2025年01月01日

大人絵本会最新情報

次回の開催が決定しました!


第117回大人絵本会

日時:9月26日(木)午後10時より約2時間

お題:砂漠のサイーダさん
(たくさんのふしぎ2009年5月号)

常見 藤代 文・写真



saida.jpg砂漠のサイーダさん
常見 藤代 文・写真

福音館書店 2009年5月
出版社詳細ページ


大人絵本会は、「絵本を肴に呑むオンライン居酒屋」がコンセプトのゆるい読書会です。
開催は不定期ですがほぼ1ヶ月に1回のペースで、夜10時から午前0時の間、お題となった絵本についてTwitterで好き勝手に呟きまくるという、非常にお気楽なコミュニティです。
どなた様もお気軽にご参加下さい。

参加方法は、お題の絵本について当会のタグ #大人絵本会 をつけて自由に呟くだけです。途中参加・一言参加・休憩などお気軽に♪ 参入・離脱の挨拶は不要です。
一つの絵本にまつわるたくさんの話題が同時進行しますので、興味をひかれた話題がありましたら、遠慮無く途中から割り込んでお好きに語って下さい。
きっと、楽しい夜になりますよ♪


※ これまでに開催した大人絵本会のお題リスト⇣続きを読む
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2019年08月28日

その注意に要注意

注意読本.jpg注意読本
五味太郎 作

ブロンズ新社 2002年9月
出版社詳細ページ

外面がいいので初対面の他人様にはかなりキチンとした人間だと思われがちな私だが、一歩家に入れば、つまり素の私は、かなり不注意でいい加減な人間である。
特に自分でも日々困っているのは、所要時間のヨミが甘いことである。そのうえ無駄に好奇心が旺盛で色んなことを思いついては即実践しようとするので、つい本来やるべき作業の優先順位を忘れ、外出の出発予定時間ギリギリまで急な調べ物をしていたりする。気がつくと家を出る時間が迫っていて、あわてて荷物をまとめて飛び出す。と、案の定忘れ物をしてしまい、酷い時は家を出て数分もしないうちに別々の忘れ物に気づいてはあわてて取りに戻り、子どもに「また帰ってきた」と笑われる。結果として私は自宅から最寄り駅までの徒歩数分の道を、たいていは小走りで、時には全速力で走っている。
こうして不注意故に私は日々余計なエネルギーを使うことになるのだが、こうでもしなければ日常生活で体を動かす機会が減る一方の怠惰な自分には、きっとこれも何かの帳尻合わせになっているのだろうと思うことにしている。


さて、今日の絵本はその名も「注意読本」という。
そのタイトルから、まさに私のような不注意な人間に向けた、日常生活上のあらゆるリスクへの注意喚起を促す絵本かと思いきや、そこはやはり五味先生、そんな退屈そうな単純な啓蒙絵本であるわけがない。
この絵本が注意を呼びかける対象は、まさにその注意そのもの。つまり、普段私達が無意識に「注意」していることについて、斜め上から、あるいはちょっと離れた位置からの視点を新たに提案することで、その注意の発想そのものが固定観念にとらわれている可能性を「注意」してくれる。


この絵本について、小さな子にはちょっと難しいのでは?とか、大人向けの絵本でしょ?といった声を聞くことがある。
何をおっしゃいますやら。これは私の私見だが、いい絵本は出会う時期を問わないものだ。
赤ちゃん向けとされる絵本が大人にとっても味わい深いのと全く同様に、幼い子どもだって、中高生や大人向けと言われる絵本から何かを感じ取って味わうことができるはずだ。だから、その本来の味わいが分かろうと分かるまいと、子どもたちには是非アタマが柔らかいうちにたくさんの絵本にまずは出会って欲しいと思って、私は常に自分の趣味でいいと思った絵本は構わず子どもたちと一緒に楽しんできた。(もちろん、あくまでも我が家内に限っての話だが。)

なにしろ、子どもの世界は狭い。身近にいる大人といえば親や親戚、先生たち。友だちといえば、学校のクラスメートやご近所の幼馴染、塾や習い事で知り合う同年代の子どもがせいぜいだろう。今でこそ、ネットを介して世界中のありとあらゆる年代属性の人と友だちになることも可能だが、そこには無限の可能性と裏腹に予測のつかない危険が待ち構えている。
その点、こんな絵本なら安心だ。親でも先生でもない大人の友人、決して学校では教えてくれない自由な発想や、同年代ではとても思いつかないタテ・ヨコ・ナナメからの視点に気づかせてくれる、そんな頼もしく愉快な大人の友だちを実際に得られるのはよほど運が良い子どもだけだろうが、絵本は誰にでも平等にその大役を堂々と果たしてくれる。
しかも、それぞれの子がそこから得たものをどのように受け止めるか、まともな絵本ならそれを決して子どもに無理強いはしない。初めて読んだタイミングではピンとこなくても、それぞれの子がその子なりの心のペースで吸収し、必要な時に糧とすればいいのだから、害があるどころか百利の可能性しかない。例えるなら安全で効果絶妙な遅効性肥料みたいなもので、いずれその子が必要とした時に大きな支えや励ましとなって、あるいはその子自身が気が付かないうちに心の栄養となって、その成長を助けてくれるはずだと私は考える。

だからこそ、子どもの手の届く範囲にどんな絵本を用意するかは大人の責任とも強く思う。
ああそれなのに、こんな素敵な絵本が普通の書店ではもう手に入らない。古書を探すか、図書館に行くしかない。
どれほど良書であっても、日々新しく出版される凄まじい量の有象無象の新刊に押し流され、すぐに書店では手に入らなくなってしまうのが絵本出版業界の現状なのだ。なんということだ!


おっと、柄にもなく絵本論で熱くなってしまった。
なんでこんなふうに話が流れたかというと、最近、すっかり大人に近づいた我が家の子どもたちと、彼らが幼かったころ親子で一緒に読んで楽しんだ絵本の思い出話をよくするからだ。
面白いことに、性別も歳も違い性格も嗜好性も正反対といってもいいほど違う方向へ育ったわが子たちが、今になってあれが好きだったと懐かしむ絵本がほぼ一緒だったりする。へえー、あの頃の君たちは、あの絵本をそんなふうに受け止めていたのか〜と内心驚かされることも多い。親の思惑なんか無関係に彼らは彼らなりにそれを消化して、ちゃっかり糧にしてきたらしいのだが、それがその子なりの個性や特性にどのように作用して今に至っているのかを目の当たりにしつつある今、人の成長とはげに面白き・・と感心するばかりだ。


いいかげん話を戻そう。自分の話に。(笑)
ご存じの方も多いかと思うが、Eテレの朝の5分番組「0655」で流れる歌の中に、「忘れ物撲滅委員会」というものがある。主に会社勤めのサラリーマン向けに作られたと思うその歌は、携帯電話、財布、鍵、社員証・・・と、出勤時に忘れがちな必携アイテムを口に出して歌っていくことで忘れ物チェックができるというたいへん実用的な歌である。実際、この歌を出掛けにくちずさむことで忘れ物を撲滅できた人も少なからずいるだろう。なんと素晴らしい。
しからば私もこの歌を自分用に少しアレンジして(何故ならば私の仕事はちょっと特殊で七つ道具の内容が普通の会社員とは少々異なるのだ)、歌いながら出掛けの持ち物チェックをするようにすれば、一度玄関を出てから何度も家に戻るような失態を繰り返すことから卒業できるのではなかろうか?
・・・と思ってやってみたものの、どうにも字余りで座りが悪い。もはや曲から自作するしかなさそうだ。

posted by えほんうるふ at 15:03 | Comment(0) | 実用的な絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月24日

身軽になりたい

れおに
せかいいち おおきな うち
―りこうになったかたつむりのはなし

レオ・レオニ 作

好学社 1969年4月
出版社詳細ページ


私はもともとあまり所有欲の強い人間ではない。
独占欲もほぼないし、身の丈に合わぬ高級ブランド品を持つことにも興味がない。
好きなものは、必ずしも常に自分の手元になくてもよく、この世のどこかに存在していて、時に愛でたり触れたりできればそれで満足。
そういう意味では、モノに対する執着は歳を重ねるごとにますます弱くなっている気がする。
かくなる上は、巷で話題のミニマリストの皆さんのように、どうしても手元に置いて日々使いたい少数精鋭の必需品以外のモノはじゃんじゃん潔く処分して、さっぱりスッキリの清々しい生活様式を確立したい、と夢見てしまう。

ところが実際には、私の自宅はありとあらゆる場所にモノが溢れている(泣)
同居している病的に物欲の激しい家族の持ち分については考えるだけで頭痛がするので別にするとしても、やはり私自身、まだまだ必要以上にモノを多く持ちすぎているのだ。
身軽になりたい。いや、ならなくては!
今やその思いは常に私の中でふつふつと燻っている。

いつ死んでもいいように、やりたいことは即やろうと思ってきた。
それと同じように、いつ死んでも心置きなくあちらへ行けるように、帰らない旅支度としての身辺整理をしておかなければ、という思いを持つようになったのは、いつからだろう。
やはり年齢的にそろそろ人生の折り返し地点を回ったはず、という意識がそうさせるのだろうか。

ちなみに、物欲の亡者ではないのに一向にモノが減らない理由ははっきり自覚している。
それは、私が「もったいないおばけ」に取り憑かれた極端な貧乏性だからである。
別の絵本を採り上げた際の過去ログでも散々書いてきたことだが、私は要不要の判断までは即できるくせに、イザとなると不用品を捨てられないのだ。
一息にゴミ袋に突っ込んで丸ごと捨ててしまえばいいものを、なんとか別の用途で活用できないか、誰か買ってくれないか、あるいはもらってくれないかと延々と悪あがきをしてしまう。
これは私の育ちが卑しいからなのだろうか。
まあ確かにお世辞にも裕福とは言えない家庭で兄弟4人もみくちゃにされて育ち、幼い頃から一度確保したなけなしの取り分は決して無駄にせず大切にする習慣が身についてはいたが・・・。


さて、今日ご紹介するのはそんな私が今も自戒として時々読み返すことにしている絵本である。
ある日、幼いちびかたつむりが父親にこう言った。
「ぼく おとなに なったら、せかいいち おおきな うちが ほしいな。」
父親はこれに一言、
「うどの たいぼく。」
と答え、息子にある昔話を語って聴かせた。
むかし、ちびかたつむりと同じように、世界一大きな家を欲しがり、ついにそれを手に入れたかたつむりが一体どうなったかを。


美しく削ぎ落とされた無駄のない谷川俊太郎さんの訳文は、そのひとつひとつにじわじわくる味わいがあって、声に出して読んでみると、なんだかうれしい。そしてレオ・レオニの柔らかく毒気のない明るい絵柄に安心して呑気に読み進んでいくと、思いのほかズシンと刺さる展開が待っている。
この作品に限らず、レオ・レオニ作品について、結末が教訓めいていて説教臭いから嫌だ、という声もきく。それでも私はやはり、この光あふれる柔らかい色彩の絵に秘められた、幼心にはもちろん大人の感性にも容赦なく突き刺さるメッセージ性こそが彼の作品の真髄だと思える。
心から尊敬し、愛してやまない作家の一人だ。


そして私は、断捨離に勤しんでいるつもりが一向にその成果が見えてこない自分に喝を入れるべく、今日もこの絵本を開くのだ。
作中のかたつむりのように、誇らしく人に自慢したくなるようなものを山程抱えこんだ挙げ句身を滅ぼすならまだしも、自分でも要らないと分かっている不用品に押しつぶされて不自由に生きるなんて、とてつもなくアホらしいではないか。
まして人生とっくに後半戦に入っているだろう自分は、グズグズしてはいられないのだ!
・・・と、久々に読み返して改めてひしひしと感じた私は、「大事なことを教わる絵本」または「身につまされる絵本」カテゴリーのどちらに入れようか迷っていたこの絵本のために、今回新たに「終活を考える絵本」というカテゴリーを新設したのだった。

小さくしとこう。そしてもっと少なくしとこう。
その日が来たら、すきなところへ身軽に旅立てるように。


posted by えほんうるふ at 19:27 | Comment(0) | 終活を考える絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月26日

落語の粋を洋書絵本で

bacon.jpgベーコンわすれちゃだめよ!
パット・ハッチンス 作

偕成社 1977年9月
出版社詳細ページ

表題の絵本は、今夜の大人絵本会のお題である。
毎回、会の開催前に自分でその絵本のレビューを書いてブログを更新するのが常だが、この絵本は既に過去ログでレビューしていたので今回は割愛するつもりだった。が、今夜の開催に向けて取り寄せた洋書版を改めて読み返していたら、しみじみ楽しかったのでやはり少しだけ書くことに。

今回のお題絵本は、パット・ハッチンスの「ベーコンわすれちゃだめよ!」である。
幼い頃、私が初めてこの絵本を読んで最初に思い浮かべたのは別の絵本のことだった。
それはこの鮮やかな明るい色合いの洋書とは似ても似つかない、モノクロの日本の絵本で「だんごどっこいしょ」という。
もしかすると、同じ絵本を思い浮かべた人もいるかも知れないが、正確に言えば、私はこのモノクロの絵本を思い浮かべたというより、「だんごどっこいしょ」という日本の昔話を思い出したのだった。
というのも、私が「だんごどっこいしょ」を最初に知ったのは、絵本の読み聞かせではなく誰かの素語り、つまり画像イメージ抜きで純粋に耳から入ったお話としてだったからだ。
残念ながら、それがどんなシチュエーションで誰が幼い私にそれを語り聴かせてくれたのかは覚えていない。おそらく通った保育園か幼稚園か、入り浸っていた近所の図書館のおはなし会あたりで聞かされたのではないかと思う。とにかく、後に小学校の図書室で絵本の「だんごどっこいしょ」を見つけた時に「あっ、これ私が大好きだったお話だ!そうか、絵本になってるのか!」と幼心にうれしく思ったことを鮮明に覚えているので、先にお話として聞いて知っていたのは間違いない。

ちなみにその「だんごどっこいしょ」はどんなお話かというと、他愛もない日本の民話である。
おばあちゃんの家に遊びに行った子どもが、そこでおやつに出されて初めて食べた菓子をたいそう気に入って、これは何だときくと、「だんご」だと教わった。子どもは、さっそく家に帰ったら同じものを母親に作ってもらおうと思い、その菓子の名前を忘れないよう、「だんご、だんご、だんご・・・・」と道中ずっと唱えながら帰途につく。ところが、途中で水たまりだか小川だかを飛び越えなければいけなくて、思わず「どっこいしょ!」と掛け声をかけたところ、その勢いで唱えていた「だんご」が「どっこいしょ」に置き換わってしまう。それからずっと「どっこいしょ、どっこいしょ・・・」と唱えながら無事に家に帰りついた子どもは、母親に「どっこいしょ、こさえてくれろ!」と嬉しそうにお願いする。母親はわけが分からず困惑し、分かってもらえず子どもは泣きわめき・・・と、この先のオチは絵本などでどうぞ。

今でもこれぐらいサラサラと、多分そらで子どもたちに話して聞かせられるぐらいあらすじを思い出せるのは、それだけこのお話が単純かつ落語のようにテンポよく展開するとてもよくできた噺で、オチまでしっかりつく面白さがあったからだろう。
ならばこの絵本をお題にすれば良さそうなものだが、自分が最初に耳で聞いて馴染んでいたお話だけに、絵本になったものを見た時、若干のイメージ違いに戸惑った記憶がある。ということで残念ながら却下。

というわけで、ようやく今日の絵本の紹介に入る。
ハッチンスの名作「ベーコンわすれちゃだめよ!」も、やはり少年が主人公だ。
母親に買い物を頼まれた少年は、買い忘れのないように買うものリストの品々を唱えながら市場へ向かう。ところが、道すがら目に入るものがきっかけとなって、彼の脳内の買い物リストの品は次々と別の物に変換されてしまい、全然違うものを買ってしまうのだ。それでも、途中で間違いに気づいた少年はちゃんと正しい品々を買い直し、意気揚々と帰路につく。・・・と、ここにももちろんオチが用意されている。

この、少年が道々唱えていた単語がいつのまにか別の単語にすり替わるというプロット、さらに落語のような小気味良いオチに至るリズム感、これはまさしく「だんごどっこいしょ」ではないか。
当然ながら原書は英語で書かれているので、買い物リストの英単語が、それぞれ韻を踏んだ別の英単語にすり替わっていくセリフはまさしく歌のようにリズミカルで、口に出して読むとなんとも心地よい。

大人になってから原書を初めて読んだ時も、わあ、うまいこと訳したなぁと感心したものだったが、今回お題にした機会に改めて原書を読み返し、訳者の渡辺茂男氏の訳が、絵本としてどれほど素晴らしい仕事だったかを改めて思い知った。
この絵本の魅力を損なうことなく伝えるには、まるで歌のような英語文を絵的にも言葉としても無理がなく、かつオチまでのリズム感を保った言葉に訳す必要があった。とても骨の折れる、でもきっととても楽しい仕事だったのではないかと思う。結果的に「ぼくにいただくケープと」などといった少年らしい無理矢理さがかえって落語的な面白さとなっていて(ここは当然「おまえが頂くんかい!」とツッコミつつ読む)まさに洋書絵本の翻訳史?に残る心憎い名訳だと思う。
なにしろ、この絵本を一度でも読み聞かせに使ったことのある人ならきっと分かるだろう。最後に思わず「おあとがよろしいようで」と言いたくなってしまうこの爽快さを。
posted by えほんうるふ at 19:38 | Comment(0) | 笑える絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月28日

定点観測の楽しみ方

こんなこえ.jpg
こんな こえが きこえてきました
佐藤雅彦+ユーフラテス 作

福音館書店 2015年06月
出版社詳細ページ

待機時間の長い仕事をしている。
待ち時間の間に何をしているかと言えば、大抵はコーヒーショップでパソコンを広げている。色々な街に行くが、それぞれターミナル駅付近の繁華街なので、どこも平日週末を問わず人通りが多い。それだけに店の選択肢は豊富だが、本当に落ち着いて過ごせる店は案外限られるものだ。
それでも、それぞれのエリアにお気に入りの店があり、お気に入りの席がある。
私のお気に入りポジションは、とにかく背後に人の来ない端っこ。さらに贅沢をいえば、外が眺められる窓際。店内最奥の窓際カウンター席なんかがベスト。これに電源とWi-Fiがあれば文句なし、120点の待機場所である。

まずはコーヒーを一口。ほっと一息ついて、ごそごそとMacbookを取り出し、そっと開いてLINEやメールの未読をチェックする。
そしてやおら顔を上げて、窓の外を行き交う人々を眺める。
この時間が何より楽しい。
同じ時間帯でも、街によって明らかに行き交う人々の層が異なる。あちらの街では大半を占めるお勤め人らしきスーツ姿が、こちらの街では少数派。ある街では珍しくない奇抜な格好や露出度の高い服装は、別の街では影を潜め、代わりに見るからに高級そうなハイブランドを当たり前に着こなす人々が闊歩している。外国人観光客もそれぞれの街でたくさん見かけるが、よく見ると出身国と思われるエリアが街によって偏りがあるのも面白い。

ガラスを隔てて行き交う人々が、何を話しているのかは分からない。まして、一人で歩いている人が何を考えているのかなんて分かるわけがない。それでも、出で立ちや佇まい、表情や身振り手振りから勝手に憶測するのが楽しい。

今日ご紹介するのは、まさにそんな私の街なかマンウォッチングのお楽しみをそのまま作品化したような絵本、「こんな こえが きこえてきました」である。
作者の佐藤雅彦さんは、NHK Eテレのピタゴラスイッチでお馴染みの、日本を代表するメディアディレクターのお一人。電通出身で数々の人気CMの生みの親でもある異能の人だ。

さてこの絵本、表紙には多分日本一有名な交差点、渋谷駅前のスクランブル交差点の写真が使われている。NHKの朝夕のニュースでも必ず映るし、何かと若者が騒ぎを起こしてはワイドショーネタにもなるので全国的に馴染みのある景色ではないかと思う。
で、ほぉほぉ写真絵本ね。見慣れた景色だわね・・・と思いつつ頁をめくり、さくさくと読み進める。あっという間に読み終わるのだが、これがまさにアイデア勝負というか他に類を見ない内容で、さすがというしか無い。
なにしろこの絵本、たった2頁の見開きと背表紙を除き、全て同一の画像だけで綴られているのだ。正確に言えば、同一画像をベースに、言葉や吹き出しを載せて視点を移動させることで話を展開させていくという画期的な手法で作られている。

私はこの作品を最初に読んだ時、子供のように夢中になって一気読みしてしまい、全頁が同じ画像であることに考えが及ばなかった。それほど視点の移動が巧妙な作品とも言えるが、いや、単に私がボーっと生きているだけかもしれない。
でもいいのだ、楽しいから。
このしてやられた感といい、下ばっか見てないでほら、と一気に視点を上げさせるリズムとバランスの絶妙さといい、なんだこれスゲー面白い!と無邪気に楽しめる大人で良かった。

ちなみに、これをお題にした今回の大人絵本会の告知をした際にちらっと触れたが、某サイトでのレビューでこの絵本を「同じ写真の使い回しでつまらない、がっかりした」と酷評しているものがあり、ひえぇ〜と、別の意味で驚いたものだった。
そもそも、(日常的に街の定点観察をしている者として断言させてもらうが、)これは決してたまたま撮れた写真の使い回しなどではないはずだ。街を1時間ぼーっと眺めていても、こんな風にパッと眼を引くような分かりやすいイベントはそうそう起こらないものだ。
恐らく、企画段階からとても周到にストーリーが練られ、必要な要素を個別に撮影し、配置を考えてCGで綿密に合成し・・・と、たいへん手間暇をかけて作らえた一枚に違いない。
ひょっとすると、そもそもベースとなっている交差点の画像は早朝に撮影された無人のもので、写っている人々は全て個別に撮影され配置されたモデルさんだったりして・・・・なんて制作工程の裏まで興味深く思えてきて、見れば見るほど絵本の深読みマニアのツボど真ん中を突く楽しい絵本である。

街なかを行く見知らぬ人々の人となりを、見たまんまから勝手にあれこれ想像して面白がるのと同様に、どうせなら自分の五感で受けとるあらゆる情報をそのままデータとして頭に記録するのではなく、想像力を駆使して色んな受け止め方で柔軟に面白がれる方が、人生をより豊かに楽しめそうな気がする。
少なくとも、私は自己流だろうがこじつけだろうが、楽しめるもんは楽しむ方向でいきたい。

posted by えほんうるふ at 16:44 | Comment(0) | ニヤニヤしちゃう絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月25日

我が家のカレー曜日

<トッチくんのカレーようびトッチくんのカレーようび
間所ひさこ 文 山本まつ子 絵

ポプラ社 1969年9月
出版社詳細ページ


我が家ではここ十数年、毎週金曜日の夕飯はカレーと決まっている。
つまり金曜日は、我が家のカレー曜日である。
結論はそういうことなのだが、この2行でブログ更新完了というのもあまりに手抜きなので、もう少し我が家のカレー曜日事情をお伝えするとしよう。

何故私は毎週金曜の夜にカレーを作るのか。
最初は単に、そう決めておくと私が楽だから、という理由だった。
仕事にしろ趣味の予定にしろ、私は金曜の夜は家を空けることが多かった。その度に、作り置きできる夕飯を用意しようと家族にリクエストを募ると、ダントツの安定人気で結局カレーを作ることになった。
そのうち、いちいち訊かずともカレーさえ作っておけば家族の誰からも文句が出ないことに気がついて、私が夜に家を空ける時は黙って勝手にカレーを作るようになった。
子どもが小さいうちは外出自体がなかなかない機会だったので、「外出=夕食はカレー」で問題なかった。ところがだんだんと私の外出頻度が増えてくると、そうそう毎回カレーばかり作るわけにもいかず、作り置き夕食メニューのレパートリーを増やさざるを得なくなった。
それでもカレーはダントツのレギュラーなので、そうなると今度はカレーを中心にローテーションを組んであれこれ作ることになるのだが、そうなったらなったで、その順番やバランスを考えるのが面倒になった。
ならばいっそ「金曜日はカレー」と決めてしまえば、改めて考えるのは他の日だけでよく、少なくとも週に一度は献立を考える煩わしさから開放されるのだ。よし、確定!
というわけで、それ以来、私の外出の有無に関わらず我が家では毎週金曜はカレーなのである。

ちなみに自分で言うのもなんだが私の作るカレーはかなり美味しい。らしい。
七日に一度というのは日本の家庭料理としては結構なヘビロテぶりだと思うのだが、家族にとっては何の問題もないらしく、それどころか、いまだに毎週金曜の朝には「今日はカレーだね!」と嬉しそうに声をかけて出て行き、帰宅時には「あっ!今日カレーだ!やったぁ!!」などと言ってくれる。
そんなに食べたいか?うちのカレー。

子どもたちが小学生のころ、たまたま金曜の給食がカレーだったので気を利かせたつもりで他のものを用意したところ、帰宅した息子に開口一番、「えーっ、今日の夕飯カレーじゃないのー?!」と文句を言われてしまった。
そんなに食べたいか?うちのカレー。

同じく子どもが小学生の頃のこと。たまたま金曜日に子どもの同級生が我が家に遊びに来た。その子が今日は自分の親は帰りが遅いんだ〜なんて話しているのが聴こえたので、個人的にも仲の良い彼の母親に連絡して夕飯を食べさせてから帰したことがあった。
その翌週の金曜日、帰宅した子どもが遊んでいると玄関のチャイムが鳴り、その子が再び現れた。
福神漬を2袋持参していた。
「美味しかったから、また食べに来た!」と無邪気に言う彼に苦笑しつつ、念のため母親に電話したところ、仰天して恐縮しまくっていた。もちろん、折角なので一緒に食べようと慌てて米を追加で炊いたものだった。
そんなに食べたいか?うちのカレー。


おっと、ここは絵本のブログであった。また絵本に関係のない話ばかり書いてしまった。
本日の絵本は「トッチくんのカレーようび」
なんと私が生まれる前に発行された超ロングセラーである。つまり、昭和の絵本だ。
内容的には割とシンプルなファンタジーで他愛もないストーリーなのだが、この絵本の何がいいってこの昭和臭あふれる挿絵がたまらないのだ。表紙だけでごはん3杯いけそうな勢いだ。
そしてカレーようびというやたらキャッチーなタイトル。
きっと、幼い頃から私の心の中にそれはずっと刺さっていたのだ。
いつかは、カレーようび。
幼い頃に読んだ絵本の中の何かをずっとあたためて、大人になってそれを実践できるのはなんと楽しいことだろう。大人バンザイ。


ところで我が家と同じく「金曜日はカレー」ルールで有名なのは海上自衛隊だ。その「海軍カレー」は艦艇・部署ごとに秘伝のレシピがあるそうだが、我が家の場合は一応これだけは入れる、というベースはあるものの、メインとなる材料はその季節ごとに旬の野菜で作るので毎回ちょっとずつ違う。
そもそもカレーなんて不味く作るほうが難しいぐらいに思っているので、いつも割と適当に作っていて、スパイスにこだわって調合から・・なんてことは一度ぐらいしかしたことがなく、いつも仕上げは市販のカレールーを数種類放り込むだけだ。それでももれなく美味しくなるのだから、やはりカレーは偉大である。
日本中、全ての人の「うちのカレー」が幸せな笑顔を呼ぶものでありますように。

posted by えほんうるふ at 09:14 | Comment(0) | 嬉しくなる絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月27日

桜の国に生まれて

<桜守のはなし桜守のはなし
佐野藤右衛門 作

講談社 2012年3月
出版社詳細ページ

今年も桜の季節が来た。
我が家の近所にも桜の名所と言われる公園があり、さして広くもない公園がこの時期ばかりは昼夜を問わず人で溢れかえる。
もちろん満開の桜が川面に映える美しさは私も毎年楽しみにしている景色ではあるが、そのピーク時の印象が押し寄せる花見客で混雑する最寄り駅や周囲の喧騒になってしまったせいか、その最盛期にじっくり花を眺めることは少なくなってしまった。

お花見とは言えないかもしれないが、今の私が好んで眺めるのは時期としてはもう少し早い、まだ一分咲き程度の桜である。
気象庁の開花宣言もまだ遠くきかない時期の公園では、遊歩道を行く人々は桜の木を見上げることもなく通り過ぎていく。三寒四温の日が続き、日差しもまだ弱々しいばかりだが、それでも深く息を吸い込めばかすかに空気に甘い香りが混じっているのが分かる。私は嬉しくなって、ワクワクしながら桜の枝先に目を走らせる。するとそこには、硬い外皮に包まれたつぼみが、期待に胸を膨らませるようにふっくらとまあるく膨らんで、今か今かとその日を待つ姿が見えるのだ。
健気に身を寄せ合って春を待つ小さな花芽たちが愛おしくて、私は思わず語りかけたくなる。
ああ、寒い冬の間、みんなよく頑張ったね。今年ももうすぐ会えるね。待ってたよ、と。

東京に住む私にとって桜はとても身近な樹木だ。
家からさほど遠くない範囲にいくつも桜の名所があるし、桜並木も当たり前にそこここにある。
春になれば花が咲き、夏には青葉が茂り木陰を作り、秋になれば美しく葉が色づき、冬は細い枝の先に雪化粧を纏ってみせる・・・ただそこに植わって立っているだけで、巡る季節と共に四季折々に異なる装いで私達の目を楽しませてくれる桜の木の有り難みに都度感嘆しつつも、それがあまりにも当たり前に繰り返されるので、自然の力で勝手にそのようになっているように思いこんでいた。
しかし、その惜しげなく季節が来れば繰り返される桜の命の煌きが、実は人の手による手厚い加護によって守り支えられていることを知ったのは、割合最近のことである。
私にそれを教えてくれた一冊の絵本。それが今日ご紹介する佐野藤右衛門氏の「桜守のはなし」である。

佐野藤右衛門氏は植木職人として京都・仁和寺御室御所に仕える“佐野藤右衛門”の十六代目であり、日本全国の桜の名木の保存につとめる「桜守」という人である。
恥ずかしながら、私はこの絵本に出会うまでそのような職業の人々がいて、人知れずあの美しい樹木の命の巡りを支えていることを知らなかった。当たり前のように享受してきた日本が誇る美しい桜の情景が、人知れず彼らのような職人たちの弛まぬ努力によって守られていたなんて。その事実に私はなぜか妖精とかコロボックルに出会ったようなワクワクする気持ちになった。
「桜守のはなし」はその名の通り、まさに桜の妖精のように使命感を持って全国の桜の名木を支える氏の日々の地道な仕事ぶりを、写真と共にはんなりとしたご本人の京都弁の語り口によって丁寧に紹介している絵本である。私と同じく、この作品を読んで初めて桜守という仕事を知る人もいるだろうし、日本人なら誰でもその存在に少なからず感謝の気持ちを禁じ得ないのではないかと思う。

とりわけ私が感激したのは、作中で氏が語ったこの言葉だ。

・・・月が丸くなってくるのとおなじころ、つぼみはめいっぱい気張って、ふくらんでくる。このようすを「笑いかけ」といいます。
私は桜がやさしくほほえむ、この瞬間が、いちばんうれしいんですわ。


ああ、桜の生育について何も知らない私と、そのプロ中のプロが「いちばんうれしい」と思うことが同じだなんて、ちょっと感激してしまうではないか。
でもきっとこれは、私だけではないのだ。同じように、膨らむ桜の蕾とかすかに漂う予感程度の芳しい香りに春の訪れを感じとり、密かに心躍らせる人々がこの国にはきっとたくさんいる。


先日、東京の桜の開花宣言が発表された。今年の桜も今週末には満開になるだろう。
満開の桜は美しいが儚い。あっという間に散ってしまうが、だからこそ尊く、愛おしく思える。

そういえば幼い頃、一緒に桜を見る度に母は私にこんな話をした。

「桜は律儀な花でね、全部のつぼみが花開くまで散らずみんなで待ってるんだよ。最後のつぼみが無事に咲いたら、その瞬間から一斉に散り始めるんだよ。」

私は毎年開花宣言のニュースを聞く度、母から何度となく聞かされたこの話を思い出し、何故か涙ぐみたいような切ない気持ちになる。
でもその真偽を確かめたことはない。それこそ藤右衛門氏に訊いてみれば一発で分かるのかもしれないが、どっちでもいいと思う。嘘でもいいのだ。日本人ならば、そんなおとぎ話じみた桜の花の物語を、すんなり受け入れて信じる人も少なく無いのではないだろうか。桜の木にはそういう神話じみた話がよく似合う。

そして、咲き始める直前の膨らんだ蕾を愛でるのと同じぐらい儚い春のお楽しみとして、私が心待ちにしている春の情景は散りゆく桜の姿だ。

ここはさくらのくにだから
散りゆく花までも愛でる
ここはさくらのくにだから
散りゆく花をこそ愛でる

(石村吹雪「さくらのくに」より一部抜粋)

この歌を初めて聴いた時も、やはり私は訳もなく涙ぐんだものだった。
春は私をやたらと涙もろくさせるが、それが嬉しいからなのか切ないからなのか、この歳になっても分からないでいる。



posted by えほんうるふ at 21:41 | Comment(0) | 大事なことを教わる絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月26日

線のおつきあいが繋ぐもの

しんせつなともだち.jpgしんせつなともだち
方 軼羣 作 村山 知義 絵

福音館書店 1987年1月
出版社詳細ページ

身内の実家が名産地なので、毎年冬になると大量の林檎が届く。
たまたま人に会う機会があれば手土産に持っていくのだが、ちょうどその持参先のお宅でも田舎から届いた同じ種類の林檎の配布先に困っていて、大笑いしながら物々交換をして帰ったことがある。
そもそも今どきは頂きものをご近所にお裾分けとして配る人も少ないのだろう。どこの家も食べ物は豊富にあるし、狭いマンション暮らしでは収納スペースに余裕もないので、単なる余剰品の押し付け合いのようになってしまう。
そんな住環境事情に加え土地柄もあるのかもしれないが、我が家周辺のご近所同士のお付き合いは、付かず離れずどころかかなり距離を保って、密な交際よりもトラブル回避を優先する空気が強いようだ。それでも同じマンション内の同学年のお子さんがいるお宅とは、子供同士が地元の同じ学校に通っていた頃は何かと交流があったものだが、それも子どもたちが成長してそれぞれ地域社会の外へ出ていくようになると、親同士も自然と会釈程度の関係に戻っていくように思う。

一方、ちょっと世間を見渡せば、地域社会にどっぷり馴染み「子ども同士が赤ちゃんの頃からの家族ぐるみの大親友でーす!」なんていう、SNS映えの眩しい仲良しファミリーの姿もよく見かける。
それが羨ましいかと言えば、むしろ果てしなく億劫な関係に思えてしまう私はもともと付き合いの悪い人間なのだろう。
かと言って人嫌いかと言えばそんなこともなく、初対面の人と話すのも全然平気だし、自分で各種オフ会の企画をするぐらいの社交性はあるし、お酒の席だって決して嫌いじゃない。
ただなんというか、べったりしたグループ単位のお付き合いが昔から苦手なのだ。

おかげで学生時代から今に至るまで女子的仲良しグループ交際の輪からは外れたまま、どこにも属さず一人で好き勝手に動くスタイルがすっかり身についてしまった。
例えば、私の友人たちにはそれぞれ仲間がいて、様々な企画のもと大人数で集まって賑やかに過ごしている人も多いが、そういった集いの多くに私は始めからお声がかからない。これは簡単で、自分が集団行動が苦手なことを日頃から吹聴しておけば、皆さん遠慮なくスルーしてくれるのだ。断る手間と気遣いが省けてたいへん助かる。
その一方で私は、個人的に「会おうよ」と言ってくれる人にはできるだけ都合をつけて会いに行く。一対一ならば他の人に気遣うことなくいくらでもその人一人の話がじっくり聞けるし、何よりお互いリラックスして突っ込んだ話もフランクに語り合える。そんな密度の濃い交流の時間が、私はとても好きだ。

面のおつきあいより線のおつきあいを優先すること。
結局、自分はこんなミニマムな友達付き合いが性に合っているようで、それが堂々とできるようになった今、とても気楽で快適だ。半世紀近く生きてきて、模範的な大人のお付き合いを平然とスルーする図々しさも身について、ますます大手を振って気ままな半孤独ライフを満喫している有様である。

そんな折、久々に読み返した絵本が「しんせつなともだち」だった。
毎年雪の季節が来ると手にとって、その素朴な絵柄と安定の反復ストーリーに心をあたためられていた。
でもこの冬は前述の通り、自分のリアルの交友関係についてある種の悟りを開いたばかりのせいか、今までとちょっと違う感想を抱いたので記しておきたくなった。

どれだけ友達が増えても、皆と一緒に仲良くする必要はない。
その時自分が一番ラクなやり方で、個々の友人と一対一の関係を大切にできればそれでいい。
そして、この絵本のように、そのとき頭に思い浮かんだ一人の友達を大切に思い行動することで、結果的にその一人から繋がるより多くの人を大事にできるとしたら、私の知らないところで誰かがちょっと幸せになるとしたら、それはなんて素敵なことだろう。

                                                           
そういえば今年の林檎はろくにおすそ分けもしないうちに全て美味しく平らげてしまった。
誰かに届けていたら、誰かの思いと共にさらにおいしい林檎になって戻ってきたかも知れないのに。
来年の林檎が届いたら、誰に会いに行こうか。
posted by えほんうるふ at 10:11 | Comment(0) | 嬉しくなる絵本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月01日

新年のご挨拶と、新春特別企画のご案内

親愛なる絵本好きの粋な大人の皆様、ご無沙汰しております。
もうとっくに松の内も明けましたが、今年もどうぞよろしくお願い致します。

さて、しばらくお休みしていた大人絵本会ですが、年も改まったことですし、そろそろ再始動致します。
再開記念にいつもとはちょっと違うことをやってみたくてこんな企画を考えました。

題して、

再開記念☆新春特別企画!

第109回大人絵本"新年"会

「あの絵本のあの歌、歌っちゃいまショー☆」


開催予定日時:1月19日(土)19:30より2時間ぐらい

*ツイキャスにてリアルタイム配信予定



大人絵本会にご参加頂いたことのある方なら、これだけでだいたいの企画趣旨はお察し頂けるかと思います。
そうです。今回の大人絵本会は、歌います!


絵本を読んでいると、登場人物がいきなり歌い出すことがよくあります。
そんな時皆さんはその歌詞をどんな風に読んでいるでしょうか?
人前で声に出して読む場合などは特に、そのまま棒読みするのも、それはそれでちょっと照れくさかったりしますよね・・。

ちなみに私の場合、気がつくと自分なりの節やメロディをつけて読んでいることが多いようです。大人絵本会の過去回やツイキャス回で「ぼくらのなまえはぐりとぐら」のえほんうるふ家バージョンを披露したこともありました。

今回の大人絵本会はつまり、その拡大版です。
当会きっての歌好きお祭り好きが集い、それぞれお気に入りの「歌が出てくる絵本」を持ち寄ってその場で自らのオリジナル作曲バージョンを歌って披露、しかもそれをツイキャスでリアルタイム配信してしまおうという、おそらく前代未聞の無茶な企画であります。


わりと最近、絵本の「読み聞かせ」という言葉について、人によって異なるその言葉の受け取り方ついてツイッター上で侃々諤々の議論が巻き起こっていたことは、ここをご覧になる皆さんはきっと記憶に新しいかと思います。
大人が自由に絵本を楽しむことを提唱したい当会としましては、いっそそんな議論の斜め上を目指し、絵本は全ての読者にとって楽しむためにあるという原点に立ち帰るべく、「読み聞かせ」ならぬ「歌い聴かせ」をやってみようと思い立ったわけです。

当日の司会進行は私えほんうるふが担いますが、なんせ新年会も兼ねておりますので、特にかっちりした構成は考えておりません。
個人的には、「ぐりとぐら」「おだんごぱん」「めっきらもっきらどおんどん」「プーのはちみつとり」あたりの作中歌(の、えほんうるふバージョン)をウクレレで弾き語っちゃおうかなー・・・なんて考えています。
他の参加者がどんな絵本と共に現れるかは、私も当日まで知りません。ワクワクです!

ただし、単なる歌う酔っぱらいのグダグダな飲み会中継になる可能性も大いにありますので、予めご了承ください。


なお、ツイキャス配信をするということは、まさしく勝手に作品の一部を歌ってしまうし聴かせてしまうわけですが、作品を冒涜したり、それぞれの解釈を人様に押し付けようなどという気持ちは毛頭ありません。
あくまでも、根底にあるのは個々の作品への愛であり、ただただ、大人ならではの自由な絵本の楽しみ方のひとつとして、当会ご愛好の皆さまとその空気を少しでも共有できたら・・・という一心でございますので、どうかご容赦ください。
ツイキャス配信中にコメント等も受け付けられますので、「自分のバージョンも披露したい!」というもの物好きな方は、動画なり音声ファイルを投稿するなりして、ご自由に参加なさってください。お待ちしております♪

それでは、絵本をフリースタイルに愉しむ大人による大人のためのバーチャル読書会、大人絵本会を今年もどうぞ宜しくお願い致しますm(_ _)m


*これまでに開催した大人絵本会のお題リスト⇣
こちら♪
posted by えほんうるふ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 大人絵本会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月04日

当会の趣旨と、主宰からのお願い。

大人絵本会に関心を持ってくださり、ありがとうございます。
当会は、私えほんうるふが思いつきで始めた絵本をテーマにしたtwitter上の座談会です。
2010年3月に開催した第1回より今まで、完全に私一人で運営している独りよがりな集いです。
よくもまあこんな酔狂を長らく続けてきたものです。自分でも驚きます。
2018年10月現在私の知る限り、日本全国に絵本愛好家の集いは数あれど、うちと同じ趣旨・形式で活動しているところは無いようなので、唯一無二の変な会の創始者として、ちょっとぐらい偉そうなことを言っても許されるかと思います。
少々長くなりますが、よろしければご一読ください。

当会の開催は基本的に月1回で、だいたい第3〜4週の木曜日辺りになることが多いです。
開催日が確定次第、ツイッターと私のブログ上で、お題絵本と共に告知を致します。
参加方法は簡単です。開催時間中に #大人絵本会 のタグをつけてツイートするだけ。
入会資格も挨拶も不要で、来る者拒まず去る者追わずです。
マメじゃないので決して面倒見はよくありませんが、お問い合わせにはいくらでもお答えします。
なにしろ主宰が開催時間中に寝落ちするぐらいテキトーな会なので、肩肘張って気合入れて参加するほどのことはありません。気が向いた時にフラッと立ち寄って呟き逃げするぐらいが丁度いいかと思います。

なお、お題絵本は基本的に主宰個人の独断と偏見とご縁に基づいて選定されます。
誰もが認めるロングセラー、名作と呼ばれる絵本をお題に選ぶこともあれば、あまり知られていないマイナーな絵本、絶版絵本、新しい作家さんの出たばかりの絵本を選ぶこともあります。唯一の共通点は、そのどれもが私のお気に入りの絵本だということです。

なにせ私が一人で勝手にお題を選んでいるので、時には、あなたの嫌いな絵本がお題になることもあるでしょう。
それでも、例えば映画でもB級ならB級ならではの味わいを愛でるファンがいるように、絵本だって、ある人にとっては駄作でも、他の誰かにとっては愛すべき大切な作品であるはずと私は考えます。
あなたが嫌いだ、駄作だと思う絵本に価値を見出した人の言葉に触れることで、あなたの価値観もまた少し広がるかも知れません。実際、参加者から「実はあまり好きじゃなかったんだけど、食わず嫌いでした」というメッセージを頂いたことが何度もあります。
大人はどんどん頭が固くなるばっかりですから、きっと良いエクササイズにもなりましょう。


そして、ここからが一番大事なことです。
大人絵本会は絵本の勉強会でも品評会でもありません。
あくまでも大人による大人のための節度を保ったお遊びの場です。
日頃、大人として、親として、教育者や保育者としてそれぞれに頑張っている私たちなのだから、たまにはその責務や道義や建前を忘れて子どものおもちゃで悪ふざけをしたっていいよね?
そんな思いで私はこの会を作り、ほそぼそと続けてきたのです。

大人絵本会発足の詳しい経緯はこちらに記載していますが、一言でいうと「子どもの絵本を大人目線で深読みする楽しさをみんなで共有したかった」というのが、私がこの会を作った最大の理由です。
決して作品や作者を貶したり冒涜したり上から目線で批評しようという意図はなく、あくまでも根底にあるのは作品への愛です。
ええ、そうです。ここは、絵本好きの変な大人がフリースタイルにその愛を語りあうヤバイ場所ですが、なにか?
ぶっちゃけ、その絵本のことが好きでたまらない人にこそ楽しめる場だと思います。

もしお題絵本に価値を感じなかったり、そもそも大嫌いな作品でしたら、わざわざご参加頂くには及びません。まして「好き嫌い」ではなく「良し悪し」を語りたい場合は、それに相応しい場が他にあると思うので、そちらで思う存分吠えてみてはいかがでしょうか。
申し訳ありませんが、私はお題作品が絵本として正しいか否かを協議したり、編集者ばりにその完成度を検証することに、まっっっっっったく興味がありません。
せっかく誰もが気楽に楽しめる場を提供しているのだから、ただただ私は楽しくやりたいだけです。酒場でバカいいながらワイワイ呑んでいるところへ乱入して、飲んでる酒の質や酒造メーカーの怠慢を問い質すような無粋な真似はどうかご勘弁を。

そもそも、ここで採り上げた絵本がどんなに面白かったからといって、何も考えずに子どもに手渡したり読み聞かせたりするような人は、当会参加者にはいないと私は信じています。お酒が美味しいからって幼い子どもにも飲ませようとするようなお馬鹿さんはいませんよね。当然です。
私が言うのもなんですが、どういうわけかこの会に出入りする人々の人間力と大人度は相当なものです。密かに誇りに思っています。だからそんな啓蒙活動なんて、元から不要なのです。

でも、念のため改めてお願いします。初参加の方にも。
どうか、世知辛い世の中の現実に汚れちまった大人ならではの愉しみと、まだ半ば夢の中にいる子どもたちの楽しみを混同しないで下さい。
同じ絵本であっても、見るところ見えるものが違うのです。誰しも、子どもの頃に好きだった絵本を大人になってから読み返して、新しい発見をしたり、全く違う感想を抱くことがありますよね。
絵本は幅広い年代で楽しめるからこそ、時を越えて奥深い楽しみを提供してくれる素晴らしいメディアなのです。だからこそ、子どもは子どもなりに、大人は大人なりに、その時それぞれの感性でその世界を味わえばいいと私は思います。

いやぁ〜、絵本って本当に素晴らしいですね!

親愛なる絵本作家の皆様、大切な作品を想定外な視点で楽しむことをどうかお許しください。失礼があればお詫びします。
でも、ここに集う皆さんの発言は全て、絵本というメディアへの愛あればこそだと私は信じています。

参加者のみなさん、どうか当会の趣旨をご理解ください。
そして、これからもどうぞよろしくお願いします。気長に気楽に。
posted by えほんうるふ at 08:27 | Comment(0) | 大人絵本会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする