2014年02月17日

美しきマイノリティ

おにたのぼうし (おはなし名作絵本 2)おにたのぼうし (おはなし名作絵本 2)
あまん きみこ作/岩崎 ちひろ絵

ポプラ社 1969-08

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今年もまんまとバレンタインの狂騒に踊らされた週末であった。
もちろんそれは私のように、お菓子を作ることも食べることも嫌いでなく、
あからさまに人に好意を示すことに特段の抵抗も無い女にとっては、
それなりに楽しいイベントであることは確かだ。
しかし、実際のところそれが単なるコマーシャリズムから発案された「似非年中行事」で、
その経済効果に利に敏い皆さんが寄ってたかって便乗しているに過ぎないという
恋も夢もへったくれも無いオトナの事情を重々承知のおばちゃんとしては、
知らぬ間に全国的に統一された「女性から男性へ」「スイーツ(+α)を贈る」という
何の根拠も無いルールに大人しく従って踊る阿呆に甘んじることに、
毎年一抹のいら立ちを覚えるのである。

そこへいくと、同じ二月の年中行事でも、由緒正しき日本古来の伝統行事である
「節分」のなんと清々しく自由なことか。
何しろ発祥は平安時代の宮中行事である。1000年の時を経て全国に広まるうちに
その土地ならではの発展を遂げ、そのしきたりも様式も地方により千差万別となった。
だからこそ、それは他の多くの日本の伝統行事と同じく豊かな多様性を持ち、
社会の最小単位とされる家庭や個人でのアレンジも寛容に受け入れられるのだろう。

ちなみに私は特定の宗教を持たない人間だが(強いて言えば自然崇拝だろうか)
個人的に、この「みんなちがってみんないい」感覚とでもいうか、
各々の信じるところの多様性を認め、その価値観の相違を尊重し合える、
八百万の神の国ならではの懐の深さこそが、我が祖国、あるいは我が日本国民が
本来持っている美徳の一つではないかと思っている。

また、「多様性」という言葉で私がいつも思い出すのは、
私がかつて数年間アルバイトとして在籍した某シアトル系コーヒーショップの
社是の一つであった、「多様性を認めよ」という言葉である。
それは恐らく、顧客一人一人の希望するカスタマイズを笑顔で受け入れよ、
或いはシーズン毎にめまぐるしく変わるメニューとそのレシピを受け入れよ、
という意味が第一義だったのかも知れないが、
共に働く仲間の多様性を受け入れよという意味でもあったように思う。
実際、ある意味その企業マインドに染まれる人しか居残れない風土であったせいか、
私の数多有るバイト経験の中でも、人間関係ではダントツに恵まれた職場であった。


というわけで今日も恐ろしく長い枕になってしまったが、絵本の話に入ろう。
今日の絵本「おにたのぼうし」は、まさにその節分という季節行事をテーマに
マイノリティの存在の美しさと脆さに光を当てた、非常に日本的な童話である。

主人公の小さな鬼の子おにたは、いわゆる鬼の所業などとは無縁の、
いたって気立ての良い鬼だった。
実際、おにたの生活は住み着いた家の住人の手助けこそすれ
災いをもたらすようなことはなく、鬼というより
むしろ守り神とか座敷童のような存在に描かれている。
その心優しいおにたが、偶然にも節分の日にある女の子と出会い、
その子の不遇ぶりを知って、いても立ってもいられずある行動を起こす。
拙いその好意が、予期せぬ展開へとつながることも知らずに・・・。

最後におにたがつぶやく、一言が痛い。

「おにだって、いろいろあるのに。
 おにだって・・・・・・」


そしておにたは、少女の心の中でかみさまになった。


あまりに美しいストーリーに、これまた美しすぎるいわさきちひろの
挿絵が添えられ、反則か!と身悶えするぐらい美しい絵本なのだが、
それが未だ陳腐に感じられず何度読んでも色褪せないのは、
希代のストーリーテラーあまんきみこによる、
散々ものがたりに引き込んだ読者を最後にふっと一人にするような、
絶妙に後を引くエンディングのせいだろうか。
読む度に、「お母さん、また泣いてんの?」と
子どもに呆れ笑われながらも、私は結局瞼が潤んでしまうのである。


実在するか否か、また一般にどう認識されているかはともかく
人智の及ばない存在があったとして、
それを善とするか悪とするかを決定するのは、
現実に即してそれを受け入れる側の心根次第なのだろうと思う。
ならば鬼が棲むのは家ではなく
人の心の中なのではないだろうか。

と、ここで我が家の節分の豆まき風景を思い出す。
実際にそのセレモニーを各家庭でどう行っているのか私は知らないが
我が家の場合は、家族が交代で平等に鬼役を引き受ける。
鬼ターンになったら一旦部屋から出て、お面をつけて改めて入場する。
残りの人間は手に炒り豆を握りしめて待ち構え、
入って来た鬼に向かって「鬼は外!福は内!」と叫びながら
力の限りに豆を投げつける。(そしてこれが結構痛い!)
そして全員が鬼ターンを終了したら、仲良く這いつくばって
数なんか無関係に散らばった豆をひたすら拾い食いしまくるという、
ちょっと他人には見せられない野蛮な儀式になっている。

しかし、だ。
鬼が人の心の中に棲む者なのだとしたら、
この一見ど田舎のエクソシスト祭りのごとく怪しすぎる
我が家の豆まきこそ、正しい鬼退治の手順に思えなくもない。
きっと、ぶつけられた豆が痛ければ痛いほどご利益があるのだろう。


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posted by えほんうるふ at 22:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | 泣ける絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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