2006年02月23日

わたしにとってのわたし

kuma00.jpgぼくはくまのままでいたかったのに……
イエルク・シュタイナー イエルク・ミュラー おおしま かおり
ほるぷ出版 1978-10

by G-Tools


巨匠コンビによる「わたし」レビュー: あなたにとってのわたしに引き続き、自分のアイデンティティとはなんぞや?というあたりを改めて考えさせられる絵本をとりあげてみる。
自分の気持ちが不安定なときには読みたくないと思っていたこの絵本について、そろそろちゃんとレビューを書こうと思うきっかけになった哲学者enzianさんの記事はこちら。
 
森の奥に住む一匹の熊が、冬眠しようと洞穴にもぐりこむ。やがて春が来て、目覚めた熊が外に出ると、世界は一変していた。熊が慣れ親しんだ森は消え失せ、かわりに大きな工場が建っていて、何よりも奇妙なことに、人間たちは一様に彼が熊であることを否定するのだった。混乱しながらも熊は熊として正当な主張を繰り返すのだが、誰一人それを認めてくれる人はいない。やがて熊は少しずつ、熊であることを諦め、自分を見失っていく…。

感受性の鋭い人や精神的に不安定な状況にある人にとってはトラウマになるかも知れないこの絵本。使用上の注意として、努めて主人公に感情移入をしないように読むことと記しておきたい。
初めて読んだ時、私はうっかり熊の気持ちを案じながら読み進んでしまい、途中から少しずつ自分の気が狂っていくような感覚に捉えられ、背筋に冷たいものを感じてしまった。

ある朝、目が覚めたら自分が自分として認識されなくなっていたら? 同じように不条理の極みとはいえ、カフカの「変身」ならば主人公自身が自分の変化を認識でき、なおかつそれが元の自分の変身後の姿であることを周囲にも認識されているだけまだマシなのではないだろうか。このクマのように、自分では今までの自分となんら変わらないと思っているのに、周囲にそれをアタマから否定されてしまったら、あなたはそれでも自分を信じ続けることができるだろうか。

最初はたちの悪い冗談だと思うかも知れない。これはひょっとして、スターどっきり丸秘報告(古い)並みに手の込んだビックリなのか??と。でも、自分以外の全世界に今まで信じていた自己認識の全てを否定され続けたら、しまいには狂っているのは自分の方かもという考えが出てきても不思議ではない。
自分は狂っているのかも知れないという不安。幸い私はこれまでの人生でその疑惑に苛まれたことはないが、きっとそれは計り知れない恐怖なのだろうと思う。その恐怖故に本当に発狂しかねないぐらいの…。自分を信じる限りこの恐怖と戦い続けなければならないのだとしたら、いっそ相手の認識を受け入れて楽になってしまいたいと思うようになるのは時間の問題だろう。

洗脳によるアイデンティティ喪失の過程とはこういうものなのではないだろうか。そして、一度失ってしまったアイデンティティを自力で取り戻すのは相当困難なことに思える。現にこの絵本の熊も、最後にはかすかに残った本能に突き動かされて自分の原点へと帰り着くのだが、彼の思考はそこで停止してしまう。なんとも救いのないストーリーなのだ。

普段全く意識していないことだが、人が自分を自分だと認識する拠り所なんて実は案外もろいもので、結局は他者との関わりの中で自分の居場所を確認しているに過ぎないのかも知れない。だとしたら、現実社会での個人間の関わりがどんどん希薄になり、代わりに第三者の意志によって容易に操作されかねないネット上の仮想社会に居場所を求めるような今の風潮の危うさに、そしてまさに自分がその波にしっかり乗ってしまっているという事実に、背筋がうすら寒くなるのは私だけではないだろう。
posted by えほんうるふ at 01:03 | Comment(15) | TrackBack(0) | 怖い絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは。大変な本ですね。
記事を読んだとき、あ。この熊は俺の親類だな、と思いました。私は穴から出て来てこら無理だなとばかり、彼ほど歩き回りもせずに二度寝していたような輩だからです。m(__)m
流石におなかも減ったからしぶしぶ出てきたんですね。幸い(なんだか)工場も倒産してサーカスも行ってしまった後のようですが。

ちなみに、人のつもりの相当熊な男が私の父で、熊じみた人間をかかあにしています・・・。ようやくどうやら自分が元々穴蔵暮らしをしていたんではないかと気が付き始めたらしいですね、最近。無理が祟った様子です。
Posted by きくちか at 2006年02月23日 22:05
>きくちかさん

>幸い(なんだか)工場も倒産してサーカスも行ってしまった後のようですが。

ふむふむ。面白いですね。
こんな時代だからこそ、人生に対して鷹揚に構えていることが結果的に自分を守ることになるのかも。そんなことを考えました。

独特の味があるきくちかさんのコメント、これからも楽しみにしています♪
Posted by えほんうるふ at 2006年02月24日 09:31
( ̄(エ) ̄)ノ  ハーイ

>いっそ相手の認識を受け入れて楽になってしまいたい

ウソの自供による冤罪ってのも、こういう心理のなかで起きてくるのでしょうね。ただ、「自分が無罪であること」はもともと当人が知っていることだけど、「自分が自分であること」はそもそも当人一人では知ることができないようなことなのかもしれないから、事情はもっと複雑になってくる、といったところでしょうか。

>ネット

ネットが普及して、誰もが不特定多数の人とかかわることができるようになりました。これは、悪く言えば、「人から影響を与えられることに慣れていない人」が知らず知らずのうちに影響されてしまう危険が増えるということでもあるし、たとえ善意の人であっても「人に影響を与えることに慣れていない人」が知らないうちに人に影響を与えてしまう危険が増えるということでもありますね。

やっぱりテツガクシャの文章ですね、わかりにくい‥
Posted by enzian at 2006年02月25日 17:01
どうもです。昨日は結局コメントが書き込まれなかったので「今後ともよろしく」を兼ねましてお邪魔します。
いやはや、子供の頃がっこに行かなかったので、つまりは熊君宜しく自分を見失いかけてた関係上、やっぱり熊君が気にかかりますよ・・。そういや小学校に剥製あったしな。(泣)
Posted by きくちか at 2006年02月25日 21:21
>enzianさん

コメントありがとうございます。

本当に、個人がネットから受ける影響力って侮れないですよね。巷にあふれる匿名掲示板の類を眺めていると、自分とネットという特異空間との距離をうまく保てずに自滅する人をよく見かけます。それでも、ネットを全く利用しないという選択をしない限り、現実の人間関係と同様に痛い目に遭いながら学習していくしかないのかも知れません。

それにしても、こうしていかにも哲学者っぽくしかつめらしく考察を述べるenzianさんの姿というのは貴重ですね。enzianさんがあれほど慕われるのは、テツガクシャ語をイッパンジン語に訳すのが上手だからなんだなぁと改めて気がつきました(^^)
Posted by えほんうるふ at 2006年02月26日 14:02
>きくちかさん、ふたたび

剥製にされなくて良かったですね(^^;)
でも、熊でいくにせよ人間社会に迎合するにせよ、自分が選んだ道の先に受け入れてくれる場所があるといいですよね。一時は自分を見失ってもそこで取り戻せるというか。
Posted by えほんうるふ at 2006年02月26日 14:03
男も会社という閉鎖された社会の中で
自分の価値観を揺らがされます

この企画はいけると思っても
社員全員がNOをつきつけたり

この戦争は負けると感じていても
トップと取り巻きだけは勝利を信じて
いるがために出陣しなければならなかったり

このメールは本物だと思っても
全てのとりまきやマスコミからうそつきと
いわれたり。(注:たとえ話しです)

その社会的矛盾と人間としてのバランスを取るために
多くの男が思考停止をし、
死んだ魚の目で働いていたりします。

生き残るためには
1つの価値観に縛られない
会社でも家庭でもないサードプレイスを持つこと
できるだけオープンな世界に身をおくことです。
囚われそうになったら弱虫といわれても
走って逃げる。
ネットの世界も一種閉鎖された世界ですから
ここだけにいるのも大変。

いずれにせよ自分の価値観を保ちつづけることは
社会にけんかを売りつづけるのと同じくらい難しい。

きっと「変なおじさん」という安住のポジションを
得ることが、こだわる男にとって自分も納得、
社会も納得のベストバランスなのでしょう。

Posted by 絵本おじさん at 2006年02月28日 14:24
この絵本もう20年くらい前に読んだきりで細かいところ忘れてしまったけど
最後は穴に帰り熊にもどって良かったね・・・ではなかったでしたっけ?
今度図書館で借りて読み直そう。

我が家に「うさぎの島」って怖い絵本があるのだけど
えほんうるふさんの記事読んでるうちに思い出して
取り出してきたら、同じ作家さんだった(汗)

相変わらず名前を覚えられないオトボケな私です。
こちらもやりきれない気持ちになってしまう絵本なのです。
機械文明による自然と人間性の破壊に対する批判がこの作家さんのテーマらしいので
「ぼくはくまのままで〜」の続編って感じですけど
うさぎのかわいいルックスが更にお話を残酷に見せていて怖いです・・・って
もうすでに読まれてるかもですね。

こういったメッセージ性の強い絵本はブルーな日に読むと追い討ち掛けます、私も(-公- )
Posted by lovebooklove at 2006年02月28日 16:01
顔が切れた〜  (-公- )


Posted by lovebooklove at 2006年02月28日 16:05
そうだ、春休みだし私も借りに行こうと思ったら、うちの県立図書館ドカンと長期休館はいっちゃいましたよぉ!(;O;) (あんまり関係ない話ですがショックで・・・)
Posted by きくちか at 2006年02月28日 22:05
>絵本おじさん

お返事がたいへん遅くなってスミマセン。インフルエンザで親子共々寝込んでました(^^;) いやー、この歳になっての高熱はこたえますね…

さて、久々に力の入ったコメントですね。
絵本おじさんにとっては絵本おじさんとして活動する場こそが伸び伸びと楽に呼吸が出来るサードプレイスということでしょうか。そういう場すら持たない人に比べたらとても幸せなことですね。

>いずれにせよ自分の価値観を保ちつづけることは
>社会にけんかを売りつづけるのと同じくらい難しい。

社会に対して闘いを挑まず、むしろ最初から負けを認めた上で、自分の価値観だけは貫くという「下流クン」とかいう生き方も最近の流行りのようですが、なんのことはない、水が低きに流れるように、楽な方へひたすら流れるから「下流」なのね(笑)
Posted by えほんうるふ at 2006年03月02日 22:55
>lovebookloveさん

こんにちは。せっかく有益なコメント下さったのにお返事が遅くなっちゃってゴメンナサイ! ちょっと寝込んでたんですが、ようやく回復しつつあります♪

この絵本はですね…穴に戻るのは確かなんですが、それがハッピーエンドかというと微妙な感じです。まあ単なる「長い悪夢」で済めばいいんですけどね。
「うさぎの島」は未読です。そんな絵本をなにげに所有してるなんてlovebookloveさんもすみにおけませんね(いや、置いてませんてば!)確かに絵本ってキャラクターが可愛いほど怖さや残酷さって際立ちますよね。すごく興味あるので近々チェックしてみます!
Posted by えほんうるふ at 2006年03月02日 22:57
>きくちかさん

いや、そのショックはよく分かります。月末や期末は要注意ですよね。予め知っておけば、いつもより多く、期間も長く借りられてホクホクなんですけどね(^^;)
まあ、次に開館した時に新しい資料がたくさん入荷していることを祈りましょう!
そうそう、きくちかさんも流行風邪にはくれぐれもご注意を!
Posted by えほんうるふ at 2006年03月02日 22:58
インフルエンザだったんですね。
大変でしたね、親子でダウンとは・・
治りがけにさらに他の風邪菌にやられぬよう
お大事に!
Posted by lovebooklove at 2006年03月03日 14:40
どうなさったのかと思ってました。インフルエンザは怖いですものね〜。ゆっくり大事にしてくださいね。(うちの家族はそろって毎年シーズン前か、うんっと後で引く性質なので、当面心配なさそうです。多分四月頃、かな・・)
Posted by きくちか at 2006年03月03日 18:52
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