2019年03月27日

桜の国に生まれて

<桜守のはなし桜守のはなし
佐野藤右衛門 作

講談社 2012年3月
出版社詳細ページ

今年も桜の季節が来た。
我が家の近所にも桜の名所と言われる公園があり、さして広くもない公園がこの時期ばかりは昼夜を問わず人で溢れかえる。
もちろん満開の桜が川面に映える美しさは私も毎年楽しみにしている景色ではあるが、そのピーク時の印象が押し寄せる花見客で混雑する最寄り駅や周囲の喧騒になってしまったせいか、その最盛期にじっくり花を眺めることは少なくなってしまった。

お花見とは言えないかもしれないが、今の私が好んで眺めるのは時期としてはもう少し早い、まだ一分咲き程度の桜である。
気象庁の開花宣言もまだ遠くきかない時期の公園では、遊歩道を行く人々は桜の木を見上げることもなく通り過ぎていく。三寒四温の日が続き、日差しもまだ弱々しいばかりだが、それでも深く息を吸い込めばかすかに空気に甘い香りが混じっているのが分かる。私は嬉しくなって、ワクワクしながら桜の枝先に目を走らせる。するとそこには、硬い外皮に包まれたつぼみが、期待に胸を膨らませるようにふっくらとまあるく膨らんで、今か今かとその日を待つ姿が見えるのだ。
健気に身を寄せ合って春を待つ小さな花芽たちが愛おしくて、私は思わず語りかけたくなる。
ああ、寒い冬の間、みんなよく頑張ったね。今年ももうすぐ会えるね。待ってたよ、と。

東京に住む私にとって桜はとても身近な樹木だ。
家からさほど遠くない範囲にいくつも桜の名所があるし、桜並木も当たり前にそこここにある。
春になれば花が咲き、夏には青葉が茂り木陰を作り、秋になれば美しく葉が色づき、冬は細い枝の先に雪化粧を纏ってみせる・・・ただそこに植わって立っているだけで、巡る季節と共に四季折々に異なる装いで私達の目を楽しませてくれる桜の木の有り難みに都度感嘆しつつも、それがあまりにも当たり前に繰り返されるので、自然の力で勝手にそのようになっているように思いこんでいた。
しかし、その惜しげなく季節が来れば繰り返される桜の命の煌きが、実は人の手による手厚い加護によって守り支えられていることを知ったのは、割合最近のことである。
私にそれを教えてくれた一冊の絵本。それが今日ご紹介する佐野藤右衛門氏の「桜守のはなし」である。

佐野藤右衛門氏は植木職人として京都・仁和寺御室御所に仕える“佐野藤右衛門”の十六代目であり、日本全国の桜の名木の保存につとめる「桜守」という人である。
恥ずかしながら、私はこの絵本に出会うまでそのような職業の人々がいて、人知れずあの美しい樹木の命の巡りを支えていることを知らなかった。当たり前のように享受してきた日本が誇る美しい桜の情景が、人知れず彼らのような職人たちの弛まぬ努力によって守られていたなんて。その事実に私はなぜか妖精とかコロボックルに出会ったようなワクワクする気持ちになった。
「桜守のはなし」はその名の通り、まさに桜の妖精のように使命感を持って全国の桜の名木を支える氏の日々の地道な仕事ぶりを、写真と共にはんなりとしたご本人の京都弁の語り口によって丁寧に紹介している絵本である。私と同じく、この作品を読んで初めて桜守という仕事を知る人もいるだろうし、日本人なら誰でもその存在に少なからず感謝の気持ちを禁じ得ないのではないかと思う。

とりわけ私が感激したのは、作中で氏が語ったこの言葉だ。

・・・月が丸くなってくるのとおなじころ、つぼみはめいっぱい気張って、ふくらんでくる。このようすを「笑いかけ」といいます。
私は桜がやさしくほほえむ、この瞬間が、いちばんうれしいんですわ。


ああ、桜の生育について何も知らない私と、そのプロ中のプロが「いちばんうれしい」と思うことが同じだなんて、ちょっと感激してしまうではないか。
でもきっとこれは、私だけではないのだ。同じように、膨らむ桜の蕾とかすかに漂う予感程度の芳しい香りに春の訪れを感じとり、密かに心躍らせる人々がこの国にはきっとたくさんいる。


先日、東京の桜の開花宣言が発表された。今年の桜も今週末には満開になるだろう。
満開の桜は美しいが儚い。あっという間に散ってしまうが、だからこそ尊く、愛おしく思える。

そういえば幼い頃、一緒に桜を見る度に母は私にこんな話をした。

「桜は律儀な花でね、全部のつぼみが花開くまで散らずみんなで待ってるんだよ。最後のつぼみが無事に咲いたら、その瞬間から一斉に散り始めるんだよ。」

私は毎年開花宣言のニュースを聞く度、母から何度となく聞かされたこの話を思い出し、何故か涙ぐみたいような切ない気持ちになる。
でもその真偽を確かめたことはない。それこそ藤右衛門氏に訊いてみれば一発で分かるのかもしれないが、どっちでもいいと思う。嘘でもいいのだ。日本人ならば、そんなおとぎ話じみた桜の花の物語を、すんなり受け入れて信じる人も少なく無いのではないだろうか。桜の木にはそういう神話じみた話がよく似合う。

そして、咲き始める直前の膨らんだ蕾を愛でるのと同じぐらい儚い春のお楽しみとして、私が心待ちにしている春の情景は散りゆく桜の姿だ。

ここはさくらのくにだから
散りゆく花までも愛でる
ここはさくらのくにだから
散りゆく花をこそ愛でる

(石村吹雪「さくらのくに」より一部抜粋)

この歌を初めて聴いた時も、やはり私は訳もなく涙ぐんだものだった。
春は私をやたらと涙もろくさせるが、それが嬉しいからなのか切ないからなのか、この歳になっても分からないでいる。



posted by えほんうるふ at 21:41 | Comment(0) | 大事なことを教わる絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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