2017年06月28日

おたのしみはこれからだ

いまがたのしいもんいまがたのしいもん
シャーロット・ゾロトウ文  エリック・ブレグヴァド絵

童話屋 1991-07

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子どもはいいな、好きなことができて。
子どもはいいな、遊んでばっかりで。
子どもはいいな、堂々と恥がかけて。
子どもはいいな、誰かに甘えられて。
子どもはいいな、泣きたい時に泣けて。
子どもはいいな・・・

大人が子どもを羨む理由はいくらでも思いつく。
しかし、私は彼らを羨ましいとは全く思わない。
無邪気に遊ぶ子どもたちを見れば微笑ましいとは思うものの、不思議と自分もあんな子どもの頃に戻りたいなどとは、金輪際思わないのだ。

自分自身の幼少時代がものすごく不幸だったからか?
いやいや、決して裕福な家庭環境ではなかったが、かと言って衣食住に困っていたわけでも虐待されていたわけでもなく、私の子ども時代は悲惨だった!と胸を張れるほどのドラマも身に覚えがない。

覚えがあるとすれば、幼いころの私は恐らく、大人が羨ましく思うほど無邪気な子どもではなかったのだ。
性格もあるだろうし、生まれ育った環境のせいもあるだろう。とにかく私は可愛げのないマセた子どもだった。

むしろ大人になるにつれて、ようやく自由に自分を表現できるようになった私にとって、今日の絵本「いまがたのしいもん」は大人であることの幸せを再確認するような、なんだかうれしい絵本なのだ。

絵本の中で主人公の少女は、いかに子どもの自分が自由で、大人が不自由な存在かということを、あれやこれやと例をあげて得意げに母親に語っていく。

でも実際は、幼い彼女が語る「子どもの特権」はどれも全て、大人になっても自分の意志で楽しめることばかりなのだ。
大人であることは、実は子どもが思っているほど不自由で窮屈なものではない。むしろ子どもよりもずっと自由で楽しくて広い世界が待っている。

確かに、大人になるほど自分の中の「オトナ像」に縛られて、笑われるのが怖くなり、どんどん心が不自由になる人もいるだろう。
なんて残念なことだろうと思う。せっかく自分で自分の言動の責任をとれるぐらい大きくなったのに、自らを分別の鎖で縛るとは。

ちなみに私の場合、冒頭に書いた、子どもはいいな・・・と世間一般に思われる理由のあれこれもみな、大人になってから、それも最近になってようやく出来るようになったことばかりだ。
いわば大人になってようやく、少しずつ心が自由になって、コドモになる楽しみを覚えたとでも言おうか。

だから私は、作中後半「おとなだって たのしいもん!」と母親が少女に反撃するシーンではいつも、「そうだそうだ!大人こそ今が楽しいもん!子どもの頃なんかより、ずっとずっと今が楽しいもーん!」と、おとなげなく叫びたくなってしまうのだ。
オトナ、万歳!!


posted by えほんうるふ at 07:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | 嬉しくなる絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月17日

その喜びを全ての子どもに

ちいさな ろば (こどものとも傑作集)ちいさな ろば (こどものとも傑作集)
ルース エインズワース 酒井 信義

福音館書店 2002-11-15
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私は玩具屋に勤務しているので、毎年この時期は忙しい。
訪れるお客様の多くがプレゼント用のラッピングや配送を希望され、
細かい作業に追われるうちに一日があっという間に過ぎる。
とはいえ、それはせいぜい何十人分かの子供へのプレゼントにすぎない。
それを思うと、毎年、世界中の何億という子ども達にもれなく
指定の日時にプレゼントを届けるという離れ業をやってのける
サンタクロースという人物の偉大さに恐れ入るばかりである。

子どもといえば、動物たちにも等しく子ども時代があるはずだ。
今日の絵本は、クリスマスのことを人間に聞かされて
「自分もプレゼントをもらえたらいいのに」
と素朴に思った小さなろばの子のささやかな願いが
サンタさんとの出会いと共に叶うという、可愛らしいお話だ。

イブの日の朝、子ども達にクリスマスのことを聞かされ、
小さなろばは、自分も何かプレゼントがもらえないかと夢想する。
その日の夜、足を痛めてしまったトナカイを休ませようと
偶然ろばの子のもとに降り立ったサンタ・クロースに請われ、
ろばの子は一晩を代理トナカイとして立派に務め上げる。
そして翌朝、ろばの子が一番欲しかったプレゼントが届くのだ。

とかくキラキラしたクリスマスの装飾の中にあると
赤一色に線画が描いてあるだけの表紙は、ひたすら地味に見える。
でもどうしてどうして、素直で無邪気で一生懸命なろばの子の姿は
他に類を見ない愛らしさで、ロバフェチの私でなくとも
きっと大好きになるクリスマスの名作である。


ところで、我が家の子ども達のところへはサンタクロースはもう来ない。
何故なら、彼らはもう10歳を超えてしまったからだ。

子ども達がもっと幼い頃は、もちろんサンタさんは来てくれていた。
クリスマスの朝には、子供たちそれぞれの枕元や、
部屋のドアノブにかけた靴下に、
まさしくサンタさんからのプレゼントが届いていたものだ。
さらに、居間に飾ったクリスマスツリーの下には、
両親や祖父母や伯父などからのプレゼントがずらりと並び、
子供たちは待ちきれない様子で早起きしてきて、
たくさんのプレゼントを片端から開けては歓声を上げていた。

そのクリスマスの朝の光景は今も変わらない。違うのは、
サンタクロースからのささやかなサプライズプレゼントはもうない、
というだけのことだ。
なぜ無いのかと言うと、親の私がそれを辞退したからである。

我が家では、子ども達がそれぞれ小学校に上がる頃から、
サンタからの贈り物について、このように説明してきた。

サンタクロースはあれほど高齢なのに、
世界中の子ども達に一晩でくまなくプレゼントを届けるという
重責を担っているので、どれほど老体に無理を重ねていることだろう。
まして、毎年新しく生まれる子ども達の分もあるから、
サンタさんの仕事は増すばかりである。
そこで、せめて少しでもサンタさんのお仕事を軽減するべく、
我が家の子供達への直接のプレゼントは、10歳まででいいですと
サンタさんに申し出ることにした。
つまり、サンタクロースからのプレゼントの受け取りは
それぞれの子が10歳になる年までとし、
それ以降は気持ちだけありがたく頂いて辞退することにしたのだ。
でも、サンタさん側としてはそれでは可哀想だというので、
11歳以降はサンタさんの分まで親が請け負うと伝えてあるので
君たちもそれでよしとしてほしい。

・・・という話を、
私はふたりの子のその歳なりの理解度に合わせて
言葉を変えて繰り返し伝えてきたのだった。
子ども達の方は、毎年聞かされるうちになんとなく
そういうものだと理解したのか、或いは空気を読んだのか、
それぞれ10歳になる年には
「ああ・・サンタさんからは今年が最後かぁ・・」と
ぼやきつつも文句も言わず、その後もそれなりに
クリスマスの朝を楽しみにしているようだ。
もちろん、サンタからの業務委託を受けた者として
親がその分頑張っているからでもあるのだが。

世界中の、ひとの子も、ろばの子も、その他の生き物も、
クリスマスを知る全ての子ども達が、
輝く笑顔でその日の朝を迎えられますように。

posted by えほんうるふ at 07:31 | Comment(2) | TrackBack(0) | 嬉しくなる絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月26日

知られざる福利厚生

つきがまあるくなるよるに―ぬいぐるみいあんりょこうつきがまあるくなるよるに
―ぬいぐるみいあんりょこう

大坪 奈古

新風舎 2005-08

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人形やぬいぐるみが主人公の絵本はたくさんある。
絵本の中の彼らの多くはひどく寂しがり屋で、
持ち主である人の心をいかに引き止めるか、
あの手この手で奮闘する様子が描かれたりする。
そんな時、愛らしい彼らの心の中には意地やら嫉妬やら
クールな生身の人間よりも人らしい情念が渦巻いていて
それでいて、あくまでも無機物らしく純粋で一途なので
その姿は微笑ましい反面、いつも少し怖い。

そんな、ぱっと見の愛らしさとは裏腹の
人形系絵本のオドロオドロしさはこのブログでも
あんな作品こんな作品で採り上げてきたが、
今日ご紹介する作品は舞台が夜なので絵は暗めながら
とてもあったかく愛にあふれた作品でなのである。


もし、一番大事にしていた大好きなぬいぐるみが、
ある日突然いなくなってしまったら・・・?

ちなみに我が家の息子も園児の頃から大事にしていた
ぬいぐるみ、というか小さなマスコットがあった。
近所のフリーマーケットで10円だかそこらで買った、
サメだかイルカなのかよく分からない物体なのだが、
彼はそれに「サメちゃん」と名付け、家の中ではもちろん、
外へ出かける時も「ハンカチ・ちり紙・サメちゃん」とばかりに
必ず携行するほどの溺愛ぶりで日々を過ごしていた。

ところがある日このサメちゃんが忽然と行方不明になり、
家中を半狂乱になって探しまくったことがあった。
家族総出で探したものの見つからず、泣くわ喚くわ、しまいには
あまりのショックに夜も眠れず茫然自失、という体の息子を
さすがに見かねて、私は急遽家にあったフェルトの端切れで
サメちゃん二世を作ってやることにした。
とはいえ、そもそも実体の良くわからない物体を再現するわけで、
デザインもへったくれもなく、かろうじて色は近いものの
形も感触も似ても似つかない謎の物体が出来上がってしまった。
恐る恐るソレを息子の前に差し出した時の、「えっ。」という
戸惑いの表情と、その後の泣き笑いのような顔は今も忘れられない。
おそらく胸の中はコレジャナイ感でいっぱいだったろうが、
母の必死さを感じたのか、彼はその不格好なサメちゃん二世を
ひしと胸に掻き抱き、無事に眠りについたものだった。


おっと、いいかげん話を今日の絵本に戻そう。

絵本の世界でぬいぐるみの突然の失踪といえば
実はぬいぐるみ自身の家出だったり不慮の事故だったりして、
紆余曲折の果てに感激の再会、というのがよくあるパターンだ。
ところがこちらは何と、持ち主の子供が寝ているうちに
ぬいぐるみによるぬいぐるみのための慰安旅行に出かけていた、
というのだから、何とも微笑ましいではないか。

慰安というからには、この絵本においての彼らは
立派な労働者、あるいは奉仕者として認められているらしい。
思えば確かに、人形やぬいぐるみ等の存在意義は
ひとたび誰かのものになったその時から、その持ち主の
心を支えるという使命を全うすることにあるような気もする。

(持ち主が)健やかなるときも、病めるときも、
喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、
これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、
この命ある限り真心を尽くしましょう・・・
と、彼らが誓ったかどうか知らないが、
とかくそういう役割を期待されがちな存在であることは確かだ。
当然、時には理不尽に八つ当たりされることもあろう。
延々と同じ愚痴や呪詛を聞かされてうんざりすることもあろう。
それでも文句ひとつ言わず、ひたすらじっと耐え忍ぶとは、
確かに恐ろしくストレスのたまる仕事に違いない。
慰安旅行のひとつやふたつ、喜んで送り出してやるべきだろう。


ところで息子のサメちゃん騒動だが、怪しい二世誕生からほどなくして
ひょっこりとどこからか元祖サメちゃんが見つかった。
まさにちょっとした所用から帰って来たような顔で当たり前に佇む
サメちゃんを、私はつい思い切り訝しげな目で睨んだものだった。
が、今思えばあの時のサメちゃんは、いつもそばにいてといいながら
しょっちゅう自分をどこかに置き忘れるアホな息子の子守に疲れ、
ちょっと長めの慰安旅行にでも行っていたのかも知れない。

そんなわけで、サメちゃんとサメちゃん二世は、
今も仲良く息子の部屋の本棚に並んでいる。

posted by えほんうるふ at 07:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 嬉しくなる絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月23日

通学路の思い出

なつのいちにちなつのいちにち
はた こうしろう 作

偕成社 2004-07

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私は東京都府中市というところで生まれ育った。
地図を見れば、東西に細長い東京都の、ちょうど真ん中ぐらいの地域である。
沿線である私鉄京王線の終点が新宿で、
そこまで出るのに鈍行と特急を乗り継いで約30分。
その距離感はほとんど千葉とか埼玉とか、隣接県に住んでいる感覚に近い。
だから、生まれも育ちも東京です、などと言うと、
地方出身の人には実態とかけ離れたイメージを持たれてしまいそうで、
自己紹介の際など、訊かれてもいないのに、
「東京・・・の田舎です。」とか「西の方」とか「多摩地区」とか、
つい余計なくくりを付けてしまうのだった。

まして私が育った町は、今でも駅前にさして大きな建物もないような
のどかなところで、実家の周りには今も田畑が豊富にあり、
道端に野菜の無人販売所があったりする。

そんな町で育った私の夏の思い出と言えば、通学路だ。
小学校までの通学路は、子供の足で20分もあっただろうか。
その大部分は、田んぼの脇のあぜ道のようなところだった。
夏になると昼も夜もカエルが盛大に鳴いていた。
特に、他の音が静まる夜は、カエル達の大合唱ばかりが
ひときわ大きく辺りに響き渡って、煩いぐらいだった。

カエルはそのほとんどが小さくて綺麗な黄緑色のアマガエルで、
あまりにたくさんいるので、わざわざ捕まえる気にもならなかったが、
可愛いので登下校中に眺めるのが好きだった。
時々、もっと大きなヒキガエルに遭遇すると、
そのふてぶてしい佇まいにびっくりしたものだ。
なかなか姿を見せてくれないものの、
野太い声で不動の存在感を示すウシガエルの声を聞きつけると、
あわてて側溝を覗き込み、じーっと佇むこんもりしたシルエットを
見つけてにんまりしたりしていた。
他にも、キャベツ畑に分け入って青虫を集めたり、
果樹園の脇の生け垣でカナヘビを捕まえて両手に5〜6匹も
ぶらさげて帰り、母親に露骨に嫌な顔をされたりした。

同級生の女の子達の中には、そういったもの全てを忌み嫌い
キャーキャー言って近寄らない子もいたが、
私は手足がどろんこになるのも全然平気で、
むしろ汚れを気にしなきゃいけないようなお洒落な
可愛い服は着るのが面倒で、ほとんど着た記憶がない。
日焼けも虫刺されも擦り傷も、気にしたことはなかった。

そんな私だったのに、今はどうだろう。
足元が汚れるからと田んぼには近づかないし、
直射日光で湿疹が出るので日焼け止めや日傘が手放せない。
それでも炎天下に長くいると偏頭痛を起こす。
気がつけば情けないほど弱々しい大人になってしまった。

大人になる過程はあまりにも緩慢でゆるやかで、
無意識に選ぶ「心地よさ」や「うれしい・たのしい」が
少しずつ変化して、ついには子供の頃のそれとは
180度違ってしまっても、自分ではなかなか気が付かない。
だからだろうか、「なつのいちにち」という絵本を初めて手にした時、
突如あの頃の自分を思い出して、妙に胸がどきどきした。

何より胸にズキンと響いたのは、この絵本のどこまでも明るい
鮮やかな夏の日差しと色彩を際立たせている、真っ黒な影だった。
そうなのだ。あの頃の自分にとって、夏といえば
青い空白い雲以上に強烈に印象を残すのは、影の濃さだった。
真っ白な日向の明るさと真っ暗な日陰の陰影が、
そのクラクラするような鮮やかな対比こそが、
真夏の景色だった。
外出時にはサングラスをかけ、常に日陰から日陰へと
目を伏せて歩を進めるばかりの今の自分は、
その対比の妙を愉しむことをすっかり忘れていた。

それから、田んぼの脇に跪いたり、暗い側溝を覗きこんだり、
キャベツ畑にしゃがみこんだり、突然降りだした雨を仰いだり、
あの頃の自分は、めまぐるしく視点が変わる生活をしていた。
その、ダイナミックに視点が移り変わる瞬間の面白さが、
この絵本には余すところなく表現されていて、
これまたあの頃の自分のイキイキとした感受性が蘇るようで
読み進むほどに嬉しくなったのだった。


私が今住んでいるところは、JR山手線の内側なので、
まさに東京の中の東京といってもいいのかもしれない。
それでも意外なほどにこの近辺は緑が豊富で
夏には玄関先にコクワガタやバッタが飛んできたり
近所の空き地には野生の狸が家族で棲み着いていたりする。
すぐ近くの公園には、蛇も蛙もヤモリもカナヘビもいる。
それらと戯れながら育った我が家の子ども達が、
その鮮やかで色彩豊かな夏の情景を、
子どもならではのみずみずしい感性で享受した思い出を、
大人になっても記憶に留めてくれますようにと
願わずにはいられない。



posted by えほんうるふ at 08:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 嬉しくなる絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月24日

春に救われる想い

ピッキーとポッキー (幼児絵本シリーズ)ピッキーとポッキー (幼児絵本シリーズ)
嵐山光三郎・文 安西水丸・絵

福音館書店 1993-03-25

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桜が咲いたというだけで
僕らの何かが変わる
それは何かと問わないでここまで来た

このくにのどこが好き
このくにのどこが嫌い
そんなことを冬には思いもしない

「さくらのくに」石村吹雪・作詞作曲 より)


あなたは、自分の国が好きかと問われて、YESと即答できるだろうか。
子どもの頃の私は、無知故に、自分の国を好きかどうかなんて考えたことがなかった。
大人になった私は、色んなことを知り過ぎた為に、考えれば考えるほど、
その問いへの答えが出しづらくなった。
そしてとても残念なことに、年を経るにつれ、愛すべき祖国の嫌なところばかり
目についてしまうようにもなった。

それでも、一年に一度だけ、全く忌憚なく迷い無く心から、
日本が好きだ、日本に生まれて良かったと胸を張って答えられる時期がある。
それが、桜の季節である。

今年はうっかり、東京の桜の見頃を見逃してしまった。
旅先から帰ると、もう桜は盛りを過ぎて、雨風に打たれた枝の先に
しぶとく残る花びらが萎れ気味にくすんだ色を見せていた。
桜は散り行く姿も美しいものだが、こうなってしまうと
さすがになんともうら寂しい風情になり、見ていて切ない。
なんだかしょんぼりした気分になった私が
あわてて手に取った一冊の絵本が、
今日のお題、「ピッキーとポッキー」である。

ピッキーとポッキーは、
(作中でそういう説明はされていないが、どう見ても)
一卵性双生児のうさぎのきょうだい。
仲良しの2人がお隣に住む友達のもぐらのふうちゃんと
お花見に行く、というたわいもないストーリーのこの絵本に
幼い私はいたく心惹かれ、季節を問わず一年中愛読していた。

当時も今も、私がこの絵本で一番好きなシーンはもちろん、
主人公の2人がお花見に行くにあたり用意する素敵なお弁当が
見開きいっぱいに描かれたあのページである。
要するに、食いしん坊の私にとって花見とはすなわち、
「旬の食材で誂えた手作りのお弁当を
最高に美味しく頂く為にそれを食べるに相応しい場所へ赴く」
という
食ありきのエンターテイメントであり、
まさに花より団子そのものの行為である、
という刷り込みがこの絵本からなされたように思う。

それでも、何があろうと春になれば桜が咲く、そんな美しい国に育ち、
四季の移り変わりを感じ取っては寄ってたかって皆でそれを愛でようという、
一種の日本人魂のようなものが私の中にもそれなりに育っていったのだろう。
若い頃から集団行動や宴会の喧噪が苦手な私が、
お花見のどんちゃん騒ぎだけは何故か気にならず、
むしろその場に自分も加わりたいとすら思う。
それどころか、春の訪れを誰かと共に喜べるそのありがたさを、
この歳になってようやく、身にしみて分かるようになった気もするのだ。
なにより、なんだかんだ言って年に一度は、
「この国が好きだ!」と心から素直に思い直すことができる、
この貴重な年中行事の機会を、私は毎年心待ちにしているのである。



お花見シーズンのピークが過ぎると、いつも思い出す母の言葉がある。
「桜の木は健気でね、全部の蕾が花開くのを待ってから、散り始めるのよ。」

その話が本当かどうか確かめたことはないが、
その言葉を聞いた時から、大好きな桜の花がなお一層愛おしく思えるようになった。

どこかで桜が開花したと聞いては喜び、
誰もが、自分の住む町で満開になる日を今か今かと待ち望み、
その日がくればこぞって花見にくり出して昼も夜も花を愛で、
あっという間に散ってしまうその儚さまでも愛おしげに見送る。
日本人ならば大抵の人は、この一連の心の動きに共感できることだろう。
もしかしたら、散り行く桜までも愛でるその心の奥底には、
日当りの良い蕾もそうでない蕾も、
条件に恵まれた者もそうでない者も、
それぞれにその花を開かせる時を待ちわびて、
それを見届けた満足感を味わう気持ちがあるのかもしれない。


私にとっては、花見と言えばこの絵本なので、
毎年春が来る度にこのブログでも取り上げようとしてきたが、
何しろ桜は待った無しで、開花の声を聞いたと思ったら
あっという間に散ってしまうため、
結局間に合わずにまた来年と見送るばかりだった。
今年こそ、と思っていた矢先になんと、
この作品で初めて絵本を手がけられたイラストレーターの安西水丸さんが、
東京での桜の開花も目前という去る3月19日に急逝されてしまった。
突然のことに驚き、そして心から残念に思った私は、
せめて、なんとか追悼の意を表したいという思いから、
今年こそ、開花スケジュールとの連動など無視して
絶対にこの絵本のことを書こうと思ったのであった。

1976年の初版刊行から今もその輝きを失わず、
そして私の中のささやかな愛国心を五感から育んでくれた、
素晴らしい作品を遺して下さった安西さんに、心からの哀悼の意を捧げたい。
ありがとう安西さん、
天国のあなたにも、毎年春には、満開の桜が見えますように。


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posted by えほんうるふ at 06:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 嬉しくなる絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月20日

好きを持続する力

あたまにつまった石ころがあたまにつまった石ころが
キャロル・オーティス ハースト ジェイムズ スティーブンソン

光村教育図書 2002-08

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この春、息子が小学校を卒業する。
卒業関連の学校行事の出し物の一環で、将来の夢を紙に書いて提出する機会があった。
珍しく真剣な顔をして机に向かっていたが、腕で手元の用紙を隠し、
なんと書いたのかは最後まで教えてくれなかった。
でも、きっと間違いない。
彼の夢は釣りか魚に関する仕事につくことだろう。

小学2年生の時に行った北海道旅行で渓流釣りを初めて体験して以来、
息子は釣りにはまってしまった。
都心在住故、小学生の子どもが一人で気軽に釣りを楽しめるような場所はなく、
近所の釣り堀や父親にせがんで数ヶ月に一度親子向け船釣り体験に行くのがせいぜい。
やがて、釣行への有り余る熱意と好奇心を持て余した彼は
とにかく釣りに関することなら何でもいいから学びたいと、
繰り返し繰り返し、自転車で行ける範囲の図書館をぐるぐると回り、
「釣り」関連書籍の棚が空になるほど、ごっそりと制限冊数いっぱい借りて来ては
朝晩貪るように読みふけるようになった。

正直、この情熱の何割かでも勉強に向けてくれたらと思ったことは一度や二度ではない。
しかし、一見ただの遊びで将来何かに役立つとはとても思えないその釣りへの情熱が、
彼に人生に必要なあれこれを学ばせ、成長を促してきてくれたようにも思う。

地図を見ながら、遠くまで一人で自転車で行けるようになった。

一人で電車とバスを乗り継ぎ、片道1時間の目的地へ辿り着くことができるようになった。

片付けや整理整頓が死ぬほど苦手なのに、釣り具だけは自分で収納方法を工夫し、
時にはラベルまでつけて大事に大事に管理するようになった。

何でも使いっ放しやりっ放しなのに、釣り具だけは帰宅直後に黙々と手入れをする。

釣った魚を自分一人で捌けるようになり、ついでに一人で一汁二菜ぐらい作れるようになった。

釣りという趣味を共有出来ないがため、学校で親しい友達が中々出来ずに孤立しがちだったが、
魚と釣りに関する知識では学校で一番であるという自信をつけ、こだわらなくなった。

釣り場で知り合った初対面の大人と臆せず世間話や情報交換ができるようになった。

外来種や環境汚染や自然破壊の話題になると、いつの間にかいっぱしの意見を言うようになった。


どれもこれも、ただただ釣り好きが昂じてそうなっただけだ。
だが、文科省が声高に唱えるほど教育現場が混乱するばかりの「生きる力」の教育が、
そこでは確かに、豊かな実体験と共に実践されて来たのだと思う。

そんな息子とその同級生の子ども達の為に、先日一冊の絵本を小学校で読み聞かせて来た。
それが今回のお題絵本、「あたまにつまった石ころが」である。

物語は、主人公の男性の娘の視点で語られる。


切手にコイン、人形やジュースのびんのふた。
みなさんも集めたこと、ありませんか?
わたしの父は子どものころ、石を集めていました。


そしてその「父」は、子どもの頃どころか、生涯を通じ石を集め続けたのだった。
彼は、ただただ「好きだから」というそれだけの純粋さで、
何の役にも立たない石ころをせっせと集め、それを学び研究してきた。
周囲にも身内にさえも「あたまに石ころがつまっている人」と言われながら。
戦争も、苦しい生活も、彼の石への情熱をそぐことはなかった。
そして、長年の一途な思いが晩年に実って、ついにはそれを生業とする幸運に恵まれたのだった。

これが実話がもとになった話だというのは、少々出来過ぎな気がするが
全ての子ども達に、やがて直面する現実と闘うためにファンタジーが必要なように、
世知辛い現実を日々生きる大人にもファンタジーが必要だとすれば、
これこそ良質な、心温まるお伽噺ではないだろうか。

どうか全ての子ども達が、いつか、自分だけの大好きな何かを見つけられますように。
そしてその「好き」の気持ちをずっと持ち続けていられますように。
そんな気持ちを込めて、この絵本を卒業を控えた六年生に読んで来た。
何を感じ取ってくれたか分からないが、少なくとも、いつもにもまして
子ども達が話に引き込まれ、集中して聴いている気配が伝わってきた。
そして帰宅した息子が一言、
「母さん、あの本すごく良かったよ。」
と言ってくれた。とても嬉しかった。


どれほど釣りが好きでも、「釣り人」では食べて行けないだろう。
さすがにもうすぐ中学生ともなれば、アホな我が息子でもそれは分かっているようだ。
でも、これほどの「好き」をこの先も持続できるなら、きっと心配はいらない。
その情熱や尽きない好奇心が、きっと自ずから彼の進む道を照らしてくれるだろう。
そしてどんな進路に進もうときっと待ち構えている、厳しい現実を生き抜く支えとなるだろう。

門出を迎えた子ども達よ、卒業おめでとう!



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posted by えほんうるふ at 06:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | 嬉しくなる絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月04日

なんだかうれしいを重ねて

なんだかうれしいなんだかうれしい
谷川 俊太郎

福音館書店 2002-11-30

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私がこの大人絵本会をスタートしたのは、3年半以上も前になる。
2010年3月25日に開催された、第1回目のお題絵本は「100万回生きたねこ」だった。
あれから月一回ずつ、細々と回を重ね、先日ついに50回目を迎えた。
50回。何をやっても長続きしなかった私にとって、この数字は驚異である。
ましてこの三年半は、日本社会にとっても大きな波にもまれた激動の時代といっていい筈で、
何の制約も囲いもないこの小さな集まりが、その全てを乗り越えて
ここまで続いてきたことに改めて感慨を覚える。

あまり形式ばった事を考えるのは苦手な私でも、
この記念すべき節目の回のお題を考えるにあたってはやはり、
ただ回数を重ねて来られた達成感以上の思い入れがあった。

この活動を今まで支えてくれた参加者の皆様へ感謝の気持ちを伝えたい。
せっかくだから、何か新しいこと、今までやったことがないこともやってみたい。
できれば、大人絵本会はもとより、絵本を全く知らない人でも楽しめる会にしたい。
つまり、お題作品を読んでも読まなくても参加出来ちゃう回にしたい。


そんなことを考えていたら、自然と一冊の絵本が思い浮かんだ。
ずっと前に読んだ事のある、ちょっと変わった絵本。
谷川俊太郎さんの、「なんだかうれしい」だった。
もしや・・と嫌な予感がして調べてみたら、やはり絶版らしい。
でも、もう私の心は決まっていた。

そもそも、ここまで一つのことを続けて来られたのは、私の根性でも意地でもなく、
ただただ、それが楽しかったから、手軽だったから、
なにより、何の技術も専門知識もお金も人脈もない自分が、
誰でもアクセスできるネット上に、ほんの一時、ささやかながら、
誰かと一緒に好きなものについて思う存分語りあい、笑ったり泣いたりできる居場所を
作り出せるということ、そしてそれを楽しみにしてくれる人がいるということ
が、
とにかく、なんだかうれしかったからだ。
なんだかうれしいを続けていたら、気がついたらそれが私の大切な生活の一部となり、
もしやこれが私のライフワーク?とまで思えるようになっていた。
ただそれだけなのだ。

やはり、今回のお題は、これしかない!

そして、いつもこのブログで発表する大人絵本会の告知文は、
この回に限っては、いつもより少し長くなった。
せっかくなので、ほぼ原文のままここに、再掲しておこう。


第50回大人絵本会


日時:10月22日(火)午後10時より約2時間

お題:「なんだかうれしい」

谷川俊太郎+だれかとだれか 作



<注意!第50回大人絵本会は、なんと宿題があります!>

今回のお題「なんだかうれしい」は、残念ながら絶版だそうですが、
幸い多くの図書館で所蔵されているようです。
http://calil.jp/book/4834018814
でも、もし当日までに見られなくても、大丈夫です。
なぜなら、この「なんだかうれしい」という絵本は、
誰もが自分の心の中に作れる作品だからです。

絵本の内容は、見開きごとに写真や絵で表現された「なんだかうれしい」瞬間
そのそれぞれに、谷川俊太郎さんがことばつけているという、
写真集のような画集のような詩集のような楽しいものです。

そして私は思ったのです。

作中に出てくる、子どもならでは(?)の無邪気な「なんだかうれしい」はもちろん素敵だけど、
経験豊かなオトナならではの、バラエティに富んだ「なんだかうれしい」が集まったら、
それはそれで、なんだかすごくたのしいかも!?

そこで、今回の宿題です。

あなただけのとっておきの「なんだかうれしい」瞬間を、どうぞ思い出してみてください。
これは絶対みんなにも共感してもらえるはず!という自信作でも、
これは私にしか分かるまい!というこだわりの視点でも、大歓迎です。
言葉でも、絵でも写真でも、ツイッターで呟ける内容なら表現方法は問いません。
そして上記の開催時間中に、 #なんだかうれしい タグをつけて、じゃんじゃん発表しましょう!

例:ホットケーキがまんまるに焼けた。 #なんだかうれしい

今回に限り、いつもの#ehonbc タグは一緒に付けても付けなくてもいいです。
#ehonbc または #なんだかうれしい 
どちらかのタグが付いていれば、まとめ編集の対象とみなします。
大人絵本会を全く知らない人でも、たまたま誰かの #なんだかうれしい を見かけたら、
なんだか面白そう!って飛び入り参加してくれるかもしれません♪


たくさんのいろんな「なんだかうれしい」を集めて、
「なんだかたのしい」&「みんなでうれしい」夜にしましょう!





さすが、大人絵本会の常連の皆さんは、私が太鼓判を押す上質な変な大人だけあって、
この突然の宿題宣言を面白がって歓迎してくれた。
そして、開催日までの普段の毎日を、いつもよりちょっと視点を変えて
「なんだかうれしいことさがし」を楽しんで過ごしてもらえたらいいな、という
私の思惑通りに捉えてくださった方も少なからずいて、やはりとても嬉しかった。

そして迎えた10月22日の夜。
第50回大人絵本会は、いつもにも増して、素敵な夜になった。
その記録は、ここにある。
http://togetter.com/li/573486
本当にたくさんの人の嬉しい気持ちが詰まった、一生の宝物にしたい記録だ。

どうか、一人でも多くの人に、私のこの思いを共有してもらえますように。
そしてこの回に限らず、今まで開催して来た大人絵本会に一度でも参加してくださった
全ての人に、心からの感謝を伝えたい。
いつも大人絵本会を支持してくださって、本当にありがとうございます!!
なお、当会は今後もこの調子でひたすらマイペースに続けて行く所存です。
主宰の都合と嗜好に思い切り偏った、ゆるゆるな運営もきっと変わらぬことでしょう。
こんな私でよかったら、どうぞこれからも末永く、おつきあいくださいませ。

posted by えほんうるふ at 13:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | 嬉しくなる絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月26日

自分だけの音色

ルラルさんのバイオリン (いとうひろしの本)ルラルさんのバイオリン (いとうひろしの本)
いとう ひろし

ポプラ社 2001-09

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世の中には人それぞれの趣味趣向に応じて様々なお稽古ごとが存在する。
幼児から老人まで、対象も幅広く豊富にある習い事の中から一つを選ぶ理由も様々だろう。
純粋にそれを学んでみたいから、という向学心と知的好奇心に溢れた人もいるだろうが、
限られた金と時間とを費やすことを思えば、普通はもっと下世話な理由が先にくるはずだ。
曰く、何が何でも我が子の才能をもれなく見いだし最大限引き延ばしたいとか。
何が何でも金儲けに繋げて爪に火を灯すような困窮生活から逃れたいとか。
何が何でも一芸を身につけて孤独な将来に備えたいとか。
そういった切羽詰まった事情で必死な皆さんを除けば、
全ての人が目の色変えて習い事に走るその理由はただ一つ、モテたい!!

もとい、愛されたい。と言っておこう。
これに集約されると私は断言できる。→続きを読む
posted by えほんうるふ at 23:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 嬉しくなる絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月18日

父の記憶

うさこちゃんとうみ (1才からのうさこちゃんの絵本セット1) (子どもがはじめてであう絵本)うさこちゃんとうみ (1才からのうさこちゃんの絵本セット1) (子どもがはじめてであう絵本)
ディック ブルーナ

福音館書店 2000-12-01

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誠に残念なことに、私は父親に娘として可愛がられた記憶が無い。
いや、父親がいなかったわけではない。ちなみに今でも健在である。
自宅で商売をしていたので、仕事で不在がちだったというわけでもない。
ただ、たまたまその人に、血を分けた我が子を特別に愛でるという発想がなかっただけだ。

なにしろ、父との思い出で一番古い記憶と言えば、こんなものだ。→続きを読む
posted by えほんうるふ at 19:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | 嬉しくなる絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月24日

全ての人に「ホーム」が必要

うちにかえったガラゴうちにかえったガラゴ
島田 ゆか

文渓堂 2002-06
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仕事で常に全国を飛び回っていて、住所不定に近い生活をしている人にとって、
マイホームとはどのような場所なのだろう。

たまたま先日観たジョージ・クルーニー主演の「マイレージ・マイライフ」という映画では、
主人公のライアンは1年のうち322日を出張に費やし、全米を股にかけて年間350万マイルを
飛行機で移動し続けるという生活をしていた。
マイレージ1000万マイル達成を目指す彼にとっては、フライト中の機内こそがマイホーム。
搭乗口では馴染みのグランドホステスが「おかえりなさい」と出迎えてくれる。

そんな彼の「帰宅」シーンが作中に出てくるのだが、ちっとも嬉しそうではなく、
むしろ仕方なく嫌々立ち寄るという風情なのが印象的だった。続きを読む
posted by えほんうるふ at 22:30 | Comment(6) | TrackBack(0) | 嬉しくなる絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月13日

聖なるお告げ

ゆきのまちかどに (ポプラせかいの絵本)ゆきのまちかどに (ポプラせかいの絵本)
ケイト・ディカミロ作 バグラム・イバトーリーン絵

ポプラ社 2008-10
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今年も残すところあと半月余り。このシーズンの旬と言えばもちろんクリスマスの絵本なのだが、考えてみれば今までこのブログでこの季節にクリスマス絵本を取り上げたことが無かった。
その記念すべきオトナ読みクリスマス絵本第一号に、我ながら意外な一冊を選ぶことになった。
何故なら、その絵本との出会いこそがその後の私の一年の活動を方向付け、今や私のライフワークとも言えるツイッター上での絵本の読書会&交流会「大人絵本会」発足のきっかけとなったからである。続きを読む
posted by えほんうるふ at 10:25 | Comment(2) | TrackBack(0) | 嬉しくなる絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月01日

結婚の理想と現実

きょうはなんのひ? (日本傑作絵本シリーズ)きょうはなんのひ? (日本傑作絵本シリーズ)
瀬田貞二作・林明子絵

福音館書店 1979-08-10
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最近我が家に独身男女が集う機会が多いのだが、後で会った時に「えほんうるふさんとこみたいな夫婦関係が理想です」などと言われることがある。
その実態は、折角遊びに来て下さった他人様の目の前で険悪なムードを晒すわけにも行かず、お互いちょっと無理して最大級の仲の良さを演出しているに過ぎないのだが…(爆)
しかし、それを彼らにマジ語りするのは甚だしくオトナの夢を壊すような気がして、つい
「いやー、いつもケンカばっかりですよ」「またまたぁ〜」なんて応酬で流すことになる。
実際、ひどい時には最初の客人がチャイムを鳴らすその瞬間まで壮絶な舌戦が展開中だったりするのだが、そんな状況すら平然と繕えてしまうのは、キャリア15年の「夫婦芸」のなせる技か。
(いや、多分既婚者にはバレバレだと思うが…気づいた方には大人の対応を望みます)

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posted by えほんうるふ at 20:32 | Comment(4) | TrackBack(2) | 嬉しくなる絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月16日

遠足の楽しみ

エンソくん きしゃにのる(こどものとも絵本)エンソくん きしゃにのる(こどものとも絵本)

福音館書店 1990-09-15
おすすめ平均

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今年の春は天候がメチャクチャで、冬から突然初夏になるような激しい寒暖の差に身体が追いつかなかった。
それでも、5月も半ばに入りようやく例年並みの気温となって、町を歩けば新緑が目にまぶしい。
さて、新緑の季節といえば、遠足シーズンである。
遠足のしおりというものは、どうしてあんなにワクワクするのだろう。
確認するまでもないのに、持ち物リストを見る度に何だか嬉しくなってしまう、お弁当・水筒・おやつ(は、300円まで?)の遠足3大アイテム。とにかく、コドモの遠足はこれさえ忘れなければ何とかなる。

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posted by えほんうるふ at 00:21 | Comment(2) | TrackBack(0) | 嬉しくなる絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月28日

魔法のリセット装置

kakebuton.jpgしきぶとんさん かけぶとんさん まくらさん
(こどものとも年少版 2010年2月号)

高野文子 作・絵

福音館書店

先日、ひま・めも2のひまわりさんから、素敵な絵本をご紹介いただいた。
高野文子さん作の、「しきぶとんさん かけぶとんさん まくらさん」がその絵本。
さすがオトナノトモがリスペクトしてやまない「こどものとも」。
また一つ傑作集としての刊行が待ち遠しい名作に出会えて、とても嬉しく思う。
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posted by えほんうるふ at 17:21 | Comment(6) | TrackBack(0) | 嬉しくなる絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月31日

食卓の原風景

トッチくんのカレーようびトッチくんのカレーようび
やまもと まつこ

ポプラ社 2000-10
おすすめ平均

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カレーようびには、どこのうちでも カレーライスをつくるんです。

だからトッチくんのおかあさんは今日もカレーを作る。
何百人、何千人ものおかあさんがカレーを作る。
玉ねぎに涙がぽろぽろ流れても、そんなことに構ってはいられない。
だって今日はカレー曜日なのだから。

1年ほど前から、我が家の金曜の夕飯メニューはカレーライスと決まっている。
子供達(特に息子)が、やたらとカレーの日を待ちわびるので、いっそ毎週の恒例にしてしまえと思ったのがきっかけ。
いつも多めに作るので、必然的に翌日の土曜の昼もカレーになる。
さすがに2日目なので、ドリアにしたりうどんにしたりとアレンジを考えるが、要するにカレー味であることに変わりはない。

毎週毎週同じ献立でよく飽きないものだと思うが、給食もカレーだからと気を回して別のメニューにしたりすると、必ず家族(特に息子!)からブーイングが出る。
カレーはカレーでも、母のカレーは別物なのだという。
「二郎のラーメンは、ラーメンではなく『二郎』という食べ物である」みたいなものか。
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posted by えほんうるふ at 21:48 | Comment(6) | TrackBack(0) | 嬉しくなる絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月27日

愉しきバーコード・ワンダーランド

ピヨピヨスーパーマーケットピヨピヨスーパーマーケット
工藤 ノリコ 作

佼成出版社 2003-12

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スーパーマーケットが好きだ。
しかしそこは、大好きだからこそ出来るだけ近寄らないように自制している禁断の園でもある。
何しろ、必要な物だけを買って店を出ると言うことが出来ない。
特に、こだわりのパンや総菜・珍しい輸入食材やら製菓材料などが並ぶいわゆる高級スーパーの類に弱くて、一歩足を踏み入れたが最後なかなか出られない。(余談だが、この手のスーパーでは買った物を店の人がレジ横で袋詰めしてくれるのがちょっと嬉しい♪)
大抵は買い物リストという武器を手にしているものの、敵はあの手この手でこちらの好奇心と五感とを刺激してくるので、あっさり陥落してしまうのが常なのだ。

かつて私はこの難関を突破すべく、タイムアタック方式で買い物をしてみたことがある。
やり方はごく単純で、ストップウォッチ片手に店内に足を踏み入れた瞬間から買い物リストをクリアして出てくるまでのタイムを計るだけ。
結果はムダ遣いゼロ&時間短縮で一石二鳥という素晴らしいものであったが、
タイムを競う相手がいない空しさと他の買い物客の訝しげな視線がネックとなり
残念ながらあれから一度も決行していない(^^;)
 

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posted by えほんうるふ at 01:17 | Comment(16) | TrackBack(0) | 嬉しくなる絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月02日

遊び力がコドモの財産


家で子どもとトランプをすると、結局ババ抜きと神経衰弱ばかりになってしまう。しかも真剣勝負するとあっさり大人が勝ってしまい、親も子も何だかつまらない。そこでネタを増やそうと「新しいトランプの遊び方」なる本を図書館で借りてみたら、意外にも幼児でも大人と対等に遊べるゲーム法がいくつも載っていた。
しかし、
 ・帽子などを的にして自分の持ち札を順番に投げ、誰が一番たくさん入るかを競う。
 ・床のスタート地点にカードを並べ、一斉に息を吹きかけてゴールまでの早さを競う。
 ・テーブルの端を崖に見立て、それぞれの持ち札を加減して弾いて誰が一番端ギリギリに止められるかを競う。落としたら負け。

…これってトランプゲームと言えるのだろうか(^^;)?
 
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posted by えほんうるふ at 16:45 | Comment(12) | TrackBack(1) | 嬉しくなる絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする