2010年01月31日

大きなテーブルを囲んで

おおきなテーブル (絵本・いつでもいっしょ)おおきなテーブル (絵本・いつでもいっしょ)
広瀬 弦
ポプラ社 2001-06

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結婚してしばらくしたころ、ダイニングテーブルを新調することになった。
独身時代から夫が使っていたテーブルは、二人で使うには十分だったが、ちょっと人を呼ぶともう狭苦しかった。新婚当時は今より頻繁に人を招いていたので、とにかく大人数に対応できるテーブルが欲しくなったのだ。
かといって団体仕様の大きさのテーブルを常設できるほど広い家でもないので、使うときだけ天板を拡張できるタイプを探し回った。そして、大きさを3段階に調節できる北欧製のテーブルを都内某家具店で見つけ、一目惚れして購入したのだった。

しかし、お洒落なインテリアショップの高い天井と完璧にコーディネートされた展示スペースには、生活感溢れる我が家の現状を忘れさせる魔力があることを忘れていた。
案の定、しっかりサイズを確認して買ったはずのそのテーブルは、我が家に届くと想定外にデカかった。拡張用天板を外して最小サイズにしても相当な存在感があり、部屋が急に狭く感じた。まして夫婦二人で使うには面積に余裕がありすぎで、向かい合って食事をしていると微妙に距離を感じて寂しいぐらいだった。
だが日を経ずして、その広大なスペースはありとあらゆる「やりかけ仕事」の作業場となった。夫婦それぞれのパソコンをはじめ、資料や雑貨が置かれたままになり、一週間もしないうちにテーブル上の食事用スペースはめでたく半減した。
その程よく埋まった空間は何だか居心地良くて、二人で食べるごはんもおいしくなった。ショップのお洒落な空間とは程遠い佇まいではあったが、私はこの大きなテーブルを手に入れたことにとても満足していた。


今日の絵本の主人公、うさぎのおばあさんの家のダイニングテーブルも、とても大きい。
かつては8匹の大家族がそれぞれの席で思い思いの時を過ごし、とてもにぎやかだったそのテーブル。
でも今そこにいるのは、おばあさん一人。
子供達が一人二人と独立し、夫にも先立たれた今、彼女は広すぎるテーブルの端っこでたった一人で夕食を食べている。

この絵を見た瞬間、私は我が家のテーブルが届いた日の光景を思い出した。
夫と二人で座っても広すぎて心許なかった大きなテーブル。
今でこそ、子供達のオモチャやら勉強道具やら私の書類やらコーヒーカップやらゴチャゴチャといつも何かが載っていて、スッキリには程遠くて狭さすら感じる空間だけれども、いつか再び、このテーブルの大きさに呆然とする日がやってくるのだろうか。


おばあさんは、一人そのテーブルに座って昔を懐かしむ。
1年前には夫がいた、3年前には末の息子もいた、その前は中の息子や双子の娘達もいて、6年前には長女と長男も・・・
みんなで大きなテーブルを囲んで過ごした賑やかな日々。もう全員が揃うこともない、過ぎ去った日々。
そんな時、船乗りになった末の息子がひょっこり帰ってくる。

「そうだ。らいげつは かあさんのたんじょうびだね。そのとき、きょうだい みんなで、ここに あつまるっていうのは どうだろう。 ぼく、さっそく にいさんや ねえさんたちに はなしてみるよ」

末っ子らしく、そんな可愛いことを言う。
でも2日もすると、彼はまた出て行き、おばあさんは再びひとりぼっちになる。
文章は、そんな末息子の言葉を思い返し、楽しく賑やかな日の再来を夢見て心はやるおばあさんの独り言で終わっている。さらにページをめくると、孫を膝に載せ、子供達と共に大きなテーブルを囲んで幸せそうに微笑む彼女の姿が描かれている。
これが話の結末なのか、それともおばあさんの夢想なのか、そこに説明はない。
一緒に読んだ私の子供は無邪気に「わあ良かったね、みんな帰ってきたんだね」とにっこりしていたが、親の私は、その静かに含みを持たせたエンディングに少し切なくなった。


あれから約15年が経ち、我が家のテーブルもかなり年季が入ってきた。
子供達が幼い頃はなかなか大勢を呼ぶ余裕が無くて、テーブルの拡張天板は長いこと収納されたままだった。
ようやく最近になって人を呼ぶ機会が少しずつ増え、特大テーブルの出番も復活しつつある。
お茶の集い、大人の勉強会、ホームパーティ、子供の同窓会・・内容は色々だけれど、やっぱり人を呼ぶと家が活性化するようで気持ちが良い。心なしかテーブルも実力を発揮できて嬉しそうだ。

いつか子供達が独立してここを離れても、この大テーブルに人が集う機会が途切れない家でありたい。密かにそう願っている自分がいる。
巣立っていった家族の帰りをひたすら待ち続けるような晩年は哀しすぎるから・・。

気がつけば、自称ダラ奥の私がいつでも人を呼べる小綺麗な住空間を心がけるようになった。
どちらかと言えば密な人付き合いの苦手だった夫も、積極的に友人を家に招くようになった。
自分たちでも気がつかないうちに、子離れの準備は始まっているのだった。

お気に召しましたら・・
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posted by えほんうるふ at 23:21 | Comment(12) | TrackBack(0) | 切ない絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
思わず涙ぐみました(;_;)
いつも使っているテーブルや椅子って、不在の人の存在を強く感じますよね。

でも、なかなか実家に帰れないけれども、家に帰れば、あのダイニングテーブルがあるということも、巣立った子どもの心の支えになっている気がします。
出来れば、おばあさんのテーブルも「やりかけ仕事」や大人のパーティの場になっていてほしい。と願ってしまうのは子どもの勝手な都合でしょうか。。

それにしても
サイズ調整のきくテーブルはいろいろな意味でいいですね。

Posted by 007 at 2010年02月07日 02:27
>007さん

良かった、涙ぐんだのが私だけじゃなくて(笑)

「不在の人の存在」
言葉にしてみると何だか矛盾しているのに、なぜこんなにもヒシヒシと実感できてしまうのでしょうね。
気がつくといつも、足りないもの探しをしている自分が居ます・・・

Posted by えほんうるふ at 2010年02月07日 23:27
お久しぶりです。
新着記事、お待ちしていました〜。
この本、読んだことがないのですが、読んでみたいと思います。

自分の晩年の過ごし方って、それまでの年月の積み重ねの結果という気もするので、そろそろそれを見越した生き方を考えて生きて行く必要があるなあ、、、とつい、考え込んでしまいました。

ご挨拶が遅れてしまいましたが、最近、ブログを引っ越しました。
リンクを張らせていただきましたので、ご了承ください。
これからもよろしくお願いします。
Posted by ひまわり at 2010年02月08日 00:18
>ひまわりさん

大変ご無沙汰しております。
相変わらず更新が遅くてスミマセン(汗)
今年はもうちょっと頑張ります・・(と、毎年言ってる気がします(^^;))

晩年の為に今を生きるのは本末転倒でしょうが、常に「今」を充実させようとする努力が豊かな晩年につながるのだとしたら、悪くない投資だなぁと思います。

ブログ引っ越されていたんですね。こちらも早速リンク先URLの修正をさせていただきました。
今後ともどうぞよろしくお願いしますm(_ _)m
Posted by えほんうるふ at 2010年02月08日 22:18
>常に「今」を充実させようとする努力が豊かな晩年につながるのだとしたら、悪くない投資だなぁと思います

おっしゃるとおりですね!
そう考えると、すごーくポジティブな感じがします♪
今を楽しくすることが将来への投資になると思うと、すごーく楽しい気分になってきました。

同じ事でも、どんなふうにとらえて行動するかで、ずいぶん生活が変わっていくものですね♪

リンクの修正もありがとうございました。
今後ともよろしくおねがいします。
Posted by ひまわり at 2010年02月08日 22:30
常に人を呼べる状態にならない我が家には、耳が痛い。
常にテーブルには物がいっぱい。



上の子が中学生になり、下の子も高学年。夫は平日はほぼいないので、夕食を囲む人数が減っています。
上の子の中学はそれでも部活終了時間が早いので帰ってはきますが、下の子が中学に入り部活で遅くなるようになったら、今度は上の子が予備校に通うようになるのかもしれず、食卓を囲む人数の減少は遠くない我が家です。。
人数が少なくなると、食事の支度がどんどん手抜きになる私。
今後の課題でもあります。。。
Posted by きーちゃん at 2010年02月09日 20:11
>ひまわりさん

「未来より今が大事」っていうのは、私の尊敬する児童精神科医の佐々木正美先生の育児論の受け売りなんです。
とてもいい言葉なので、少し長くなりますが引用しますね。

「将来、幸せになるということもだいじですけれど、それよりはるかに何倍も、いま、この瞬間を、この子が幸せに過ごすことができるようにという育児のほうがいいのです。」

「いま、この瞬間を、幸せにしてあげよう、その積み重ねが、この子の幸せになるのだという育て方がいいのです。」

(「子どもへのまなざし」福音館書店より)


もともと私自身が「明日死んでも幸せだったと思える今日を生きたい」と常々思っている人なので、この育児論にはものすごい納得感がありまして、そのまんま人生論に置き換えては、ことあるごとに人に紹介しています。(笑)
Posted by えほんうるふ at 2010年02月10日 00:38
>きーちゃん

そうかぁ、我が家も数年後は同じ状態になるんだろうなぁ・・。
今を大事にしないとなぁ。(しみじみ)

確かに食事って、食べさせる相手がいないと手抜きになるよね!(笑)

幸か不幸か、我が家では子ども達の家庭離れと反比例するように夫の帰宅が少しずつ早まっているので、いずれは夫の帰宅を待って一緒に食べるようになるのかな〜と思ってます。
ま、当分先の話だけれどね(^^;)

Posted by えほんうるふ at 2010年02月10日 00:43
「こどもへのまなざし」早速図書館で借りてきました〜♪
これから読んでみたいと思います。
情報ありがとうございました!
Posted by ひまわり at 2010年02月12日 06:58
>ひまわりさん

「こどもへのまなざし」いかがでしたか?
またいつか、感想を聞かせてくださいね♪

ところで、書きかけの季節ネタがあったのでとりあえず先にUPしましたが、先日ひまわりさんとこのブログでお話しした新作記事もただいま執筆中です。ちょっと待っててくださいね♪
Posted by えほんうるふ at 2010年02月15日 09:35
お久しぶりです。
読んでいないけど、最後ふっと寂しくなるのがなんとなくわかります。
我が家はしばらく4人家族でしたから、テーブルも車の座席も二人づつ座って収まりがよかったんです。でも娘が大学進学を期に一人暮らししてしまうとなんか心もとないっていうか寂しいです。最初は夕食の準備もついつい4人分してしまったし・・・今では3人家族に慣れましたが、やっぱりどこか足りない感覚があります。
私も大学時代一人暮らししていましたが、その後実家に戻ってもなんか落ち着かない、自分の居場所じゃない感じがしました。別に両親と仲が悪かったとかそういうのは何もなかったんですが、一度別々の生活をしてしまうと物理的に近づいても前とは何か違う、そんな感覚です。娘が帰ってきてもきっと同じような感じになるんじゃないかと思います。
Posted by ぴぐもん at 2010年03月15日 23:25
>ぴぐもんさん

おおっ。先日書いたお返事コメントがちゃんと反映されてなかったようです。気がつくの遅くてすみません!!

うちも4人家族なので、そのうち帰省の度に車中で同じコトを思うようになるのかも知れません。
実家の母も、もともと大家族だったのに今は一人暮らしで、慣れるまでつい食事を大量に作りすぎてしまい食べきるのが大変だと言ってました。
それも切ないですが、なにより料理って食べさせる相手がいないとついおざなりになりませんか?
私は将来子供達が独立したら、貧乏学生のための下宿屋開いて賄い母ちゃんするのも楽しいかなーなんて思っています。そしたらほら、大きいテーブルもずっと現役でいられるし、ね。
Posted by えほんうるふ at 2010年03月23日 15:08
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