2010年08月03日

豊饒なる八百万の神の国

めっきらもっきら どおんどん(こどものとも絵本)めっきらもっきら どおんどん(こどものとも絵本)
長谷川 摂子 ふりや なな

福音館書店 1990-03-15
おすすめ平均

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日本が舞台のジブリ映画を観る度に、意外なところで自分が日本人であることを思い知らされる。
「となりのトトロ」はもちろん、一見おどろおどろしい「千と千尋の神隠し」の世界ですら、懐かしさと共に妙な安心感を持って物語に入っていけるのは、その世界観が、私自身が日頃意識しないベーシックな宗教観に合致しているからなのかも知れない。
神と言えば唯一無二の存在であるという宗教に基づく文化圏の人々にとって、「八百万の神」という概念は理解しがたいのではないだろうか?逆に言えば、私のように特定宗教を信仰していないおおかたの日本人にとっては、おらがとこの神が一番だ、という思い込みから不毛な戦争を繰り返してきた人々の怒りや悲しみの根っこのところは、残念ながら永遠に理解できないのかも知れない。

万物全ての物に神様が宿るという考えに抵抗のない私たちにとって、おばけや妖怪などの超自然の存在は畏怖の対象でこそあれ、決してただ恐ろしいだけの魔物ではない。彼らが子どもにとっては最高の遊び友達となり、大人にとっては最高の呑み友達だった時代もあったのだろう。
西洋で言えば天使や悪魔に近い存在のはずなのに、怒らせさえしなければ実に人情味溢れるつきあいが可能なのが、日本の物の怪ならではの懐の深さである。敵か味方かという二極化された価値観ではなく、あえて白黒付けない曖昧な境界でおおらかに関わり合い、八百万の神々と人間達は甘え合い許し合いながらうまく共存してきたのだと思う。

そして今でも、幼い子ども達には彼らの世界に通じる道が開いているような気がする。
人と物の怪が友達でいられる限られた貴重な時間、その幸せな邂逅を描いた絵本がこの「めっきらもっきらどおんどん」だと思う。
3人(3匹?)のばけものは見た目こそ妖怪らしい面妖さ溢れるルックスをしているものの、中味はかんたと変わらない。むしろ、ケンカはするわ、駄々はこねるわ、かと思えば泣いた烏よろしくケロッと忘れて遊びに夢中になるわ・・・と、かんた以上に派手に幼児性を発揮して、結果的に幼いかんたをちょっぴり成長させてくれている。
でも、子どもの時間は、あくまでも子どもだけのもの。大人(親)に知れたら最後、この楽しい時間も終わってしまうのは暗黙の了解のはずだったのに・・。
そして、あんなにも鮮やかでエキサイティングで、紛れもなくリアルだったあの記憶は、かんたの成長と共に少しずつ現実味を失って、いつしか、それは幼い夏の日に祖母の家で昼寝中にみた夢の記憶になってしまうのだろう。
でも、この絵本を最初に読んだときから、何とも言えない懐かしさを覚える私は(そして貴方も、)幼い頃に彼らと過ごした記憶を心の奥底に大事にしまいこんでいるのかもしれない。

日本人が経済的に豊かになる過程で失ってきたものはたくさんあるだろうが、彼ら物の怪や八百万の神たちの居場所もそのうちの一つかもしれない。
いつのまにかデジタル大国になってしまった現代の日本で、彼らはさぞや窮屈な思いをしていることだろう。そして、昼間のように明るい都会の夜の片隅で、私たちの行く末をどんな思いで見守っているのだろうか。

お気に召しましたら・・
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posted by えほんうるふ at 21:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | 声に出して読みたい絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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