2017年12月27日

いつも心にお地蔵様を

かさじぞうかさじぞう
瀬田 貞二/再話 赤羽 末吉/絵

福音館書店 1966-11-01

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ああ今年ももう終わる。
毎年性懲りもなく年初には今年こそは断捨離を決行!などと言っているのに、一向に成果が上がったためしがない。
整理が出来ないわけではない。要るものと要らないものを分類する作業までは得意なのだ。
ただし、私が冷徹にコトを成せるのはそこまで。
気がつくと、部屋の片隅に「処分予定の不用品」の山ができる。そして、いずれ消滅するはずのその山は月日と共に不動の存在感を示し、ジワジワとその裾野を広げ高さを増していくのである。

こんなことになる理由はもちろん自分が一番よく分かっている。
「ただ、捨てる」ができない私は、不用品を処分するのにいちいち手順を踏みすぎるのだ。
もう絶対要らないと分かっているのに、そのままゴミ袋に突っ込んで即座に捨てるということがなかなか出来ない。
欲しい人を探したり、ネットフリマやバザーに出したり、或いは切り刻んでボロ布にしようとしまいこんだり・・・そうして処分に至る手順ばかりが複雑になり、気がつけば未だ私の手元で厳然と存在し続けるモノたち。

今年もまた同じことを繰り返し、幼少時から培われたしぶとい貧乏性に我ながらほとほと嫌気がさし、このままでは来年もきっと進歩がないだろうと、改めてこの状況の打開案を考えていて気がついたことがひとつ。
この私のやっかいな行動パターンを制しているもったいないおばけの正体は、ほとんど盲信に近い罪悪感なのではあるまいか。

そもそも私は、一度供された食べ物を残すことも凄まじく苦手だ。
さすがに会食中に他人の皿の物にまで手を出すことはしないが、大皿で供される呑み会などでは、お開きの時間になっても大量に料理が残っていると居ても立ってもいられず、挙句誰に頼まれたわけでもないのに自ら残飯処理班を引き受けては動けなくなる直前までせっせと自分のお腹に収めてしまう。
ものすごくカッコ悪いし貧乏くさいし、もちろん美容上にも甚だしく問題のある行為である。
わかっちゃいるけどやめられない。病気だろうか。
でも、そっと胸に手を当てて考えてみると、まだ食べられる料理が無残にも残飯として一緒くたに生ゴミバケツにぶち込まれる様子が浮かぶ。或いは、その食材を育ててくれた農家の皆さん、漁業の皆さん、我が身を呈してくれたウシさんブタさんトリさんたちの姿が目に浮かび、心が痛む。
・・というのはもちろん大げさだが、とにかくその料理がそこに存在するまでのあれこれを思うと「ちゃんと食べてあげられなくてごめんね」という気になってしまうのは事実で、要するに私はこの感情が、食べ物以外のありとあらゆる物に対しても働いてしまうのだ。

でも、断捨離が苦手な人なら、思い当たるフシがないだろうか。
たとえ自分にはもはや利用価値が見い出せずとも、きっとまだ使えるものの潜在価値を全否定してゴミとして投げ捨ててしまうことに対する、そこはかとない後ろめたさ。
せっかく縁あって私と巡り合ったのに、あなたの使命を存在価値を全うさせてあげられなくて、ごめんなさい・・・。そんなふうに、物を捨てる際に心のなかで思わず手を合わせてしまうのは、私だけではないと思いたい。


さて、ここでようやく絵本の話である。相変わらず長い枕に耐えてくれてありがとう。
冒頭の書影を見てとっくにお気づきの読者もいるかもしれないが、「かさじぞう」は私のような「捨てたいのに捨てられない人」にとって、胸のすくような素晴らしいおとぎ話なのである。
断言しよう。日本全国のさまよえる断捨離落伍者よ、これさえ読めばあなたは救われる!

何しろこのお話の主人公のじいさんは、なけなしの売り物をあっさりさっぱり、豪快にも一気に手放すのである。
何がいいって、そこに迷いが全くないことだ。
だって、そこにはそれを手放す理由が明確すぎるほどに存在しているのだから。
さらに素晴らしいのがその妻、ばあさんである。それこそ本人達の明日を左右するはずの大事ななけなしの商品を、あっさり路傍に捨ててきた夫に対し「どうせ持って帰ってきたって今夜の足しにはならんし、お地蔵さんにあげてよかったな」と、まるっと全肯定!妻として見習うべき、ありえないほどの人格者である。

それにしても、ああ、羨ましい。
私が捨てきれずにいるあの不用品たちも、こんな風に迷いなく、間違いなくそれを必要とする人々にごっそりまとめて差しあげてしまえたら、どんなにすっきりさっぱりすることだろう。こちらはモノを捨てることへの罪悪感から開放され、相手にも喜んでもらえるなんて。それだけでも十分win-winなのに、おまけに予想もしなかったボーナスまで届くなんて、まさに僥倖ではないか。断捨離に憧れる亡者にとっては完璧過ぎるエンディングである。

結果的にただの売れ残りとなった手作りのかさ。餅すらないまま年末を迎えた老夫婦にとって、それはまさに不用品だったに違いない。
それでも、少しでもいい年越しをと藁を編み市場へ出かけ報酬を得る努力をした、つまりやるだけのことをやりきったじいさんにとって、かさはある意味ジリ貧の大晦日の一日を前向きに生きる活力となり得たわけで、もうそれだけでその存在理由を全うしていたのかもしれない。
そして多分、断捨離に惑う私のような者にとって最大のヒントはここにあるのだ。

手放し給え。されば汝は救われる。

これを呪文のように唱えながら新年を迎えれば、ついに私も次のステージへ行けそうな気がする。

posted by えほんうるふ at 08:02 | Comment(0) | 大事なことを教わる絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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