからだ。
まさに当たって砕けろ型恋愛。ええ、たくさん粉々にして来ましたとも。
ちなみに今のところ、最長耐久記録は20年で現在もレコード更新中である。
とは言え、さすがにだいぶヒビがはいっているらしく、どこまで持つことやら・・・。


ところで先日、茅野で書店を営む友人の高村志保さんのお店で、素敵なイベントが催された。
それは、この「しろねこくろねこ」の作者であるきくちちきさんのライブペインティングを、
シタール奏者井上憲司さんの生演奏を聴きながら楽しめる!
という、何とも贅沢な企画だった。
全く畑違いの世界でそれぞれ活躍中のアーティストのお二人が、この希有な縁で出会い、
そこで生み出された一期一会のハーモニーは、まさに視覚と聴覚に鮮やかに響くものだった。
私自身、何ヶ月も前から楽しみにしていたイベントで、東京からも多くの仲間が集い、
素晴らしく濃密であたたかい時間を過ごす事が出来た。
当日の詳細は、仲良しのツイッター仲間の皆さんがそれぞれに
素晴らしいレポートを既に公表してくれているので、どうぞご覧いただきたい。

@shiromachiさんのワタシノスキナコドモノ本より
 【イベント】きくちちきさんライブペインティング in 茅野 に行ってきました(その1)

@greenkakoさんのみどりの緑陰日記より
 「きくちちきさんライブペインティング@茅野」

*私も書いたよ!という方、是非ご一報ください。追記させて頂きます。

まさに芸術作品が生まれる作品に立ち会うという、非常に貴重で刺激的な体験が
できるイベントだったのだが、そこで私が感じたのは興奮や熱狂的な感動というより
しみじみとこの場にいられる幸せ、のようなものだった。
その理由の一つは、この日私たちに惜しげも無くその貴重な時間を提供して下さった
お二人の芸術家が、もしそのお仕事を知らなかったとしても友達になりたいような、
人としての魅力にあふれる素敵なキャラクターの持ち主であったからかもしれない。
そして、そんな面までも感じられるようなアットホームなイベントを企画してくださった、
今井書店の高村店長には、ただただ感謝である。
素晴らしい作品と素晴らしい人々とに出逢う、素晴らしい時間。
人生、たまにはこういうご褒美がなくっちゃね、としみじみうれしく思った日であった。


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posted by えほんうるふ at 06:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | 泣ける絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月15日

最強イタイケなもの攻撃

ビロードのうさぎビロードのうさぎ
マージェリィ・W. ビアンコ/原作
酒井 駒子/絵・抄訳

ブロンズ新社 2007-04

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今時の就活や婚活においては、履歴書の趣味・特技欄に「読書」と記入するのはNGらしい。
早い話が無難すぎて何の自己アピールにもならないということだ。
確かに、自分を売り込むための資料で、限られた文字数で最大限の自己アピールをするのに、
何もわざわざ自分を凡庸に見せる言葉を選ばんでも・・と私も思うが、
これが「趣味:絵本鑑賞」ならばどうだろう。続きを読む
posted by えほんうるふ at 01:38 | Comment(2) | TrackBack(0) | 泣ける絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月15日

友だちは無駄である、か?

さかな1ぴき なまのまま
さかな1ぴき なまのまま佐野 洋子

フレーベル館 2008-02


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友だちは無駄である (ちくま文庫)
友だちは無駄である (ちくま文庫)佐野 洋子

筑摩書房 2007-02
売り上げランキング : 20071


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2010年11月5日 佐野洋子さん 乳ガンで死去。享年72歳。
私にとって佐野さんは、若い頃に著作に出逢い、その後の自分の生き方に影響を受けた憧れの大人の女性の一人だった。
奇しくも、やはり同性としてその生き方を尊敬していた千葉敦子さんも、今から20年以上前に同じガンでこの世を去った。
あの時と同じように、密かに慕い憧れていた人を亡くすのは、悲しいと言うより焦る。
いつも側にいてくれると甘えていた人に、突如去られて自立を余儀なくされるような。
頼りにしていたらいおんに突然置いて行かれたラチになった気分で、置き手紙代わりに残された作品を改めて読み返しては、その本を読んで泣いた日笑った日考え込んだ日を思い出し、一人遠くを眺めるのだった。

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posted by えほんうるふ at 11:55 | Comment(4) | TrackBack(0) | 泣ける絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月03日

澄んだ瞳の見つめるもの

4062118408復刻版ちいさいモモちゃん〈2〉ルウのおうち
松谷 みよ子
講談社 2003-04

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私はこう見えても(読めても?)けっこう涙もろい人間だ。でも、人それぞれに泣き所が違うように、私の場合は単純に悲しくて泣くことはあまりない。お別れ会などの人が普通に泣きまくる状況で、自分でも不思議なほど涙が出てこない。痛くて泣くこともまず無い(2回の出産では分娩台の上でほとんど笑っていた)。嬉しくて泣いた思い出というのも、とんと思いつかない。嬉しい時は殴られても笑っていられるタチだ。
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posted by えほんうるふ at 02:01 | Comment(20) | TrackBack(3) | 泣ける絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月07日

さすらいのらいおんの男気に泣く

ラチとらいおん
マレーク・ベロニカ
福音館書店 1965-07


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世界中で一番弱虫の引きこもり少年ラチ。そんな彼のもとへ、ある日突然憧れのライオンがやってくる。しかしそれは、ラチが思い描いていた強くてカッコイイ獅子とはえらくギャップのある、ちっこくてやたらカワイイ「らいおん」であった。
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posted by えほんうるふ at 00:48 | Comment(15) | TrackBack(7) | 泣ける絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする