2017年10月26日

持てる貧しさと持たざる豊かさ

おさらをあらわなかったおじさん (岩波の子どもの本)おさらをあらわなかったおじさん (岩波の子どもの本)
文フィリス・クラジラフスキー 絵バーバラ・クーニー

岩波書店 1978-04-21

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社会人になってしばらく経った頃のこと。
私はふと、もう自分は大人なんだからこれからは量より質の生活を目指そう、と思い立った。
それは、正社員として働きはじめ、今までより格段に自分の自由になるお金が増えた私の、人生初のお買い物フィーバーの熱がようやく落ち着いて、正気を取り戻した朝だったのかもしれない。
落ち着いて部屋を見回して見れば、短期間に激増したモノのおかげで私の居場所は明らかに狭くなっていた。
ベッドの上には、毎朝の出勤前のファッションショーの残骸が積み上がっている。
ベッドの下には、読みかけの本と買ったまま積読するばかりの本、そして雑誌がこれまた山を成している。
うんざりした気分でそれを一枚一枚畳み直し、ハンガーにかけ、タンスにしまい・・・なんてやっているうちに、私もようやく気がついた。
モノが豊富にあることが、生活を心を豊かにするわけではないことを。
むしろ大量のモノを管理もできぬまま所有だけはしているという状態は、ひとつひとつのモノへの愛着を薄れさせ、日々の生活そのものを投げやりにやり過ごす、ろくでもない習慣につながりかねないことを。

よし、とにかく、まずは少しずつでも物を減らそう。
次に何か買う時は、一つ増やす前に二つ処分しよう。
断捨離という言葉がブームになるずっと前に私はそれを決意したのだった。

と、ここまで思い出したところで、私が断捨離というと真っ先に思い出す一冊の絵本をご紹介しよう。
別に断捨離がテーマの絵本ではないのだが。

主人公は一人暮らしのおじさんである。
おじさんは仕事から帰るときちんと自炊して夕食を取る。家事も出来る自立した男なのだ。
だがある日、いつもよりお腹を空かして帰宅したおじさんは、勢いいつもより料理も頑張ってしまい、ようやくそれを食べ終えた時はヘトヘトで、つい出来心で夕食後の食器洗いをサボってしまうのだ。

ああ、分かる!!非常によく分かる・・・
私もよく、外出や仕事から帰ってきて大急ぎで家族全員分の夕食を作り、何とかそれぞれに食べさせたまでは良かったが、そこで電池が切れたようにダイニングテーブルから立ち上がれなくなってしまう。
下手すればそのままそこで寝落ちし、ハッと気がつくと家族は誰もいない・・・
ああまたやってしまったと自分で自分にうんざりしつつ、やれやれと立ち上がり、夜中に一人で皿を洗う。
もっと酷い時はとにかく汚れた皿を流しにまとめるだけまとめて、そのまま朝に持ち越すことすらある。
が、「それをやっちゃぁ、おしめえよ!」とばかりに、私の良心に潜むハウスキーピングの神様が現れて叩き起こしてくれるので、結局家族の誰よりも早起きして明け方に一人で皿を洗っていたりする。

残念なことに、決して本来ズボラでもないはずのこのおじさんの心にその神様はいなかったらしい。
幸い、皿ならまだまだいっぱいあるので、ちょっとぐらい家事をサボっても支障はない。
翌日も、その翌日も、日が経つほどに汚れた皿は積み上がり、ますます皿洗いは億劫になる。
やがて手持ちの食器を使い果たし、石鹸皿や灰皿や、果ては植木鉢まで総動員して食器にする。
バーバラ・クーニーの小粋な挿絵のおかげで、家中に汚れた皿が積み重なり足の踏み場も無い様を描いた頁から悪臭が漂う気配はないが、これがリアルなら間違いなく小バエがブンブン飛び回る地獄絵図である。

そしてついに家中を探し回っても、皿にできるものがなくなった時、おじさんは・・・?
ここで、あっと驚く実に絵本らしいナイスな展開が待っているので未読の方は是非読まれたし。

さて、私がこの絵本を最初に読んだ時に思ったこと。
諸悪の根源はこのオッサンが一人暮らしの癖に手持ちの皿数が多すぎることではなかろうか。
そもそも使ったら即洗わずには皿がない、という状態にしておけば、こんなことにはならなかったものを。
ましてダークサイドに堕ちる前に引き戻してくれる心の神様もいないとなれば、やはりこのおじさんが今すぐ着手すべきはズバリ、断捨離である!


さて、私がひとり密かに断捨離を決意したあの日から、早くも20年以上の月日が流れた。
巷ではミニマリストなどと呼ばれる断捨離を極めた仙人のような人々まで現れ話題になっているというのに、私自身の状況にはほとんど進歩が見られず、忙しい朝にファッションショーの跡がベッドの上に残されるのも相変わらずだし、ベッドサイドには読みかけの本が今日も山積みである・・・嗚呼。
それでも、少なくとも生活用品に関しては無闇に新たな買い物はしなくなった。何かが欲しいとか足りないとか思った時は、まずは手持ちのものをチェックして、あればそれを使う。あるいは何かで代用する。ついでに見つけた不用品を処分する。
食品も、何かを切らしたら買う前にストックをチェックする。ついでに使いそびれてる食材を見つけて使う。
衣類や服飾雑貨なんかは、1枚買ったら2枚捨てる。
・・・なんてことを日々心がけるようにはなった。
おお、ちゃんと進歩しているではないか!
この調子なら、あと数年もすれば私の所持品は半減して今よりずっと身軽で快適な生活を楽しめるはずだ。
さあて、今日は何を捨てようかな?
posted by えほんうるふ at 06:45 | Comment(0) | 身につまされる絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月25日

もしも願いが叶うなら

ロバのシルベスターとまほうの小石 (児童図書館・絵本の部屋)ロバのシルベスターとまほうの小石
(児童図書館・絵本の部屋)

ウィリアム スタイグ William Steig

評論社 2006-03

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小さい頃から、絵本や童話を読んでいて、突然心優しい魔法使いが現れて、
主人公がなんでも好きな願いを叶えてもらえるというシチュエーションを見かける度に、
「早まるな!まずはその特権を死ぬまで回数無制限に使えるようにお願いするんだ!」
と、幼心に意地汚く思っていたのは私だけだろうか。
今ならばさらに浅知恵が働いて、
「いや待てよ。そんな強欲なことを口に出したら、バチが当たってなけなしの1回すら権利抹消になるかもしれん!しからばここはひとつ、なるったけ謙虚に見せかけつつ、出来るだけ汎用性の高い願いをば・・・」
などど、グダグダ考えているうちに時間切れになるような気がする。

今日のお題絵本「ロバのシルベスターとまほうの小石」も、そんな願いごと叶ったりの絵本。
主人公のロバの男の子シルベスターは、小石を拾い集めるのが趣味。
ある日、たまたま見つけた奇妙な赤い小石に、触れただけで思いついた願いを何でも叶えてくれる不思議な力があるらしいと気が付いたシルベスター。ところが、ヒャッハー!と舞い上がったのも束の間、直後に絶体絶命のピンチに遭い、本能的に身を守ろうとした彼はこともあろうか「岩になりたい」などと思ってしまい、願いどおり物言わぬ岩に変身してしまうのだ。
もはや小石に触ることすらできない哀れなシルベスター。果たして彼は無事、元のロバの子に戻れるのか・・・?


それにしても私はこの絵本を読む度に、ああやはり神様はよい子をちゃんと見ているのだな、と思ったものだった。なにしろ幼く無邪気なシルベスターは、小石が希望を叶える力に気づくと、健気にまずこう考えるのだ。

「なんてうんがいいんだろう。これからは、のぞみがなんでもかなうぞ。
父さんや母さんはもとより、しんるいや、友だちにも、すきなことをさせてやろう!」


もう、言ってることが美しすぎて心の汚れた大人の自分が恥ずかしくなってくる。
自分の願いよりも先に他人の幸せを考えられる心やさしく無欲なシルベスター。
そんな彼だからこそ、魔法の小石が見つけられるのだろう。半世紀近くも生きてきたのに、一向に私がそんな稀有な小石と巡り会えそうにないのは至極当然というものだ。

それなのに、折角の僥倖をとっさの判断でみすみす無にしてしまう、あんまりな展開。
このシーンも読む度に私はもどかしさのあまりキーッ!!とハンカチを噛み締め引き裂いてしまいたいような気分になる。(ちなみにこれまでの人生で、悔しい時に本当にそんなリアクションをしている人を見たことはない。一度見てみたいものだ。)

でもこの残念展開、実は自分たちが気がついていないだけで、現実世界で誰にでも普遍的に起きていることなのかもしれない、とふと思う。
絵本で読めばこそ、この「やっちまった」展開のトホホっぷりは誰にも一目瞭然で、読者は一様に「キーッ!」となるわけだが、実際のところ、私やあなたが毎日無意識にやりすごしている、その場その場の状況に応じた意思決定も行動選択も、見る人が見れば、あるいは賢者や神から見れば、折角の千載一遇のチャンスをみすみす無駄にしているのかもしれない。
そのほとんどは本人が気付かないまま流れていってしまうのだろうが、たとえ十分チャンスを認識していてもなお、最善の選択ができないことだって多かろう。
つまり、誰もシルベスターを笑えない。
人は愚かで、残念な選択を繰り返す生き物なのだと思う。
そしてまた、自分の気が付かないところで天の采配に助けられたりしているのかも・・・。

なんて考えると、平凡な自分の毎日も案外面白くスリリングに思えてくるのでオススメである。

posted by えほんうるふ at 06:32 | Comment(1) | TrackBack(0) | 身につまされる絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月21日

思いつくだけなら猿でも出来る

おもいついたらそのときに!おもいついたら そのときに!
西内 ミナミ作  にしまき かやこ 画

こぐま社 1983-11

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私は何事も長続きしない性格で、幼い頃から続けて来た習い事なんてものが何一つない。
それなのに、ほんの思いつきで始めたこのブログが今年の3月に開設から9年目を迎えることに気がついて、我ながら驚愕している。
あえて自分にノルマを課さず「書くことを探さず、書きたくなったら書く」をモットーに、
ダラダラ月1回ペースでやってきたのが良かったのだろうか。
気がつけばなんと来年は十周年である。まさかの事態だ。
一年前倒しして盛大に祝いたいぐらいだが、そこはやはりここまで来たらあと一年、
こんな私でも何かを十年継続できた証とすべく地道にダラダラと行こうではないか。

開設時から今まで読み続けてくれている読者なんて、いるのかしら。
もしいらっしゃいましたら、どうぞあと一年耐えてみて下さい。
来年の3月、ご愛読十周年記念に私のサイン入り生写真でも差し上げましょう。

さて、思えば私にはもう一つ、このブログ以上に長く続けていることがあった。
それが、日記である。
ネット上のものではなく、いわゆる昔ながらの、ノートに手書きの日記。
それを私は、子どもの頃から現在に至るまで書き続けているのである。
一番古いのは小学校高学年時代のもので、近所のファンシーショップ
(という営業形態は、絶滅したのだろうか)で買ったファンシーなノートに、
マセガキのファンシーな戯れ言がファンシーな字体で書き連ねてあるという、
存在を思い出す度に身の毛がよだつ代物である。
が、折角思い出したので敢えてここでその冒頭を公開するという
羞恥プレイに挑んでみよう。

「昭和57年12月2日
やっと今日から日記が書ける。
たった一人で、嫌なこともよかったことも、この中におしこむんだ。
そうだ、このノート大大親友にしか見せないことにしよっと。
エヘ、おなか、ぐぅ〜なんていってる。」


ぐぬぬ・・・我ながら想像以上のポエマーぶりに、公開はこれが限界である(汗)。
自分がいつか不慮の事故で死んだりして、まかり間違ってこの続きが
ネットで公開なんぞされようものなら、私はとてもじゃないが成仏出来ないであろう。
さて、いつどうやって安全に処分したものか・・。

話が逸れた。
そもそも日記の話を持ち出したのは、今日のお題絵本に関係があるからである。
今日の絵本「おもいついたら そのときに!」は、ぶっ飛んだ内容に元気が出る
新年にぴったりの絵本で、過去にも拙ブログで取り上げているので、
内容に即したレビューはこちらをご参照いただけたらと思う。
今回は、その過去ログを自分で読み返していて、感じたことを書いておこう。

ぶっちゃけ、それはまるで昨日書いた文章のようだった。つまり、
当時から全く進歩していない自分の成長の無さを思い知らされたのだった。
というのもこの正月、愛用の石原出版社謹製10年日記(通算3冊目)の年頭頁に
今年の抱負を記そうとした私は、ふと前頁を読み返し、そこに箇条書きにされた
去年の抱負がほとんど全滅に近い達成率であることに気づいて愕然とした。
そしてあれこれ考えあぐねた末に、結局2年連続で同じ抱負を書いたのである。

そして目標とは別にこれまた毎年この頁に記すことにしている「今年の心がけ」
もまた、ほぼ内容を更新すること無くそのまま今年も引き継がれることになった。
そのうちの一つが、ここ数年毎年書いている、
「雑用はその場ですぐ処理して、後回しにしない」なのだ。
まさに思いついたらその時に!どころか、まず思い立て!というレベルの低さである。

果たして私は来年の年頭頁に、恒例のなし崩しの継続案件ではなく、
新たな目標を打ち立てることができるのだろうか。
そうだ、それこそ来年の目標とすべく、今年の頁に一筆書き加えておくことにしよう。
「せっかく思いついたことを、一つでもやり遂げること」と。


ちなみに去年私が日記に記した新年の抱負の中で、
唯一達成出来た目標とは、「月1回の大人絵本会継続開催」であった。
これは本人の努力の結果というより、ひとえに参加者の皆さんの支えの賜物である。
今年も感謝の気持ちと共に、この希有な大人の時間を重ねて行きたいと思っている。
大人絵本会ご愛顧の皆様、今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

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posted by えほんうるふ at 19:48 | Comment(4) | TrackBack(0) | 身につまされる絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月24日

シワが増えませんように

おこだでませんようにおこだでませんように
くすのき しげのり・作 石井 聖岳・絵

小学館 2008-06

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この絵本のレビューを書くにあたり、どのカテゴリーにいれようかはたと迷った。
「大事なことを教わる絵本」なのは確かだろう。
でも、この絵本が説く「大事なこと」は、おそらく子を愛する母親ならば誰でも、
わざわざ教わるまでもなく本能的に知っていることだ。
分かっているのになかなか実践できないからこそ、親も子も苦しいのだ。

ということは、「切ない絵本」か?
いやいや、切ながってる場合でもない。そんな感傷にいちいち浸っているようでは、
それこそ待った無しの日々の育児が成り立たない。

それではやはりアレか。「泣ける絵本」か。
号泣絵本は?と聞かれてこの絵本を挙げる人も少なくないらしい。
確かに泣こうと思えば泣ける。
いや、泣こうと思わなくても、日頃ある種の子どもと接する機会があり、
ツボに入るシチュエーションに縁があるなら、タイミング次第で号泣必至だと思う。

だがしかし。
絵本のオトナ読みを提唱する私の中の要らぬプライドが、
この作品を「泣ける絵本」認定することをどこかで拒んでいる。
その理由はズバリ、ベタすぎるの一言に尽きる。
書き出しといい、展開といい、クライマックスの間といい、絶妙にたどたどしい決め台詞といい
とにかく演出が上手すぎるのだ。
そして、ダメ押しのごとく壁に貼られた満面の笑みの「おかあさん」の絵。
これはいけません(笑)。もうね、反則です、反則!

そもそも最初に私がこの絵本を読んだときの感想は「け。」だった。
天の邪鬼な性格が祟って、明らかに読み手を泣かせにかかっていると感じてしまうと、
何か鼻白んでしまって、妙に冷静になってしまい泣けないのだ。
(ちなみに絵本のように視覚依存の大きい紙媒体であれば、私もかなり強気でいられるが、
これが視覚と聴覚のダブル攻撃をされる映像作品なんかだと割とあっけなく落ちる。)

だから、過去ログに書いた通り、私は「大人による大人のための絵本」が苦手なんである。
私にとってこの「おこだでませんように」は、長らくまさにそう言う範疇の作品だった。
ところが先日、たまたま小学校の読み聞かせで手持ちの本が足りず、
小学5年生にこの絵本を読んで紹介したところ、
いつも落ち着き無く騒いでいる男子達がじわじわと食い入るように話にのってきた。
ヤンチャ坊主が多いクラスだったので、人ごとではなかったのだろうか。
ラストの数頁を読んでいる時にチラ見した、彼らのニヤニヤと嬉しそうな表情が忘れられず、
私も認識を大いに改め、大人絵本会のお題にまでとりあげたという訳である。


話を戻そう。
そんなこんなで結局この作品にピッタリはまるカテゴリーが見つからず、
私はこの絵本の為に「身につまされる絵本」というカテゴリーを新設した。
この先、他にもこのカテゴリーにピッタリな絵本との出会いがあるかと思うと
嬉しいような嬉しくないような、複雑な気持ちになるが・・・。


お気に召しましたら・・
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posted by えほんうるふ at 02:57 | Comment(2) | TrackBack(0) | 身につまされる絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする