2010年03月17日

Twitterはツンデレ男だった

前回のエントリー:Twitter にもの申すで、私はTwitterや携帯メールに代表される短文即発信型コミュニケーションの発達が、日本人の国語力・文章力の低下を招いているのではないかという仮説を述べた。さらに、このまま即時性・効率性重視の情報システムに依存して大衆が頭や手足を使わなくなると、生身の人間自体はどんどんつまらない存在になってしまうのではないかという懸念すら訴えた。
とはいえ、いずれも自分の思いこみだけで説得力がないので実際に使ってみることにした。
あれから1週間。さて、私はこの新しいサービスから何を学んだのか。

結論から先に言うと、私の仮説はあまりにも短絡的だった。
ぶっちゃけ、Twitterは予想以上に面白かったのだ。面白いだけでなく、私の想像をはるかに超える汎用性をもつサービスで、自分がどれだけ井の中の蛙だったかを思い知らせてくれた。
食わず嫌いで投げ出さずに良かったと心から思い、応援してくれた夫や友人達に感謝している。

ただし、web上に数多あるTwitter初心者向けガイドに書いてある「Twitterの楽しみ方」云々は私にとってはほとんど無意味だったので、自分なりの使い方を見いだすまで若干とまどいがあった。

そもそも、私と同様に「Twitter?何それおいしいの?」ぐらいの知識でとりあえずアカウントを取得した人がまず参照するであろうTwitter公式ナビ「ついなび」によると、Twitterを楽しむコツはたった2つで、「とにかくたくさんフォローする」「タイムラインを眺めて楽しむ」ことらしい。だが、このやり方ではTwitterの面白さや便利さはむしろ見えなくなるように思う。

なぜなら当然ながら、相手がリアル親友であろうと各界のセレブであろうと、彼らが常に自分にとって関心のあることをつぶやいているわけではないからだ。むしろ、その人のつぶやきが多ければ多いほど情報の有益性は薄まり、広い砂漠で砂金を探すような羽目になる。
有名人アカウント等に飛びついて見境無く大量にフォローすれば、台風でいきなり増水した川のようにあっという間に脈絡のない他人のつぶやきでタイムラインが埋まり、押し流されていく。よほど暇人でもない限り、そんな濁流をいつまでも眺めていて楽しいわけがない。
マスコミの煽りに乗せられてアカウントを取得したものの、結局使いこなせず放置している人が多いのは、泳げない人を宝が浮き沈む激流の前に放置するような中途半端で不親切な公式ナビの責任も大きいのではないだろうか。中の人には是非善処していただきたいものだ。

幸い、私がアカウントを取得してほどなく友人がHootSuiteなる便利なツールを教えてくれたので、よく分からないままに導入してみたところ、いきなりこの濁流から欲しい情報だけをすいすいとすくいだせるようになった。リアルタイムの流れを止めることなく必要な成分だけ抜き取ってタブやコラムに自由に保存ができるこのツールを上手く使うと、ちょうど成分献血で血小板だけを採取するように無駄のない新鮮な情報が手に入る。しかも(ハイここ重要)、ここで抽出される情報はTwitter上にリアルタイムでtweetされた全てのつぶやきから検索されるため、あらかじめ相手をフォローする必要がない。

この手の仕事をするツールをTwitterクライアントと言うそうだ。はっきり言って、私はこのツールを使わなければ、それこそ1日でTwitter利用を投げ出していたかも知れない。それぐらい、webのホームページ上に現れる混沌とした濁流と、クライアントを経由して欲しい情報だけを抽出した流れの価値は雲泥の差だった。
TwitterクライアントはOSや端末の機種、ブラウザの種類などユーザーの環境に合わせて多種多様なタイプが出回っているので、未使用の方は是非導入を検討してほしい。


そうこうして試行錯誤を重ねるうちに、自分なりのTwitter活用の基本が見えてきた。それは、

「誰が」つぶやいているか、よりも
「何を」つぶやいているか、が問題。
さらにその「何を」つぶやいたのが「誰なのか」が情報の精度と価値を左右する。


ということだ。
つまり、順番が逆なのだ。先に人ありきではなく、先に情報ありきだ。自分にとって面白い話をつぶやいている人を見つけたら、そこで初めて相手をフォローするなりRTするなりすればいい。
混濁した情報の奔流から、いかに工夫して自分に必要な情報をピンポイントで引き出せるかどうかで、Twitterの利用価値が決まるような気がする。つまりこれは、誰でも無料で気軽に手を伸ばせるけれど、実際には本人の努力や目の付け所次第で享受できる価値に格差が生まれるサービスなのだ。
それはちょうど、何を考えているか分からないが実は超ハイスペックなツンデレ男子(または女子)に対し、誰でも自由にアプローチはできるが、彼らから真っ当なリターンを得て幸せになるにはそれなりの攻略を要するのと似ているような(笑)。


ところで、本題の短文即発信型コミュニケーションの発達は国語力・文章力の低下を招くか、という仮説の検証はどうなったのか。
それはもう、「人による&使い方による」という身も蓋もない結論に集約されてしまった。

Twitterを文字通り「つぶやきツール」として超個人的な独り言を書き連ねる場合、人に読ませる文章としての体裁を考慮する必要がないため、放っておけばどこまでも文章は破綻していく。
実際、「○○なう」やら愚痴や中傷やらでラインが埋め尽くされている人のTLを見かけると、まさに日本人の言語力の将来を思って暗澹たる気持ちにならないでもない。

ところが、Twitter利用者の中には、逆に140文字という制約を自身の文章力向上に役立てている人も少なくないようなのだ。私が前エントリーで書いたように、つぶやきを和歌や俳句仕立てで詠みあう人々もいれば、複雑な概念を思い切りよく要約して素人にも分かりやすく説明してくれている専門家もいる。作家や評論家のセンセイ達ともなると、その無駄なく理路整然とした文章に感心することもしばしばで、ただで勉強させていただくのが申し訳ないぐらいだ。

また、Twitter人気の目玉のひとつと言われる著名人アカウントへの直コミットも、考えようによってはわずか140文字で他人より抜きんでた自己PRをする能力を磨く自己研鑽のチャンスだ。
就活中の学生にはもってこいのトレーニングになるだろう。
無論ビジネスに活用しようと思えば、マーケティングであれ営業であれ、より洗練された国語力が最良のアピールと最大の効果を生み出すことになるだろう。
有力者による承認がそのフォロワーによる承認につながり、相乗効果で生まれた評判という資本がその人にプライスレスな価値をもたらす。これこそ、あらゆるものが無料となるフリー市場の時代に台頭するという注目経済の原理の好例ではないだろうか。

自覚しているか否かは別にして、私たちはその市場に参加しているのだ。("FREE" by C.Anderson)

百聞は一見にしかず。興味本位で(もちろん無料で)Twitterを1週間使ってみるだけで、このダイナミズムを実感できるなんて、なんと楽しい世の中なのだろう。        

Twitterのように、使う人の才覚次第で享受できる価値に格差が生まれる無料サービスは、私の気がつかないうちにどんどん世の中に浸透しているのかも知れない。
ダラ奥の私も、せっかくこんな面白い時代に生まれた幸運を無駄にしないよう、せめてしっかり目を開けて、時には踊らされることを恐れずに未知のものにチャレンジしないといかんね。
そんなことを考えてワクワク過ごした1週間であった。@ehonwolf

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posted by えほんうるふ at 22:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日々のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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