![]() | 100万回生きたねこ 佐野 洋子 講談社 1977-01 by G-Tools |
いつかはやらなきゃいけないと思いつつどうにも気が進まない宿題のように、その解釈を自分に問うことを無意識にずっと棚上げしてきた絵本がある。「100万回生きたねこ」というその絵本は、絵本好きならずとも一度は目や耳にしたことがあるであろう、佐野洋子作の超有名なミリオンセラーである。
私にとってこの絵本がなぜそんな微妙な位置にあるのかというと、とにかく泣ける絵本と言えばこの絵本、というぐらい号泣必至の感動作として有名なこの作品を、私は20年以上前から今まで何度読んでもどうしても泣けないからである。
若い頃は「この本で泣けない自分はよほど冷たいヤツなのだろうか」と悩み、ムキになって繰り返し読んだものだが、それでも私の涙腺はピクリとも反応しなかった。何も感じなかったわけではない。むしろ読むたびになんとも名状しがたい読後感をどう吐き出すべきか、数時間も悩む羽目になった。ならば私と同じようにすんなりと感動の涙を流せないでいる同志はいないものかと、今までにそれこそ100以上のレビューや書評を見てきたと思うが、残念ながらこれまで我が意を得たりと思える文章に出会えずにいたのである。
ところが、ようやく私とこの絵本との長年のわだかまり解消のきっかけとなる文章に出会えたのだ!ああなんとブログは素晴らしい。ありがとう、山猫編集長!!
では早速その山猫編集長の記事をヒントに、私がこれまでこの絵本を読む度に感じていたことを改めてまとめてみると…
100万人もの人間に愛されていながら、一人として自分が愛せる相手に巡り会えなかったとは凄まじく不幸な猫だ。その不幸は猫自身の鈍感さ・傲慢さが招いたものとはいえ、どうせ満たされない人生と思いながら100万回も生き返らされるのは地獄の苦しみであろう。この猫は自分の呪われていると言っても良いほどの悲惨な運命を、自分を好きだと思いこむことで紛らわせていたのかも知れない。
そう思った私には、この「100万回も死ねなかったねこ」がしろいねこと出会い、自分以外の者を愛する喜びと悲しみを知って、永遠に続くかと思われた業をようやく断ち切り悲しみの果てに死んでいく様は、これ以外に考えられないほど望ましい帰結、つまり美しきハッピーエンドに思えたのだ。
これがもし、初めて愛した運命の女が死んで自分も後を追ったはずなのに、またしても自分だけ生き返ってしまったという話ならばそれこそ悲劇だ。もしこの話がそういう結末になっていたら、私は間違いなく号泣しただろう。
死にたくても死ねない業を背負う者の悲惨さといえば、映画「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」でブラッド・ピットが演じていた人の心を捨てきれないヴァンパイア、ルイの生き様を思い出す。彼は人を傷つける自分を憎み、愛する人を失って絶望しても死ぬことがかなわない自分の運命を呪いながら生き続ける。一方、同じ吸血鬼ながらトム・クルーズ演ずるレスタトは自分が大好きで自分以外の全てを憎み、不死身の生を満喫し、何があろうとしぶとく生き続ける傲慢なキャラクターだ。誰かにそっくりではないか?
話を絵本に戻そう。この絵本のエンディングで私が感じたのは、悲しみでも同情でも共感でもなく、ひたすら「納得」と「安堵」であった。いい話ではあると思うが、それはこの絵本の主人公にとってハッピーエンドだったからそう思うのであって、私自身がカタルシスを得られるものではなかった。
しかし、世の中にはこの絵本で泣きまくる人がゴマンといる。何とか彼らの感情を理解したいと思っていた。
悩む私にヒントを授けてくれたのは、永井俊哉氏の「人はなぜ泣くのか」という論文だ。
この絵本を読んで喜びの涙や憤怒の涙を流すことは考えにくい。ではやはり、多くの人にとってこの絵本はあくまでも悲劇なのだろう。号泣によってカタルシス的効果を得るには、まずは起因となる悲劇の主人公に感情移入する必要があるらしい。おそらく私はここで失敗しているのだ。
なぜなら私はこのねことは逆に、ずっと自分が嫌いだった。人に愛されることを切望し、恋愛するたびに「この人のためなら死ねる」と本気で思っていたのは、相手が誰よりも「愛される自分」を実感させてくれる存在だったからだ。愛に飢え(?)愛されることが当然とは思えない自分にとっては、このねこの傲慢さは理解しがたいものであり、猫冥利につきる我が身の幸せに気づかない愚かさを忌々しいとまで思ったものだ(猫とはもともとそういう動物なのかも知れないが…)。幸い、私も30余年の間に出会った自分を認め好意を寄せてくれる人々の共感・共苦、時には賞賛の言葉に励まされ、少しずつ自分を好きになった。今となっては、(この記事のように)マイナーな価値観を持っていることを他人に堂々とアピールできるぐらい、健全な自己肯定感を持ち得ている。ありがたいことである。
では、多数派である「この絵本で泣ける人々」は、どうなのだろう。それだけたくさんの人が多少なりとも幼い頃から自己肯定感を持って生きているのだとすれば、それはそれで喜ばしいことだと思うが、案外このねこ同様に自分が愛される存在であることに疑いを持たず、自分がいかに恵まれているか気が付かない人も多いのかもしれない。
「自分のことはまあ好きだし人生に大きな不満もないが、でも絶対的な何かが足りない。長い旅路の果てにその何かをようやく見つけたが、それは自分が死ぬときだった…」
そんな風にこの絵本に感情移入できたなら、確かに涙が止まらなくなりそうな気がする。
もうひとつ、ねこと私の大きな違いがある。私は自分を好きになるにつれ、人を好きになることが得意になった。平凡な人々の愛すべきところを見つけるのはもはや私の特技といってもいいぐらいだし、特に気に入った相手なら、それこそ全身全霊を込めてありったけの愛情をぶつけてしまう。(オトナになってからは重すぎる愛情は相手にとって負担になることを学び、そのあたりのコントロールもだいぶ上達したが…)愛されること以上に愛することのできる幸せを日々実感しながら生きてきた自分は、ひょっとしてものすごい果報者なのかも知れない。
そんなわけで私は、死んだら絶対に生き返らない自信がある。
※さらなる追記は次の記事にて…
【目からウロコが落ちる絵本の過去ログ】
>死んだら絶対に生き返らない自信
ってすごい!羨ましいです。
私も、死ぬときにはそう思えるように生きていきたいなーと思います。
ところで、私は前に自分のブログでも書きましたが、佐野洋子さんの本で一番好きなのは「おぼえていろよ おおきな木」です(←これは泣く)。「100万回〜」の猫に感情移入できないのは「与えられてる感」なのかと思ってました。ワタクシ的には「自分のせいで失ってしまう感」と「自分の手でつかみとる感」があるほうが泣けるのです。(これには様々な異論がありましょうが・・・)
遅ればせながら、リンクを貼らせていただきました。
よろしくお願いします。
この物語がやはり、とてもキビシイ物語のように思えてしまうのです。
のどもとにナイフを突きつけられているような・・。泣くことも笑うこともできないのですよ。はは。
自分の書評コラムを読み返してみたのですが、やはり率直な感想としては、今でもあの時のままの感想ですね。
この絵本に関しては、生と死のあり方のほうに目が向いてしまうようです。
--(や)--
こんにちは。この記事に最初にコメントを下さったのがNOBITAさんだったのが、何だか嬉しいです。
「死んだら絶対に生き返らない」ように生きよう、とは思っています。成仏できないような死に方はしたくないのです。「よく死ぬことは、よく生きることだ(by 千葉敦子)」まさにこれにつきます。でも、もしこの絵本が示唆するように誰かを真剣に愛し愛されるとういうことがその条件の一つなのだとしたら、少なくともそれだけはクリアできていると思うのです。
「おぼえていろよ おおきな木」についてお書きになった記事を探してみたのですが、探し方が悪いのか見つかりませんでした。もしよろしければコメントかトラックバックで教えて頂けるとありがたいです。
相互リンクにさせて頂きました。これからもよろしくお願いしますm(_ _)m
お待ちしておりました。山猫さんの記事にインスパイアされて書いたことは確かなのですが、ひょっとして私の解釈は山猫さんの意図するところからズレてしまったのでしょうか? 私にとっても「生と死のあり方に目を向けさせる」絵本の筆頭であることに変わりはないのですが…。うーん、この絵本については、いつか直接お会いしてとことん語り合ってみたいです。
ただ一点!デス。
えほんうるふさんは、こう書いていますね。
【幼い頃から自己肯定感を持って生きているのだとすれば、それはそれで喜ばしいことだと思うが、案外このねこ同様に自分が愛される存在であることに疑いを持たず、自分がいかに恵まれているか気が付かない人も多いのかもしれない。】
・・・この部分デス。
『ワタシは、こういう人なのです。』
そして、だからこそエゴイスティックなこのトラネコに自分を重ね合わせてみるんです。
「あぁ、自分もこんなヤツだったかもしれないなぁ」と、思うわけです。
そこんところは、えほんうるふさんの言うようにとても需要だと思いますよ。
そこの部分だけかな。
だからこそこのトラネコに、身につまされるわけですね。ワタシの読みは、自分がトラネコと重なることで、むしろ内面に深く突き刺さってくるわけなのです。
--(や)--
私もこの本は何度もも何度も読んでいますが、どうもシックリとこなくて、なぜだろう・・・とずっと悩んでいました。それなりの解釈をしていましたが、山猫さんとうるふさんの記事を読ませていただき、すっきりしました。
100万回目にやっと死ねたこのトラネコはやっと幸せになれたのかもしれませんね。「いい死に方」をするためにも、今「いい生き方」をしたい・・・今はそういった心境です。
ありふれた記事ですが、私の『100万回〜』とTBさせていただきます。
>私は自分を好きになるにつれ、人を好きになることが得意になった。
素敵ですね。まさにそんな人間に私もなりたい・・・人を好きになる前に自分を好きにならないと、ね!
「100万回生きたねこ」、私は泣けます。(笑)
「死なない」と言うのはかなり悲劇だと私は思いますが、ラストが悲劇だとは思いません。
私の泣ける理由を書いて見ました。
この記事に当てはまるのかどうか・・・。
えっと、中途半端なコメントを入れてしまってスミマセン。
書評として佐野洋子さんの記事を書いたことは無いです。
ごめんなさい。
きちんと書けたらTBさせていただきますね。
コメントを入れることが難しい、且つ
人によっていろんな意見や見方がある、というところが
この絵本のこの絵本たる所以なのだなぁ、と
あらためて実感してしまいました。
私もこの絵本はハッピーエンドだと思ってました。
白猫を抱いて大口開けて号泣している猫の姿は確かに切ないですが
散々泣いた後、愛する白猫の横で死んでしまった猫に
「やっと死ねたんだね」
「愛する気持ちを知る事が出来て良かったね。」と心の中で思いました。
そういう意味では胸が熱くなりました。
たしか映画「グリーンマイル」だったかな?
不思議な力を受け取ってしまったトムハンクスが
異常に長生きしてしまって「何人もの愛する人を見送って辛い、なのに死ねない」
という様な事を言ってたのを思い出しました。
不老不死の研究もされてるみたいだけど
実際自分だけず〜〜〜と生きながらえても幸せじゃないだろうな〜と思いました。
「100まんかいいきたねこ」も「グリーンマイル」も
しばらく、みてないので勘違いあったらごめんなさい。
持ってる絵本なので、一言。。
涙を流したわけではありませんが、
読んで強く心に響いた絵本です。
生きるとはかくありなん、
人生に深く斬り込んだ、
大きくて重いテーマでもあります。
でもこの感動の土台って、
今までの自分の人生経験、
そのものなんじゃないかなあ、と。
子どもに読ますのは勿体ない、なんて。
愛の読本というより、生き方指南。
そんな気がします。。
『ワタシは、こういう人なのです。』
なるほど。となると、山猫編集長がおっしゃる「のどもとにナイフ」とは、自分のエゴを直視させられる痛さのようなものでしょうか。泣くことも笑うこともできないっていう気持ちがそれならよく分かります。でも、それだと私の文章は何だか佐野さんに荷担して山猫さんが逃げられないように後ろからオリャオリャ〜って押さえ込んでいるよーな…(笑)
でも、この言葉を言い切れる人って素敵です。山猫編集長の魅力のルーツを知ったようで、得した気分♪
こんにちは。トラックバックしていただいた記事、読ませて頂きました。(割と最近書かれた文章ですよね。私としたことが見落としていました)
それで読んだ感想なんですが…ショックでした!!もちろん、良い意味で。
長くなるので詳しくはそちらでコメントさせて頂きますが、なんと私、ka-3さんの文章で泣いてしまいました。ずっきーん、ときました。
人の優しさに触れて我が身の痛みを知る、そんな感じです。感謝してます。
「いい死に方」をするためにも、今「いい生き方」をしたい・・・
改めて、心からそう思いました。でも私、まだまだでした。もっと精進しないと生き返っちゃいそうです(苦笑)
コメント&トラックバックありがとうございます。
実はある人から私の記事が「泣ける派」の人をバカにしているようで失礼だというお叱りのメールをいただきまして(涙)、もしそのように受け取った方がいらっしゃったら申し訳ないと思っていました。空さんが胸を張って改めて「私は泣けます!幸せです!」っておっしゃってくださったので、救われた気持ちになりました。ありがとうございます。
NOBITAさんのレビュー、伺ってみたいです。でもこの通り、ややこしい本なので、気長にお待ちしています(^^;)
それにしても本当に、これほど色んな解釈のできる、そして人の心の奥底に触れる絵本も珍しいのでは、と思います。私なんて、ここにトラックバックして下さったka-3さんの記事を読んで新たに2枚目のウロコが落ちたところです。なんと私にとっても号泣絵本になってしまいましたので、また改めて続編をブログで書きます。
えほんうるふさんのこの記事のおかげで、今回いろんな方の書評にめぐりあえました。(^^*
素敵な出会いをありがとうございました。
中でも、ka-3さん。空さんの書評には、うなずくことも多く、参考になったと同時に、ka-3さん、空さんのお人柄まで伝わってくるようでうれしかったですね。感謝デス。
--(や)--
コメントありがとうございます♪ 頂いたコメント自体はすぐに読んでいるのですが、お一人お一人の言葉が嬉しくて順番にお返事を書いているので、反応が遅いようで申し訳ありません。
「やっと死ねたんだね」
「愛する気持ちを知る事が出来て良かったね。」
主人公のねこを思いやるやさしさ、lovebookloveさんらしいですね。ねこに代わって私からお礼をいいたいところです。
私も、不老不死を願う人の気持ちはよく分からないです。人生は終わりがあるから美しいのだと思います。
ただ、愛する人と死に別れることを思うと、想像しただけでもうダメです。夫とは互いに「自分が先に逝きたいよね〜」なんて話しています(^^;)
ご無沙汰しております。来て下さって、とても嬉しいです♪
おっしゃるとおり、この絵本から何を読み取るかは、その人自身がどのような人生を送ってきたかによって違うのだということを、今回たくさんの読み応えある書評を読んで、まざまざと思い知らされました。
でも、世の中にはこの本を出産祝いや結婚式に贈ったり、プロポーズ代わりに恋人に手渡す人もいるようです。「毎晩、子どもに読み聞かせています」ってのが、一番びっくりしたけど…(^^;)
つくづく、人間って面白いなぁと思います。
こちらこそ、感謝感激です。山猫さんはもちろん、ここに立ち寄って下さったお一人お一人が、真剣に私の記事を読み、真剣に反応して下さったことが、涙が出るほど嬉しいです。
しかも…そのうちのお一方(ka-3さん)の記事を読んで、なんと私の目から2枚目のウロコが落ちてしまいましたので、自分でもしつこいとは思うのですが、もうちょっとこの本について書いてみたいと思います。お暇なときに、どうぞおつきあい下さいm(_ _)m
今パソコンの前なんだ〜なんだか嬉しいな♪
コメントの返事の遅れなんて気にしないで下さい。
えほんうるふさんちもラブラブですね。
私も二人で健康で長生きしたいと本当に願っています。
そういえば近未来の話、映画「アンドリュー」も
愛する人が老いて先に死んでいくのも辛いし
自分自身も世間に人間として認めて欲しくて
不老不死のロボットから、わざわざ色んな人工臓器のパーツを移植して
人間の様に死ぬ身体にしちゃう話だったなあ〜
たくさんコメント付いてますね。
なんか書こうと思って来たのですが、lovebookloveさんが言いたい事のほとんどを書いてくださってました。私はあんまり優しくないですが(^_^;)
泣けます、でもハッピーエンドの結末だなーと。
私は、猫に子どもがたくさん出来た所に何だかジーンと来たクチです。初めて好きになった人と家族が持てて良かったなあって。
僕も僕の記事TBしようかとまでは思わなかったけど
同じような話だよなあ でも僕のほうは稚屈なので
コメントはつけられないなあと思ってました。
僕もこの本では泣けません派です。でも佐野さんは好きです。
最近僕は人が死なないけど泣ける文章、誰か教えてくれないかなと切に願ってます。
世の中殺しすぎ。
いつもラブラブでいられるといいんですけどね。うちは一触即発夫婦ですから(笑)
「アンドリュー」面白そうですね。そのあらすじを聞いて、「銀河鉄道999」(コミック)を思い出しました。弟が全巻持っていたんです。あれもエピソードのひとつひとつが味わい深くて、面白かったなぁ…。
いただいたコメントでいちいち読み直してるので、また自分で宿題を作っちゃって、もうタイヘンですよ。今週末は七五三やるってーのに(汗)
子猫たち、可愛いかったですよね。「自分より好きなぐらいでした」っていう微妙な表現がまたいいんですよ。あくまでもクールに主人公のねこを見つめる佐野さんのその厳しさが痛気持ちいいというか…。
わざわざコメントくださってありがとうございます。稚拙だなんて、何をおっしゃる。私はあの「水槽串刺し」の話にうなりましたよ。すごく面白かった。
今はどうか知らないけれど、佐野洋子さんて、谷川俊太郎さんにとってのしろねこだったに違いない、なんちゅー濃いカップルだ…なんて夢想する絵本オタクの私。
人が死なないけど泣ける話、ね。メモメモ。見つけたら、連絡します。
>いつかはやらなきゃいけないと思いつつどうにも気が進まない宿題のように、その解釈を自分に問うことを無意識にずっと棚上げしてきた絵本がある。
まったく同感。
TBありがとうございました。
ところがどっこい、その「泣き」にはそりゃーもう色んな思いがあるようで…。これほど各人の人生観を露わにする絵本も珍しいと思うのです。
でも、TBしたのは別の記事の別の絵本なのでご確認下さいね(^^;)
遅ればせながら、トラックバックさせていただきました。
この絵本のテーマはあまりにも深く難しいのですが、それはこの絵本が難解だからではなく、テーマそのものが人間にとって深遠なものだからではないでしょうか。
だから、人それぞれ受け止め方も違うし、同じ人が読んでもその年齢や心境によって印象が違ってくるはずです。
だからこう読めれば正解というのもないし、子どもにはわからないというものでもないと思います。これが子どもにわからないということであれば、ぼくにもわかりません。
ぼくは個人的にはこの手の問題を人と議論するのが苦手な方なので、きょうはこのへんで。
コメント&TBありがとうございます。
「テーマそのものが人間にとって深遠なもの」仰るとおりでしょうね。一人一人の人生観が違うだけ、色んな受け止め方がある。正解のない宿題に皆さんに一緒に取り組んでいただけて、私はとても幸せです。
懐かしい本ですね。
変な話ですが、男性はセイウチの群れは雄1頭が雌100匹を囲う、というと
残りの一生独りで過ごす99匹の雄になるとは思わないんですよね。
永遠に生きる。
新聞の死亡記事は自分の歳に追いつき、追い越していき、昔有った話で盛り上がる相手が減っていき、恋人なんて婆さんか爺さんです。子供は老衰し、孫はやしゃ孫つれて。
実生活で年寄りに囲まれると、死ぬもんだなと。
ただ、トラ猫の死因について、つまらない言い方をすると、生殖の放棄が永遠性を担保していた、なんてね。(ToT)おもむき0・・。おそまつ!
ということはこの絵本の猫の雌雄が逆になると物語が成り立たなくなるのかも知れませんね。ハハハ。
永遠に生きるなんて冗談じゃないと私は思うんですが、いずれもっと死が身近になってくると別の思いに囚われるのでしょうか。あんまりジタバタしたくないんですが(笑)
あとは魔法使いの類(アーサー王譚のマーリン等)も色恋沙汰で力を失う制約(男性の場合は我を忘れてドジを踏む事が多く、女性の場合は処女性の剥奪が若さまで失わせる事等)が有名ですね。
割と西洋でポピュラーなのかも知れません。
面白い視点ですね。現実には、いくつになっても恋する者は老けないなぁと感心させられるされることが多いわけですが、キリスト教の宗教観がベースになっている西欧ではフィクション上であってもそれを認めるわけにはいかなかったのかもしれません。
よくこんな難しい場所にコメント。。。と躊躇しながら、全くの素人なので覚えている本がこれだけだったのでした。最近原画展で再読したので。
私はうるっときました。それは喪失感でわしづかみにされたあとにリリースされた感じで、最近よく泣ける話題と同じでした。「とにかく会えて(出会えて)よかったぁ。」というのにすごく涙腺が弱いです。
的外れなコメントで失礼しました。
初コメントでここに来るとは!侮れませんな…(何がだ?)
私の涙腺は屈強に思われがちですが案外もろくできてます。根が素直なので(笑)動物モノや不幸な幼子系ドラマなんかだと、作り手の思惑通りに号泣することもしばしば。
フランダースの犬最終回だってティッシュの箱抱えて観ましたし(爆)。
激しく泣くと後で頭痛がする体質なので極力「ナミダ目」程度で抑えようとするんですが、一旦おちるともう止まらない。ああ、クールな女狼のイメージが…