2014年11月17日

母のおにぎり

おにぎり (幼児絵本シリーズ)おにぎり (幼児絵本シリーズ)
平山英三:文 平山和子:絵

福音館書店 1992-09-15

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平山夫妻の絵本「おにぎり」をテーマに記事を書こうとして、
このブログを始めて間もない頃に既に採り上げていたことを思い出した。

*過去ログ → 究極のおにぎりとは

絵本のレビューとして書きたい内容は既にこちらに書いたので、
今回は私自身の母のおにぎりの記憶と、
それに関連して最近気がついたことを改めて記しておこうと思った。


私の母の作るおにぎりは、丸かった。
丸いのに綺麗に海苔が巻かれていたような記憶がある。
いつも忙しい母は、腹を空かせた4人の子供達を待たせまいと、
コロコロとリズミカルに掌の上で転がしながら
ホレボレするような勢いで次々と全く同じ形大きさの
丸いおにぎりを握っては皿に並べていたものだ。

高校生の頃だったろうか、自分で弁当を作るようになった時、
料理上手な母への反抗心だったのだろうか、
何となくやってみたくて、わざと三角のおにぎりを作ってみた。
意外と簡単に出来て、私はほくそ笑んだ。
海苔も巻き易いので、それ以来私の作るおにぎりは三角形に定着した。

つい先日、ふと思いついて、
母が作っていたような丸いおにぎりを作ろうとしてみたが、
思うように握れなかった。
どうしても歪な丸になってしまい、母が次々と作っていた
あの綺麗で手にしっくりと馴染むやさしい丸形にならないのである。
全体に均等なアールを付けようとやっきになっているうちに、
握っているうちに具の配置が偏ってしまったり、
米粒が潰れて妙に歯ごたえのある固いおにぎりになっていたりする。

そして私は気がついた。
実は角を付けて握るより、まんべんなくまあるい形を
綺麗に作るほうが難しいのだった。
三角のおにぎりなら、何となくでも角さえ付いていれば
おにぎりとしての最低限の体裁は保たれるような気がするのに、
丸いおにぎりの場合、丸みのバランスにちょっとでも崩れがあると
妙に目について、やたらと無様な握り飯に見えてしまう。
人間の目の認知能力はとても素晴らしくて、
実は角より丸の方が、ごまかしが効かないのである。

いや、もしかするとそれは、視覚的な問題ではなく、
気持ちの問題なのかもしれない。
角はそもそも須く崩れるものだから、多少の歪さは仕方ない。
(というか、寸分違わず同じ大きさ同じ角度の三角のおにぎりが
手作りで量産されていると、逆にちょっと人間味を感じないというか、
まるでロボットの仕事のように思えてしまうのは私だけだろうか。)

でも、丸は丸いことに意義があるのだから、
少しでも崩れていると、どうにも心が落ち着かない。
どうにかして、美しい完璧なまんまるを追求したくなってしまう。
機械ではないのだから、どこにも歪みの無い究極の丸なんて
出来るわけないと、頭では分かっているのに・・・。

実家は商売をやっていて、母は常に時間に追われていたが
子供に食べさせる食事だけは、いつも精一杯手をかけてくれていた。
でも、私が食事の支度を手伝うとかえって邪魔をするばかりで、
自分でやった方が早いと苛々と私の手元を見つめる母の視線に耐えられず、
私はすごすごと引き下がって見学者に戻るのが常だった。
かと言って「ただ見てるだけ」の娘も母には面白くなさそうだったので、
触らぬ神になんとやらと、やがて台所に寄り付かなくなった私だった。

そんな、穏やかさとは無縁の日常を必死で取り回していた母がいつも
作っていたのは、角ばった三角ではなく丸いおにぎりだったのだ。
それは、見事に揃った、美しい丸いおにぎりだった。
あっちもこっちも歪みだらけで、今にも崩壊しそうな家族を支えながら、
母は何を思いながら日々それを拵えていたのだろう。
気丈な母の切なる願いを、今さらながら思い知ったような気がする。


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posted by えほんうるふ at 20:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | よだれが出る絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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