2006年02月05日

あなたにとってのわたし

watashi.jpgわたし
谷川 俊太郎 長 新太
福音館書店 1976-10

by G-Tools

「あなたにとって、私ってなんなの?!」

いきなりだが、男女関係の修羅場用語として割とベタな一例を挙げてみた。
さて、これに対する正しい回答は以下のうち、どれか?

 1.「決まってるじゃないか、一番大切な人さ。」
 2.「じゃあ君にとって僕はなんなんだ!」
 3.「そういえば、考えたこともなかったな…。」
 4.「フッ・・・ただの遊びだよ。」
 
もちろん1が正解だろうと思ったそこのアナタ、アナタは甘い。
この修羅場において実際にこんな歯の浮くようなセリフを言える男は映画かドラマの中にしかいない。まして日本男性の多くは照れという大きなコミュニケーション障害を持っているので、内心そう思っていたとしてもまず口に出すことはない。むしろ咄嗟に平然とこんな甘言が出る男性がいたら、相手の誠実さを疑った方が良いかもしれない。
2の返答は単なる逆ギレであり、何ら解決にならないだけでなく、状況をより悪くさせる可能性が高い。どうせ潮時ならば4ぐらい開き直ってしまった方が結論が早い。
というわけで、なんと模範解答は3なのである。バカ正直だが、不誠実ではない。もちろん相手の女性はこれを聞いて「なんですってぇ〜!!」とさらに激高するかもしれない。しかしそこで「じゃあ、これから一緒に考えてみよう」と話を前に進めることで、不思議とお互いが冷静になれるのだ。とことん話し合ってお互いの認識の違いをはっきりさせるもよし、すり合わせるもよし、あるいは白黒つけずに「要するに私たちって空気みたいな関係なのよね♪」とウヤムヤに仲直りするもよし…いずれにせよ単なる罵り合いよりは実のある話が出来るだろう。


恋愛関係に限らず、およそあらゆる人間関係のトラブルの多くは、このお互いの存在に対する認識の違いから起こると思われる。「親友」だと思っていたのに「金づる」と思われていたとか、「憧れの先輩」のつもりが「ウザイお局」と思われていたとか、「愛妻」のつもりでいたのに「住み込みの家政婦」と思われていたとか、…哀しい思い違いの実例は枚挙にいとまがない。
そんな人間関係のややこしさにお疲れのアナタに、オススメの絵本がある。

自我が芽生えつつある「わたし」が、改めて周りの人から見た自分を考えてみると、なんとも多種多様な「わたし」がいることが分かる。オトナにとっては当たり前に思えることでも、ついさっきまで世界の全てが自分を中心に回っていた幼い人にとってはこの発見はどんなにか新鮮な驚きであろう。人はこうしてオトナになっていくのだなぁとしみじみしてしまう。
それにしてもコドモの世界というのはやはりシンプルでうらやましい。「おかあさんから みると むすめの みちこ」なのは確かだが、母親のほうは「(○○だけど×××で、△△なところがあって□□□な)むすめの みちこ」なんて複雑な感情を抱いていたりする。でもそんな余計なことに無邪気なみちこは気が回らない(ただし、表現できないだけでむしろ敏感に感じ取っているコドモが多いので要注意)。
その単純さが清々しく、複雑な思惑が絡み合うオトナ関係に疲れた頭がホッとする。
ちなみにこのページのおかあさん・おとうさんの絵は、いわゆる一般的な父母の姿ではなく、あくまでみちこにとってのおとうさん、おかあさんが描かれているのがいい。さすが巨匠コンビ、さすが福音館、心憎い演出だ。


一般に男の子より女の子の方が精神的に成長が早いと言われるのは、外見を気にすることによって他人に自分がどう映るか、つまり「相手から見た自分」というものを早くから意識するからではないだろうか。もっとも、最近はおしゃれなママ達の努力のかいあってミニ伊達男も巷でよく見かけるようになったが…ということは男も女もより幼い頃から自分と社会との関係性を客観視できてもよさそうなものだが、なぜか反対に、公私の場の区別がつかなかったり、他人の立場を思いやる精神的成熟を感じさせない若者が増えているように感じる。自意識過剰が過ぎると客観性が失われエゴだけが残るのだろうか。
自我が芽生える頃に何を発見し、何を感じるか…そのへんにこの謎へのヒントがあるような気がしてならない。


【えほんうるふお気に入りの関連記事】
・何気なく読んで震撼してしまった石沢茉莉さんのカミサマからみた「わたし」
・月のしずく/さかこさんのわたしがわたしでいるためにたいせつなこと、の話
・ベタつながりで見つけてしまった楽しいブログ:困ったときのベタ辞典
posted by えほんうるふ at 18:39 | Comment(16) | TrackBack(2) | 大事なことを教わる絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちはー

『自我が芽生える頃に何を発見し、何を感じるか…』

うん、確かにその通りですね。

この時期、色んな自分を発見するには、多方面からの刺激が必要かもしれません。
親にべったりだったり、友人にべったりだったり、あるいはアイドルにべったりだったり。

自分の弱点だと思ってたところが意外と魅力だったりすること、結構あります。
それに気がつくには、色んな視点があることに気づくことが先決。
価値観うんぬんよりも、まずは多様性を学ばないとなりませんよね。

犬から見たら・・・というのがありましたが、
人間は犬を擬人化して感情を推し量ったりしますから、
逆に犬にもこちらの感情を推し量るなんて勘違いしてしまいます。
(もちろん情は通じると思ってますが)
犬から見たら「人間」って改めて言葉にすると、
結構新鮮な発見だったりします。
うん、面白そうな絵本ですね。
Posted by J.T. at 2006年02月06日 00:01
>J.T.さん

>自分の弱点だと思ってたところが意外と魅力だったりすること、結構あります。

素敵な言葉をありがとうございます♪ そういう考え方って人を元気にしますね。

同じ現象を見ても人それぞれ受け取り方が違うように、ある人物の特質についても、評価のされ方に絶対はないんですよね。
例えば私も物事を断定的に語るクセがあり、後になって偉そうな自分に嫌気がさすことがあるのですが、読者の皆様から見ると「鋭くキレの良い」という好評価になったりします。ありがたいことです(笑)
Posted by えほんうるふ at 2006年02月06日 15:11
全然関係ないんですけど
自分が頭のなかでイメージしている自分と
外側から見えている自分って違ってますよね。
目を閉じて鏡の前で両手をバランスとって広げても
目を開けると右肩が下がっていたり。
モデルの人やプロのスポーツ選手は
外から見える自分の姿と自分の頭のイメージの
ズレを意識して修正する訓練を繰り返して
思い通りに体をあやつれるようになります。

「わたし」があなたにAのイメージで見られるために
私が思うAのイメージを演じるのではなく
Bのイメージを演じることで相手にAと伝わるんだと
見られる側からの視点で逆算して表現をしていく
勘が大人になると経験則でできるようになります。

とすると本当の「わたし」を正面切って表現しても
その通り相手に伝わらないのだとしたら 
本当の「わたし」っていったい何の価値があるの
私の心の中だけに永遠に幽閉されて伝わることの
ないものなの
と堂々めぐりをしてしまうこの頃なのです。
答えのない面倒なこと書いちゃいましたね 

あと
何気なく読んで震撼してしまった石沢茉莉さんのブログも
まさに読まれることを意識して意識されないように書いてるなあって気がしました。
Posted by 絵本おじさん at 2006年02月08日 19:19
えほんうるふさん、こんにちは!

魔女めい(満一歳のバースデー直前)は、おなじく谷川俊太郎さん&長新太さんの絵本がお氣に入りのようなんですが、彼女がこうした“男女関係の修羅場用語”を活用する日をあれこれ思い描いてしまいました。(^^A;)
人間関係のややこしさとは、人が相手に“期待する”生き物だと言うことから始まっているわけですが、それを良しとか悪しというのではなく、そういう生き物だと言うことをしっかり見据えて生きていきたいと思ってます。
ミニ伊達男どころか、自意識過剰が肥大しまくったどっかのおっちゃんにナンパ(!!)されたことだけがバースデーの汚点のような氣がしている魔女さんでした。
(いや、魔女さんのビボウに幻惑されたのよね―と思っておこう・・・。ナルシシズムには、ナルシシズムよ!!)
Posted by 本棚の魔女 at 2006年02月09日 01:05
えほんうるふさん、こんばんは。
「月のしずく」のさかこです。

このエントリを拝見して、思わずいろいろなことを考えました。
私も関連エントリを上げたのでトラックバックさせていただいたのですが、もしかして空気読めてなかったかもです。汗
もし不都合でしたらかまいませんので、ご遠慮せず削除なさって下さいね。^^;

私はなかなかえほんうるふさんのような発想は出来ませんので、記事にはいつも目からウロコの新しい発見が多く、楽しませていただいています。
あ、俳句も・・・。笑
また遊びに寄らせて下さいね。^^
Posted by さかこ at 2006年02月09日 01:19
>絵本おじさん

>「わたし」があなたにAのイメージで見られるために
>私が思うAのイメージを演じるのではなく
>Bのイメージを演じることで相手にAと伝わるんだと
>見られる側からの視点で逆算して表現をしていく
>勘が大人になると経験則でできるようになります。

で、できるんですか?! 
これって例えば、私が好きな男性に「可愛い女と思われたい!」と思った時に、「私が考える可愛い女」と「彼にとっての可愛い女」のギャップを経験則や勘で割り出してより望ましく演じることができるってことでしょうか?

・・・・うーん、全く自信がないです(汗)。
私、今まで自分のことオトナだと思ってたんですが急に自信が無くなってきました(爆)

むしろ私は、本当の「わたし」なんて他人に向かっていくら必死で表現したところで意図したとおりに伝わらなくて当たり前だと思ってました。人の気持ちや価値観なんてそう簡単にはマーケティングできませんし、できちゃったらつまらないし。
だから自分の価値は自分が決めればいいんだと思います。他人に自分を認めさせようと必死になるより、自分で自分を認められるように努力する方が確実、少なくとも私はそう思ってます。
Posted by えほんうるふ at 2006年02月09日 22:28
>本棚の魔女さん

お誕生日おめでとうございます♪

>人間関係のややこしさとは、人が相手に“期待する”生き物だと言うことから始まっている

仰るとおりですね。こっちが期待しなくても、向こうには期待されていたり。ほんとややこしくて面倒で、イヤでも色々学習させられます(^^;)。

>それを良しとか悪しというのではなく、そういう生き物だと言うことをしっかり見据えて生きていきたい

それが賢明なのでしょうね。私もこの歳になってようやく、世の中の「そういうふうにできている」ものに対して、無駄な抵抗をするのではなく自分なりに受け入れる、あるいは受け流すことができるようになってきました。これでも昔に比べてだいぶ丸くなったのです(^^;)

ところで魔女めいちゃん、さすが絵本選びのお目が高い!将来が楽しみですね(^^)
Posted by えほんうるふ at 2006年02月09日 22:33
>さかこさん

ようこそオトナノトモへ!来ていただいてとても嬉しいです。
トラックバックもありがとうございました。空気読めていないどころか、示唆に富んでいて個人的にとてもありがたいお話でした。

「目からウロコ」と仰っていただけるのが私にとっては最高の褒め言葉であり何よりの励ましです(^^)
長文・短文・異論反論いずれも大歓迎ですので、またお気軽にコメントやTBで足跡残していってくださいね♪
Posted by えほんうるふ at 2006年02月10日 00:19
関係を続けたいと思うなら、
3を選ぶ男性が多いんじゃないでしょうか。
それを正解とする女性が多いなら、
日本の女性は、日本の男性のコミュニケーション
能力の問題をじゅうじゅう承知しておらられる、
ありがたい、ということになるのでしょう。
欧米ではそうはゆきますまい。
ありがたや‥‥

ただし、特殊なコミュニケーション能力を
必要とする関西では、(一種のボケとして)
1を評価する地域もあるやもしれません。^^

思春期になった子どもたちのなかには、
多種多様な“わたし”を自分が使い分けている
ことに気づいて、その使い分けに
過剰に嫌悪感を感じる人もいるようですね。

今日もがんばった、と日記には書いておこう。
  ↑
こういうのが、“てれ”なんですよね。(-_-)
Posted by enzian at 2006年02月11日 14:38
>日本の女性は、日本の男性のコミュニケーション
>能力の問題をじゅうじゅう承知しておらられる、

じゅうじゅう承知はしていても、それに満足している女性ばかりではないでしょうね(笑)言わずとも伝わる、そこをあえて言葉にして欲しいのが女心というものです!

関西人の特殊能力には敬意を表します。あれって本当に小さい子でもちゃんと身に付いていて驚きます。時々ボケにマジレスしてしまう自分はまだまだ修行が足りません。

>こういうのが、“てれ”なんですよね。(-_-)
  ↑
能ある鷹の照れはむしろカッコイイですよ♪
Posted by えほんうるふ at 2006年02月11日 18:34
何か、昔読んだ新聞の書評に、本気と遊びが反対語だと思ってる人に「君とは本気で遊びたい!」
とかいったら、ぶったおされるだろうなぁとか
のんびりしたことを書いていた(おそらく男性既婚者の記事)妙に思い出しました・・。
ま、当方の修羅場の類が「スプーンが添えられてんのになんで自分の箸入れちゃうの〜!?」ですからね、参ります。
 ところで、人に飼われる動物で犬は自分を人間だと思い込み、猫は人を猫の一種だと見做すという説もあるそうです。生まれと環境ってことなのでしょうか(・・?
Posted by きくちか at 2006年02月18日 22:02
>きくちかさん

>「スプーンが添えられてんのになんで自分の箸入れちゃうの〜!?」

修羅場にはなりませんがその場に流れる不穏当な空気は想像に難くありません(笑)

>犬は自分を人間だと思い込み、猫は人を猫の一種だと見做すという説

面白いですね。自分から見て相手を上と見るか下と見るかによって違うのかも。なんとなく猫の方がプライド高そうなので納得(^^;)
Posted by えほんうるふ at 2006年02月19日 09:37
う〜ん、今回もうんうんうなずきながら読んでしまったよ。すっごい共感。

相手から見た自分…相手がすごく身近な人に限定されているんだろうな〜と思うこと、多々あります。知らない人は“相手”じゃないから、公共のマナーも悪いんだよね。

コドモが挨拶をしなくなったと嘆くけど、その前に、顔見知り程度の大人同士の挨拶も減っているように思います。

私は商店街のお店(主に酒屋)でのちょっとした雑談がとても楽しいんだけど、これを目撃してびっくりされることが多いんだよね。びっくりされちゃうことに地域性を失われていることを感じ、寂しさを感じたりします。
そういう自分も、たいして地域にとけこんでるワケじゃないけど。

あっ、また話題が絵本から離れてしまった〜。
うるふちゃんの切り口だと、自分に引き寄せて考えられることがとっても多い。こんなことが出来るうるふちゃんは、やっぱりスゴイ。
Posted by かめちゃん at 2006年02月20日 00:34
>かめちゃん

ふてくされて、結局今朝もPCに張り付いてます(^^;)

# 知らない人は“相手”じゃないから、公共のマナーも悪いんだよね。

そっか、未知の他人は“相手”として認識すらされないのか。それはちょっと目からウロコ。
私は、未知の人間に対してこそ公共マナーをもって接するべきと思うんだけれど、(「わたしとあそんで」のレビューでも述べたように)これだけネット利用が当たり前になって他者との関わり方が変わって来ちゃうと、自分にとってのその常識は既に世間の常識ではないのかも知れない。
…という悪寒がしました(^^;)
Posted by えほんうるふ at 2006年02月20日 10:24
こんにちは。
こちらからもトラックバック送らせていただきました。
個の関係を無視して社会性(というか社会を泳ぐ術)だけを身につけてしまったおとなって、最近とても多いですよね。
どうも間違った方向に社会が成熟しているようにも思います。
あんまり他人事ではないんだけど。
Posted by 海五郎 at 2006年03月22日 17:22
>海五郎さん

こんにちは、TBありがとうございました。

仰ることには私も同感で、ただ処世術に長けていさえすれば人生は安泰かというとそうでもないし、むしろその見せかけの安泰さに慢心してしまうと結局は得るものの少ない空虚な人生を送る羽目になるような気がします。

ちなみに幸か不幸か私はこれまでメインストリームから脱線する一方の人生を送ってきましたので、効率の良い生き方とは無縁のようです(笑)
Posted by えほんうるふ at 2006年03月23日 22:58
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