2018年06月25日

愛しの「ばっかなクマのやつ!」

プーのはちみつとり (クマのプーさんえほん (1))プーのはちみつとり (クマのプーさんえほん (1))
A.A.ミルン E.H.シェパード 石井桃子

岩波書店 1982-06-18

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私は一応自他ともに認める絵本好きだが、個人的に所有している絵本の数は決して多くはない。
数えたことはないが、せいぜい200冊ぐらいじゃなかろうか。
普段SNSで交流している友人たちの中には自宅で子ども向けの文庫を開いている人もいるし、出版や書籍流通業界の人や読み聞かせ活動をする人なども多く、皆さん私よりも相当多くの蔵書をお持ちのようだ。
私も、もし自分が大金持ちで、自宅に自分専用の広い書斎を持つ余裕があったならば、こっそり「オトナノトモ文庫」とでも名付けてこのブログで採り上げてきたタイトルを筆頭に私ならではの偏った趣味全開の絵本で本棚を埋め尽くして悦に入りたい・・・という気持ちがないこともない。
が、住宅事情的に全く現実的ではないし、近所に図書館も複数あるので野望は野望のまま息を潜めている。   

ところでその数少ない我が家の所蔵絵本のうち、刊行年が一番古いのがこの「絵本クマのプーさん」なのである。
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残念ながら初版本ではないが、1970年発行の第二版で、辛うじて私自身より年代物だ。
これが初めて親に買ってもらった大切な一冊・・・であれば自慢の一冊にもなろうが、残念ながら親に買い与えられたものではなく、10年ほど前にとあるご縁で自力で入手したものだ。

もちろん、これはこれでとても思い入れがある大切な絵本であるが、今日とりあげるのはこの元祖「クマのプーさん」ではなく、その後岩波でより親しみやすいエピソードを抜き取って分冊化された「クマのプーさんえほん」シリーズの第一巻、「プーのはちみつとり」である。

そもそも私が「クマのプーさん」に出会ったのは中学生の頃だった。
ちょうど東京ディズニーランドが開業した頃で、おそらく私も多くの人たちと同様に、ミルンの原作をちゃんと読むより先にディズニーによってキャラクター化されたプーさんを目にしていたんだと思う。
学校の図書室の本棚で見つけたその原作絵本は、拍子抜けするほどそっけない背表紙だった。
でも、訳者の石井桃子さんによる美しい日本語とE.H.シェパードの繊細な画風で表される原作の世界観は、ディズニーが提供するきらびやかな夢と魔法の国よりも、私にはずっと魅力的に映った。
あの目にも鮮やかな赤いTシャツで愛嬌を振りまくる売れっ子のクマと比べて、原作のプーはなんとも地味でさりげなくて、それでいて佇まいに気品があったのだ。

何より私は、作中で小さな登場人物たちが交わす会話の、もどかしいようなくすぐったいような、妙に遠慮がちでやたらと礼儀正しい独特の言い回しにじわじわと心を奪われた。
それは、私の現実の日常で交わされる会話文とはあまりにかけ離れた世界だったからかも知れない。
自分の生まれ育った世界とは確実に異なるおハイソな文化の気配を興味深く覗き込むことが出来るようになるには、ある程度の精神年齢が必要だったはずだから、私の場合はこの「絵本」に出会うにはこれぐらいの年代が適齢期だったのだろう。
それでなくとも、「絵本クマのプーさん」は、絵本と言っても多めの挿絵を伴った児童書レベルの文章量があり、内容も大人に絵本を読み聞かせてもらう年代の子どもがすんなり理解できるとは思えない複雑な表現や文章構成が含まれている。
何しろしょっぱなからイーヨーのエピソードである。イーヨーは自虐的なほど慎み深い人物(ロバ)で、かなり屈折した物言いをする。一言でいうと大人にも誤解されやすい偏屈者だ。そのイーヨーとクリストファーロビンの禅問答のようなやりとりは今読んでも何ともいえない味わいがあるが、とても幼い子供にこの面白さが理解できるとは思えない。岩波書店がこの作品を子ども向けの絵本として日本に紹介するにあたり、何故いきなり彼を引っ張り出すことにしたのか、今もって謎である。

では改めて小さい人たちにも分かりやすく・・ということだったのか、その後、同じ岩波書店からより絵本らしいコンパクトな版型で一話読み切りの体裁で分冊化された「クマのプーさんえほん」シリーズが出版された。
というわけで(ようやく)今日の絵本、同シリーズ一作目の「プーのはちみつとり」である。

この絵本の素晴らしいところは、コンパクトながらも、前述の「絵本クマのプーさん」ではさっくりと省かれていた一連の作品世界への導入となる前書きと締めくくりの後書きがちゃんと含まれた構成になっているところだ。
この導入部により、読者は語り手の「わたし」が作中の少年「クリストファー・ロビン」の父親であり、おはなしの主人公のプーとはクリストファー・ロビンが大事にしている(割に扱いは雑な)クマのぬいぐるみの名前で、大好きなプーにお話を聞かせてやってと幼い息子にせがまれた父親によるぬいぐるみを主人公にしたストーリーテリングが始まり、お話が終わって安心したように部屋へ引き上げる息子の様子を描写しておわり、という全体の構成が分かるようになっているのだ。

そして何より、本題の「はちみつとり」の話がもう、なんともかとも反則レベルに愛らしいのだ。
だいたい、プーとクリストファーロビンが、まるきり緊迫感のない「ちいさい黒雲コスプレdeはちみつゲットだぜ大作戦」を大真面目に語り合うところから、読んでるこっちは嬉しくてにやにやしてしまう。
何しろ幼児とぬいぐるみが考えることだから、ひたすらシュールで要領を得ないのだ。
これは実際、幼い子供の相手をしているときの極上のお楽しみなのである。
唖然とするほど無邪気で無茶な思いつきを、ものすごく真剣な目で語ってくるのがたまらない。
そして言ってる本人たちも全然自信はないまま、子どもならではの思慮浅さで突っ走る。
案の定の大ピンチに陥っても、なんだか全然緊迫感のないままほのぼのと物語は進んでいく。
何があっても大丈夫。だってこれはおとうさんがプーのために作った「おはなし」だもの、という二重の安心感に守られ、クリストファーロビンは今夜も大満足で眠りにつくのだ。

最後に少し話が前後するが、私がこの絵本の中で一番好きなシーンを紹介しておこう。
プーが木登りに失敗して落っこちたハリエニシダの茂みから這い出して来た時のシーン。

そのとき、プーの頭に、まず浮んだのは、だれだったかというと、それは、クリストファー・ロビンでありました。
(「それ、ぼく?」クリストファー・ロビンは、とてもほんととおもえないように、おそるおそるききました。
「きみさ。」
クリストファー・ロビンは、なんにもいいませんでした。でも、クリストファー・ロビンの目は、だんだん、だんだん、大きくなり、顔もだんだん、だんだん、赤くなっていきました。)


痛い目にあったプーが、真っ先に頭に思い浮かべたのは大好きなともだちのことだった。
まさかそれが自分だなんて。突然の告白にびっくりする少年。
でも、ただそれだけのことが、うれしくてたまらないのだ。
だって自分もそれほどプーのことが大好きなんだもんね。

唐突に溢れる愛に、読んでるこっちもたまらない。
オバハン、うっかり久々に読み返してキュン死である。
実際、幼い子どもは時にこんなふうに手放しの愛情を惜しみなくぶつけてくるのだ。
つい、在りし日のわが子を思い出して遠い目になってしまった。ふう。

posted by えほんうるふ at 18:09 | Comment(0) | キャラクターに惚れる絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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