2006年09月09日

共依存の甘い罠

お待たせしました。1周年記念で募集したリクエストにお答えしてのレビュー、第1弾です。
リクエストを下さったprotonさん、ありがとう!

おおきな木おおきな木
シェル・シルヴァスタイン ほんだ きんいちろう

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「大きくなったら、人の役に立てる人になりたい」そんなことを言うコドモがいる。
たいへん立派だが、私はついその耳に「その前に自分を幸せにしなさいよ!」と囁きたくなる。
一生懸命誰かのために働いても、それが報われるとは限らない。いや、報われなくったっていい、自分は奉仕に生きるのだと本人が言い切れるならそれもいい。ただ、誰かの幸せの上にしか成立しない自分の幸せなんて、そんな不安定な人生はできれば選択しないで欲しいのだ。なんだかんだ言っても、親は我が子が誰かの為に命を捧げるよりも、本人が生きててくれる方が嬉しいのだから。既にたっぷり親孝行をしてくれた子供たちに、親が思う「幸せな生き方」を押しつけるつもりはないが、希望ぐらいは言わせてほしい。
 
確かに、誰かの役に立てるのは嬉しくて気持ちの良いことである。
感謝される快感は他の何物にも代え難く、ひょっとすると世の中で一番安上がりな麻薬なのかも知れない。特に、自分なんて何の価値もないと思いこんでいる人にとって、自分の存在を認めてくれる人を得ることは人生の命題であり、相手からの感謝の気持ちはそれをもっともはっきりと実感させてくれる拠り所のようなものだろう。
しかし、無為の行動の結果として感謝がもたらされるのではなく、感謝される為に行動するようになったら、それはもはや不健全だし、お互いにとって危険な状態だと私は思う。偽善とまでいかなくても、自分に自信のない者ほどこの罠にはまりやすいという意味では、同じことだ。

「おおきな木」という超ロングセラー絵本がある。ひたすら与え続ける献身的な愛の姿を描いた絵本として評価が高いが、私から見るとかなりイタイ絵本である。ファンの人ごめんなさいm(_ _)m
幼い少年が木と共に過ごしたかけがえのない時間の描写、これは本当に美しい。だが物語はそこでは終わらない。少年は成長と共に、どんどん木への要求が大きくなる。木はその度に文字通り身を挺して少年の願いを叶えようとするが、ついには愛する少年自身にその身を切り倒され、切り株だけの姿になってしまう。それでもなお木は少年の帰りを待ちわびて、やがて年老いて全てを失って戻ってきた彼を優しく受け入れる。

この絵本を初めて読んだ時分は、私はまさしくこの少年の立場に近い子どもだった。単純に「やさしい木だな」と思い、献身的に愛される少年を羨ましく思った。けれど時が経ち色々な人間関係のケースを知るにつれて(要するにオトナの事情を色々と知るにつれ)この絵本の結末が決してハッピーエンドではないことに気がついてしまった。
すっかり汚れちまった、もとい、オトナになった私が改めてこの絵本を読むと、そこに描かれている美しい結末がDV夫とその妻、あるいは親離れできない子と子離れできない親の、痛々しい共依存の姿に見えてくるのだ。

木は少年に尽くしたい。たとえ虐げられようと、どこまでも依存され全てを奪われようと、少年に尽くすことだけが木の存在意義なのだ。だから、本当は自立なんかしてほしくない。いつまでも自分を必要として欲しい。「やっぱり私が居なくっちゃこの子はダメなの」と思っていたい。
一方、少年の方はそんな木に甘やかされて一向に自立心が育たない。身体は大きくなってもワガママ放題で要求ばかり。一方的に尽くされることが当たり前に育ってきたから、木の献身ぶりにもさして感謝の気持ちも表さず、欲しいものさえ手に入ればそそくさと去っていく。もちろんそんな甘えた人間が社会で成功するわけもなく、まるで失敗が木のせいであるかのように不機嫌な顔をしてじきに舞い戻ってくる。もちろん木の方は戻ってきた彼を大歓迎し、いつものように甘え甘やかしボロボロの絆を確認し合う。
結局お互いが足を引っ張り合って、死ぬまで成長もせず、幸せにもなれない二人

恐ろしいことに共依存関係にはまっている人たちは、自分たちのことを誰よりも愛し合っている最高のパートナーだと思っていたりする。よって目を覚まさせるのは至難の業。
私もかつて大切な人を何とかこの悪循環から引っ張り出したくて説得したり本を読ませたり色々やってみたが、本人が関係の異常さを悟って自ら一歩を踏み出すまでは何も変わらなかった。結局彼女が腐れ縁を断ち切ろうと決心し行動に出るまでに20年を要したが、今は自由の幸せを噛みしめているそうだ。

だから、誰のためでもなく自分のやりたいことをやろう。理想を言えば、自分の幸せを追求していたらいつの間にか誰かをも幸せにしていたという人生が最高。その誰かがあなたの愛する人だったら、なお結構。
あなたとあなたのパートナーに、幸あらんことを。
posted by えほんうるふ at 01:41 | Comment(28) | TrackBack(1) | 世の不条理を思い知る絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
なんか、ものすごくタイムリー。
ちょうど今朝、娘が「読んであげる。」と落書きだらけの本を読んでくれて、久しぶりに触れたこの話に考えさせられたのよね。

「受けるよりも与えることを幸いとする」「無償の愛」…その精神は素晴らしいと思う。でも、実際の人間関係、特に育児においては、与える内容とそれが相手に及ぼす影響を考える必要がありそうだよね。それが本当に相手のためになるのか。

“したい放題&尽くしまくり”の、演歌なカップルの姿の連想もしてしまった。そのカップルに子どもがいたら、どんな影響を受けて育つのか?なんてことも。週末だっていうのに、朝からヘビーな思いに浸ったわ。

ちなみにこの本を買ってきたのは夫。自分のために買ったようで、娘が落書きをしてしまって文句を言ってたっけ。
私にこの木のような存在になって欲しかったのかしらね?人選間違ってるよね。(笑)
Posted by かめちゃん at 2006年09月09日 09:42
うーん、深い考察ですね。
半年くらい前に、高校生にこれを読ませたことがありますが、男よりも木に怒っている生徒がたくさんいました(~_~;)
この両者の関係を好ましいと思っている子が1人もいなかったのは印象的。

この本が支持される原動力はどこにあるのでしょう。ある意味、ここまで他人に対して献身出来ない人が、損得勘定の無い木の姿勢に憧れるのかも知れませんね。
Posted by proton at 2006年09月09日 11:15
同じ感想を持ってました。
「名作だから読め」「感動する」といろんな人にすすめられて読んだのですが、絶賛する人たちの良しとするポイントはわからんでもないものの、気持ち悪さがぬぐえませんでした。
大人になってから読んだからでしょうか。いや、オレ子どもの頃からそういう見方をする子どもだったろうな、と思います。
「無償の愛」を描くにしても、つっこまれどころのない、もっといい物語はいくらでも考えられるだろうにな〜、とも思ったりして。
Posted by サトシン at 2006年09月09日 11:16
こんにちはーご無沙汰でした。

>自分の幸せを追求していたらいつの間にか誰かをも幸せにしていたという人生が最高

ほんと、その通りだと思います。
最近は、自分が輝いてこその人生じゃないかと思うようになりました。勇気のいることが多いですけど、自分が好きなものは好き、マニアックだ変わり者だと言われても(笑)胸を張ってまず1歩踏み出すことが大切なんだと(もちろん人を傷つけることは、自分が輝くことではないので勘違いする人がいると困るのですが…)
相手の欠点を見つけて優越感に至るなんてさびしい人生はやめて、お互いの良いところを見つめる余裕が欲しいですね。
これだけ尽くしてるのにわかってくれないとか、他人の言葉に翻弄され過るのは依存心の強さの現れだと思うのですが、依存心の成れの果ては孤独、その孤独が作りだす心の闇ほど恐ろしいものはありません。
とっても難しいことではあるのですが、人間ってもっともっとおおらかに過ごせるはずなんですよね。ほんとは。
Posted by J.T. at 2006年09月09日 11:16
スッキリした感想です!
こういう『良い本』(決して悪くない本ですが)を読んだ時の後に残る気持ち悪さ。
切ないけど、それだけでは納得出来ないものが
スッキリしました。
誰もが落ち入りやすい罠だからこそ、奥深く読んで行かねばいけないものかも知れませんね。
うん、世の中はもっと不条理で一杯で、それだからこそ面白い。自分を見つめ続けるとはそう言う事なのかな。
Posted by mine at 2006年09月09日 15:28
>かめちゃん

そっか、子かめちゃん「読んであげる。」と来たか。我が子に読んで貰う絵本としてはけっこうヘビーだよね(^^;)
「無償の愛」というものの存在も認めるけれど、「愛は惜しみなく奪う」もまた真実であることに気がついたのはいつだったかしら。この絵本の木と男は確かに愛し合い、奪い合ってる。そのデカダンな様が受けてるのかもね。

>>人選間違ってるよね。
これには爆笑!!で、いいかげんその間違いを認めろと(笑)。
Posted by えほんうるふ at 2006年09月09日 17:30
>protonさん

いやー、なかなか取り組み甲斐のある宿題をありがとう(^^)

>>男よりも木に怒ってる生徒がたくさんいました(~_~;)

へーえ、それは興味深い。最近の高校生にも骨のあるのがいるってこと?

>>この本が支持される原動力はどこにあるのでしょう。

私もそれが不思議で、amazonのレビューを片っ端から読んでみたりしましたが、なんか途中から頭痛がしてきまして(^^;) あ、でもね、共感できるのもありましたよ。この男が全人類で、木が地球だと思えば、ほーらLOHAS啓蒙絵本のできあがり♪
Posted by えほんうるふ at 2006年09月09日 17:31
>サトシンさん

気持ち悪い、ね。分かります分かります。私なんか気持ち悪いを通り越して腹立ってきますから(^^;)。何が腹立つって、この男の表情ですよ。少年時代はいいですよ。無邪気で可愛いもんです。でも途中からは全然笑顔じゃないの。別に来たくて来たんじゃないけど他に行くところもないので来てやった、みたいな顔なの。相手がなけなしのものを与えても無感動だし、感謝もしない。相手が表情の分からない木で良かったですよ。これが慈母のような笑みを浮かべた女だったらおぞましくって見てられないかも…。
Posted by えほんうるふ at 2006年09月09日 17:32
>J.T.さん

お久しぶりです!こちらこそご無沙汰しております。
で、久々にお越し頂いて嬉しくなるようなコメントをいただきありがとうございます。おっしゃっていることは逐一共感できました。
自分が輝くって難しいですけど、その一歩はやはり自分を好きになることから始まるんじゃないでしょうか。自分で自分を愛せれば他人の愛に依存する必要がないわけで、そこから初めて他者からの精神的な自立が出来る(=本当におおらかに過ごせる)んじゃないかと思うのです。いや、もちろん私はまだまだ修行が足りない若輩者ですが!(^^;)
Posted by えほんうるふ at 2006年09月09日 17:33
>mineさん

この不条理が面白いと思えるのは、オトナならではの心の余裕ですね。
焼き秋刀魚の腸が苦くて食べられない私にもこの味わいはクセになります。関係ないか(^^;)。
Amazonのレビューでこの絵本のことを「18禁です」と称した人がいましたが、なかなか鋭いことを書いていると思いました。
Posted by えほんうるふ at 2006年09月09日 17:34
こんばんは。

>他の誰かじゃなく自分を幸せにするのがアナタを産んでくれた親への礼儀ってもんです

幸せの形は人によって様々だとは思うのですが、
幸せってなんだろう、
どんなものを幸せと呼ぶんだろうと考えてしまいました。
誰かの幸せの上にある幸せじゃなくて、自分自身の幸せ。
う〜ん・・・考え方次第かなぁ。

Posted by at 2006年09月10日 23:07
>柊さん

うーん…柊さんのコメントを読んで、私も考え込んでしまいました。確かに、幸せって人それぞれですよね。他人から見たらどうみてもそれって不幸でしょ、っていう状態が幸せな人もいるし。とはいえ親の立場からすると、我が子が「端から見たらイタイ状態」でいるのはかなり辛いわけです。そこで親が思う「幸せのカタチ」に近い生き方を選択するのが親孝行なら、それは「礼儀」じゃなくて親へのやさしさですね。ということで本文を一部改めました。

>>誰かの幸せの上にある幸せじゃなくて、自分自身の幸せ。
こう書いたのは…私は「アナタさえ幸せなら私は幸せ」的な思想が大嫌いなんです。裏を返せば「私の幸せはアナタ次第よ」っていう甘え+脅しだから。たとえば、お母さんはお父さんに殴られてるけど自分の為に耐えてくれてるから今日もご飯が食べられる、という状態だったとして、母親に「でもいいの。アナタさえ幸せなら」なんて微笑まれたら、嬉しいどころか罪悪感で凹みます。タダほど高いものはないと言いますが、受ける側にとっての「無償の愛」にはそういう怖さもあると思います。
Posted by えほんうるふ at 2006年09月11日 22:57
この絵本の作者はどんな考えで描いたのか
気になってきました。何か裏に意図が???

偶に、賞賛する(振りを?)して、確かにそう見えるし
褒められてる側もそう受け取っているのに
皮肉としか見えない場面に遭遇するんですが・・・。

それは兎も角、嘗て引っ掛かった言葉がありますた。
「貴方のためにと始めは言っていても、気がついたら
自身のエゴのためにすり替わる事がある」
子供の頃読んだ星座占い・・・エゴって
リサイクルみたいなもの??(エコだろ!タカトシ風
意味は理解で気ないもののいやに気になる言い回しで
残っていたんですが、今日になって腑に落ちました。

幸せってじっくり考えると掴み所がないものですよね。
Posted by きくちか at 2006年09月12日 12:46
>きくちかさん

私もこの絵本の作者の本意(?)が知りたい一人です。
後書きに書かれている作者の人物像や来歴を読むと、シルヴァスタイン氏はなーんか面白そうな人でして、(親友がトミー・アンゲラーですってよ、奥サマ!)もともと彼はこの後書きに書かれているような美辞麗句の世界を描いたつもりはなかったような気がするのです。で、私はひねくれ者なのでこのおせっかいな後書きを読むと「洋書絵本はかようにも解釈と売り方次第でドル箱になりますよ」という出版業界向けのビジネス指南書のように思えてくるのでした(笑)。
Posted by えほんうるふ at 2006年09月13日 07:13
初めまして、えほんうるふさん。
絵本そのものは持っていないのですが、中学の英語の教科書に載っていたなぁと懐かしくなりました。授業では、読んだ後に絵本の台詞を各自が書き換えて、アテレコをして遊んでいたんですけど。(笑)

英文だと木はハッキリと女性として書かれているんですが、これがそのまま外国でも「無償の愛の物語」として賞賛されたとはなかなか思えなかったりします。
出版された1960年代って、アメリカなどで女性解放思想が出てきていた頃のような……とか。
ハッピーエンドとも言えない終わり方ですし……未来がないような気がするんですよ。
恐らくわざとそうしたんだろうと思いますが、色々と違った解釈を出来るところが広く受け入れられる理由なんでしょうね。
深読みする楽しみというのもありますし。(笑)
Posted by 二本松 at 2006年09月13日 18:31
えほんうるふさん、こんにちわ
 この絵本はもうずいぶん前に英語の勉強用に買いました。ちなみにフランス語版も持ってます。そんなわけで、あまり内容については考えてなかったのですが、言われてみれば子離れできないばか母と与えれられるだけで自分の幸せを見出せずに年をとってまでママに甘えにくる息子の構図が見えてきました。
 気持ち悪いと言ってしまえば、ほんとにそうなんですが、こういった親子現実にかなり存在している気もします。
 えほんうるふさんのおっしゃった男=全人類、木=地球って解釈、なかなかいいですね。確かにばか母じゃなくて物言わぬ「木」だから美しくみえるのでしょう。
 木は何も云わないから、勝手に自分は木に愛されてると思い込み、採れるものだけなんでもいただいちゃう身勝手な人間。実は、木は迷惑がっているのかもしれないのに・・・

 久しぶりに楽しく(?)考えさせられました。ストーリーとは別に、線だけで描かれたシンプルな絵には、なにかしら惹かれるものがあります。
Posted by ぴぐもん at 2006年09月14日 14:07
えほんうるふさんこんばんにゃ。
わかるかな。753っくすです。

あの絵本、 ゆめくい小人 で検索すると出てくるよっ。
今日思い出してるときにさ、ミヒャエル・エンデの名前は出てきてたんだけどさ、それは モモ だし・・・って思って言わなかったんだけどどうやら同じ人みたいです。

読んでみてけろーー。
Posted by 753 at 2006年09月15日 00:45
>二本松さん

初めまして、初コメントありがとうございます!
確かに、外国ではどのような解釈がされているのか興味深いですね。フランスなんか面白そうです。不条理だからこそ味わい深い、という評価だったりして。
本当に深読みのしがいがあって面白い作品ですね〜。
Posted by えほんうるふ at 2006年09月16日 18:12
>ぴぐもんさん

こんにちは♪
お、フランス語版をお持ちなんですね。どうでしょう、なにか解釈の違いを感じますか?

>>木は何も云わないから、勝手に自分は木に愛されてると思い込み、採れるものだけなんでもいただいちゃう身勝手な人間。実は、木は迷惑がっているのかもしれないのに・・・

そうそう、それで最後には全てを取り尽くして切り株になってしまう木を前に、人間の方も途方に暮れているようにも見えますよね。まるで、「母(なる地球)をいたわらないとこんな未来が待ってるよ」という暗示のようです。心ある者はこの絵本を読んで罪悪感に苛まれるだろう、という考察をどこかで読みましたが、なんとなく分かる気がします。
Posted by えほんうるふ at 2006年09月16日 18:13
>753さん

辺境の地へようこそ(^^;)ちと照れマス…

なんとエンデだったんですねー。しかも私その作品未読ですわ。表紙だけはAmazonで確認しましたが、これはオトナ心をソソる絵ですねー!気になる気になる!さっそく取り寄せ予約しましたとも。感想はいずれじっくりとお伝えします♪
Posted by えほんうるふ at 2006年09月16日 18:15
難しいことはよく分かりません^^;
でも、・・・
感謝されたいんじゃない。
幸せになって欲しいんだ。
というのが親の愛だと思ったりします。
(感謝はもちろん嬉しいことですけどね)

これはあくまでも私の希望です。
実際には私の父親は子供が自分の思い通りにならないと気のすまない人でした。
私のしたいこと、言いたいことと、父のそれは違うのです。
口答えは許されませんでした。
愛情から出たことだと分かっていても
それはそれは重い鎖でした。
自分で考えて決めたことなら結果的には失敗で
あっても
納得も諦めもつきますし、次のステップへの糧にもなります。
幸せの形は人によって違う。
私の言葉はこういうところからきているのでした。
Posted by 柊 at 2006年09月17日 00:12
絵本フェスの講演か何かで、知り、読んだ。
そこで、ディスカッションした気がする。
共依存、搾取、人間、地球。
いろんな感じ方の意見ができたけど、私もえほんうるふと似た感覚だった。
気持ち悪い、しっくりこない。
なんで、搾取されることが喜びになるのか。
ここまで搾取することに、無頓着になれるのか。
共依存の、あいまいな存在感に気付かない空恐ろしさを、再確認。
ちょうど、先日本屋さんに子供と行って、
あ、この本は・・・と眺めたところだった。
けど子供にはやはり読んでやりたい、とは思わなかったんだな。
その感覚は、あなたが申された通り。
共依存は、みようと思わないと、見えないよね。

Posted by あらよん at 2006年09月21日 21:40
>柊さん

お返事が遅くなってゴメンナサイ!

>> 感謝されたいんじゃない。
>> 幸せになって欲しいんだ。
>> というのが親の愛だと思ったりします。

仰るとおりです。私が語るとやたら理屈っぽくなっちゃうのですが(悪いクセです(^^;))、シンプルにまとめてくださってありがとうございます。

柊さんの今回のコメントを読んで、最初のコメントを下さった時のお気持ちがようやく理解できました。複雑なお気持ちだったでしょうね…モヤモヤさせてしまって、ゴメンナサイ。でも、気づかせていただいて本当に良かったです。

私も実は親子関係に恵まれていたとはいえない境遇で育った方です。柊さんとは逆に、父親が極端に家族に無関心な人でした。そういえば、私が家族愛について語るときには、無意識に彼のことは除外しています。父親を他人と思うことで自分を納得させてきた、ひねたマセガキでした(^^;)

親子って良くも悪くも深いですね。気が付けば自ら親になって早8年、自分が子にしてやれることの少なさと、与えてきたもの影響の大きさに愕然とする日々です。
Posted by えほんうるふ at 2006年09月22日 07:13
>あらよん

「愛は惜しみなく奪う」って言葉があるでしょう。
親子の愛は「奪う」どころかひたすら「与える」ものだと思われているけれど、結局愛に溺れて与えすぎれば相手から奪うものがあるわけで…他人には見えない世界だから余計に怖いよね。
お互いを成長させることもできるし、逆にスポイルしちゃうこともできる。誰にも邪魔されずに。

見ようと思わないと、見えないもの。
知らないで済めば本人達は幸せなのかもしれないけれど…。
Posted by えほんうるふ at 2006年09月23日 03:54
はじめまして。
以前からこちら読者でしたが、いつもは皆さんのコメントにそう異論はなく読ませて頂いてました。
今回の「大きな木」に関しては若干皆さんと感じ方が違うのでびっくりして投稿です。
かなり否定的な感想が多い中、私はこの絵本、とてもわかりやすく「与える愛」を描いていると思います。
リンゴの木の変わらぬ愛は、成長し自己愛の増長してゆく人間に、怯まず注がれていきます。
あまりのも悲しくさせるこの子供の成長に「それでも、木はうれしかった」となっています。
与えることが出来て幸せ。
目の前に愛する者がいて、手をさしのべ与えることが出来る喜び。
良い悪いの問題ではなくその喜びはすなわち「生きる喜び」だと思うのですが。
勿論皆さんがおっしゃるように、依存は恐ろしい、その通りです。
しかし、この話をとっても具体的な親子関係に結びつけお話されている方が多いのは何故でしょうか?
テーマが無償の愛だからでしょうか?
私はこの作者が何も子供の言うとおりにするのが無償の愛だといっているのではないと思います。
それに私には与えることが依存だとは思えません。
現に子供は大きくなり、恋人が出来、木は取り残されてゆきます。
木は子供を引き留めたりしませんし、子供に指示したりもしません。求めたときに与えるだけです。
むしろ子供が帰ってくるのです。
最後象徴的なのは、木からはぎ取れるものはみんなはぎ取って老いて帰ってきた子供が言うには、何もないままの「切り株になってしまった」ありのままの木がいてくれればいいという言葉です。
私はこうして最後まで与えることの出来た木の姿にとても安堵感を覚えましたし、本当にこういう愛し方が出来ればいいなと思っています。
しかしこれが自己愛のある人間にどこまで出来るかが、本当に宗教のような話になってくるように感じます。
どなたかがコメントされてましたが、これが万人の幸せの形ではないと思いますし、愛し方でもないかもしれません。
しかし、人を愛することの根底にはこの様な基本的な気持ちがなければ成り立たないように思います。
相手が自分に何をしてくれるかではなく、相手に何ができるかを考え出すとき、本当の愛を知ることができると思うのですが・・・・

ちなみにこれを七歳の子供の音読の宿題に読ませました。すると彼がなんと読後涙ぐんでいました。
「それでも木は嬉しかった」この言葉に心がふるえたようです。
与える愛は、時として、さびしく悲しい色をして、
しかし美しいのだと思いました。

Posted by ゆうちゃまん at 2006年09月29日 18:43
>ゆうちゃまんさん

こんにちは、初めまして。初コメントありがとうございます。

あの〜、こちらではたまたま否定的な感想が多くなってますが、世間一般としてはゆうちゃまんさんのような読後感を持つ方の方が圧倒的に多い絵本ですので、どうぞご安心を(^^)
むしろ私の方が今回の共感者の多さにびっくりしているのです。真っ先にゆうちゃまんさんのようなコメントがつくだろうと予想していたので(^^;)。
人と同じ意見をブログでわざわざ語るのはつまらないので、持論のオリジナリティにある程度自信がなければ記事にしないようにしているのですが、どうも近頃は思考回路が私に近い人が自然と集まっちゃうみたいで(^^;)。賛同はもちろん嬉しいのですが、「そうよねー」「だよねー」ばかりでは進歩がないのでゆうちゃまんさんのように敢えて反論を書き込んでくれる方が現れて嬉しく思います。

で、本題ですが。
「与える喜び」はもちろん理解できます。与える相手がいる喜び、与えられるものがある幸せ、どちらもそれは甘美なものです。愛する人の喜ぶ顔見たさに「与える愛」に溺れていく人は多いですが、実際には自分が与えたいものが相手が受け取りたいものだとは限らない。相手のためになるとも限らない。結局、与える喜びとはあくまでも与える側にとっての喜びなのだと思います。
分かりやすいのは、祖父母と孫の関係です。孫可愛さにワガママを聞きオモチャやお菓子を次々と買い与えてしまうジジババたち。彼らはもちろん、孫のためというより自分たちがそうしたいからしているのです。
かつて、あまりにも孫を甘やかす義父母に抗議した私に、姑は言いました。
「そりゃぁ無責任にただ可愛がれるのが私たちの特権だもの〜♪ どうせ私らがどんなに可愛がったって親の愛情にはかなわないんだから、目をつぶってちょうだい!」
う〜ん、敵ながらあっぱれとしか言いようがありません(笑)

ひたすら身を挺して与え尽くす愛もあれば、相手を思うからこそ衝突も辞さない覚悟で「与えない」ことを選ぶのもまた愛だと、私は思います。どちらが正しいとかではなく、生き方の好みの問題でしょうね。メリット・デメリットを承知の上で当事者同士が満足なら他人が口出しすることではないのでしょう。
Posted by えほんうるふ at 2006年09月30日 12:58
えほんうるふさん、コメント頂き有り難うございます。

一般論としていったつもりはないのですが、ここでは一般論になっちゃうんですか・・・
でも、ここでみなさんが語られてる「与える愛」は「ありがた迷惑」ってやつですね。
私もえほんうるふさんの言う「与えない愛」もあると思ってます。
与えないという『行為』によって愛を『与えて』ると私は解釈しています。
与えることが愛の全てではありません。
えほんうるふさんが下さったコメントで、自分が表現したかったものが何であるかが分かりました。(有り難うございます。)
私の言いたかった「与える愛」は、与えると言う行為に於ける愛ではなく、愛そのものを与えるという行為でした。
だからそれが何かを与えることであっても何も与えないことであっても同じなのです。
つまり、与えても与えなくとも、そこに愛はあるのかと言うことです。
では愛とはなんぞや、ということになりますねー。
欲望を満たしてやることなのか、見守ることなのか、滝につい落とすことなのか・・・
これがとっても難しい問題だから『世界は一つ、人類は皆きょうだい!!』とはならないのです。
それに、与える大罪もありますが与えない大罪も世の中には存在するでしょう?
最近の社会ではこれとっても表面化していますね。
要は心に愛があるか、また伝わっているか、ということなんでしょうね。
Posted by ゆうちゃまん at 2006年10月03日 10:55
>ゆうちゃまんさん

ゆうちゃまんさんのコメント自体が一般論だと書いたつもりはありませんが、そのように読めたのでしたら私の文章力が無いせいの誤解です。どうかお許しを。

愛そのものを与える…それほど純粋な行為ならば、むしろ「与える」なんて発想自体が出てこないような気がします。自分が「神」ならば別ですが(^^;)。少なくとも私の場合は「愛してやろう」と愛するのではなく、不可抗力で愛してしまう、それによって衝き動かされてしまう、ただそれだけです。

それにしても普通の生活の中でここまで熱く人と「愛とはなんぞや?」などと語り合うことはまずないですよね。まして見知らぬ方と(^^;)。そんな機会を与えてくださってありがとうございます。たいへん面白く勉強になりました。
Posted by えほんうるふ at 2006年10月05日 17:57
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Excerpt:  先日、えほんうるふさんの オトナノトモに この本についての大変興味深い記事が載
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